更訂 H28.11.5


  火への祀りや沐浴をするという事柄に関して




苦行時(成道前)の釈尊 苦行像

『バラモンよ、木片を焼いたら清浄が得られると考えるな。

 それは単に外的に関することだからである。

 外的〔外物〕なことによって清浄が得られると考える人は、実はそれによって清らかさを得ることができない、と真理に熟達した人々は語る。

 バラモンよ。わたくしは(外的に)木片を焼くことをやめて、内面的な火を燃やす。

 永遠〔一切智〕の火をともし、常に(静かに)統一していて、阿羅伽〔敬まわれる人〕として、わたくしは清浄行〔梵行〕を実践する。』



『プンナカよ。彼らは希望し、称讃して、献供する。利得を得ることに縁りて、欲望を達成しようと望んでいるのである。

 彼ら供儀に専念している者どもは、この世の生存を貪って止まない。彼らは生や老(死)を乗り越えていない、とわたくしは説く』





  スンダリカ・バーラドヴァージャ

 わたくしが聞いたところによると、──或るとき尊き師(仏陀)はコーサラ国のスンダリカー河の岸に滞在しておられた。

 ちょうどその時に、バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは、スンダリカー河の岸辺で聖火をまつり、火の祀りを行っていた。
 
 さてバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは、聖火をまつり、火の祀りを行ったあとで、座から立ち、あまねく四方を眺めて言った、
「この供物のおさがりを誰にたべさせようか」と。

 バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは、遠からぬところで尊き師(仏陀)が、ある樹の根もとで頭まで衣をまとって坐っているのを見た。
見たあとで、左手で供物のおさがりをもち、右手で水瓶をもって、師のおられるところに近づいた。

 そこで師は彼の足音を聞いて、頭の覆いを開いた。

 そのときバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは、「この方は頭を剃っておられる。この方は剃髪者である」と言って、そこから引きかえそうとした。

 しかし、彼はこのように思った、
「この世では、或るバラモンたちは、頭を剃っているということもある。さあ、わたしは彼に近づいてその生れ〔素性〕を聞いてみよう」と。

 そこでバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは師のおられるところに近づいた。

近づいてから師に向かって問うて言った、
「あなたの生まれは何ですか」と。

 そこで師は、バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャに詩を以て説きたもうた。
「わたしはバラモンではないし、王族でもない。わたしはヴァイシャ族(庶民)でもないし、また他の何ものでもない。
 諸々の凡夫の姓を知りつくして、無一物で、熟慮して、世間を遊行する。
 家なく、鬚髪を剃り、重衣を着けて遊行し、自(心)を寂静ならしめて、この世にて人々に染著することなし。
 バラモンよ。(そのような)わたしにあなたが姓をたずねるのは適当ではない」

(バラモンが言った、)
「尊き方よ、私たちバラモンは、バラモンと出会ったとき、『あなたはバラモンではあられませんか』と、たずねるものなのです。

 では、あなたが、もし自らバラモンであるというならば、非バラモンのわたしに答えて言いなさい。
 わたしは、あなたに三句二十四字より成るかのサービッティ讃歌(ヴェダの讃歌)のことをたずねます。
 この世間にて、仙人や王族やバラモンというような人々は、何のために神々にいろいろと供物を献じたのですか」

(師が言われた、)
「究極に達したヴェーダの達人が祭祀(供養)のときに、(世俗の人の)献供を受けるならば、その(世俗の)人の祭祀(供養)は効果をもたらす、とわたくしは説く」

(バラモンが言った、)
「わたくしはヴェーダの達人である方にお目にかかった。実にそのような方に対する(わたくしの)献供は効果があるでしょう。
 (以前に)あなたのような尊い方にお目にかかったことがないので、他の人々に献供の菓子を施していたのです」

(師が言われた、)
「それ故に、バラモンよ、義(真実)を求めるあなたは、私に近づいて問いなさい。ここに、(火の祀りの)煙が消えたように、(怒りが)消えた者、寂静者、苦の無い者、欲求のない者、善慧者を見るであろう」

(バラモンが言った)、
「ゴータマよ。わたくしは祭祀を楽しんでいるのです。祭祀を行おうと望むのです。しかし、わたくしははっきりとは知っていません。あなたはわたくしに教えてください。何にささげた献供が有効であるのか、それをわたくしに説いてください」

(師が言われた、)
「では、バラモンよ、よく聞きなさい。わたくしはあなたに理法を説きましょう。

 生れを問うことなかれ。行いを問え。

 火はあらゆる薪から生ずる。賤しい家に生まれた人でも、智慧ありて道心堅固であり、慙愧をもって悪を止めるならば、高貴の人となり、聖者ともなる。

 真実もて自ら制し、(諸々の感官を)制御し慎み、ヴェーダの奥義に達し、清浄行〔梵行〕を成じた人。このような人々に適当な時に供物をささげよ。
──福(徳)を望むバラモンが祀りを行うならば、このような人を供養するが善い。

 諸々の欲望を捨てて、家なくして行じ、善く自ら慎み、梭(ひ)のように端直なる人々に、適当な時に供物をささげよ。
──福(徳)を望むバラモンが祀りを行うならば、このような人を供養するが善い。

 貪欲を離れ、諸々の感官を寂静にたもち、月がラーフの捕らわれから脱するように(〔諸々の感官の煩悩に〕捕われることのない)人々に、適当な時に供物をささげよ。
──福(徳)を望むバラモンが祀りを行うならば、このような人を供養するが善い。

 執着することなくして、常に正念あり、我がものとして執したものを(すべて)捨て去って、世間を歩く人々に、適当な時に供物をささげよ。
──福(徳)を望むバラモンが祀りを行うならば、このような人を供養するが善い。

 諸々の欲望を捨て、欲にうち勝って行じ、生死のはてを知り、寂静にして、湖水のように清涼なる全き人〔如来〕は、ささげられた供養(の菓子)を受けるにふさわしい。

 全き人〔如来〕は、平等なるもの(過去の目ざめた人々、諸々の仏陀)に等しく、諸々の平等ならざる者から遥かに遠ざかっていて、無限の智慧あり、この世でもかの世にても染著なき全き人〔如来〕は、ささげられた供養(の菓子)を受けるにふさわしい。

 偽りもなく、慢心もなく、貪欲を離れ、我がものとして執着することなく、欲望をもたず、怒りを除き、寂静で、憂いの垢を捨て去ったバラモンである全き人〔如来〕は、ささげられた供養(の菓子)を受けるにふさわしい。

 こころの執着をすでに断って、何ら執らわれるところがなく、この世についてもかの世についても取著なき全き人〔如来〕は、ささげられた供養(の菓子)を受けるにふさわしい。

 こころをひとしく静かにして激流をわたり、最上の知見によって理法を知り、煩悩の汚れを滅しつくして、最後の身体となっている全き人〔如来〕は、ささげられた供養(の菓子)を受けるにふさわしい。

 生存の汚れも、荒々しい言葉も、除き去られ、滅びてしまって、存在しない。ヴェーダに通じた人であり、あらゆることがらに関して解脱している全き人〔如来〕は、ささげられた供養(の菓子)を受けるにふさわしい。

 執着を超えていて、執着をもたず、慢心にとらわれている有情の者どものうちにあって慢心にとらわれることなく、畑及び地所(因縁)と共に、苦しみを知りつくしている全き人〔如来〕は、ささげられた供養(の菓子)を受けるにふさわしい。

 意欲に依らず、遠ざかり離れることを見、他人の教える異なった見解を超越して、(煩悩を起こす)何らの所縁なき全き人〔如来〕は、ささげられた供養(の菓子)を受けるにふさわしい。

 一切の諸法をさとり、それらを除き去り、滅没せしめて、寂静に帰し、執着を滅ぼしつくして解脱している全き人〔如来〕は、ささげられた供養(の菓子)を受けるにふさわしい。

 煩悩の結縛と、迷いの生存への生れ変わりとが滅した究極の境地を見、貪欲・愛欲の道を断って余すことなく、浄らかにして、過ちなく、汚れなく、透明である全き人〔如来〕は、ささげられた供養(の菓子)を受けるにふさわしい。

 自ら自己を観じて己我を認めることなく、こころが等しくしずまり、身体は端正にして自ら安立し、動揺することなく、心の荒みなく、疑惑のない全き人〔如来〕は、ささげられた供養(の菓子)を受けるにふさわしい。

 迷妄(〔無明〕にもとづいて起る障り)は何ら存在せず、あらゆることがらについて智見あり、最後の身体をもち、目出諦無上の覚りを得る──これらによりても、人の霊(こころ)は清らかとなる──全き人〔如来〕は、ささげられた供養(の菓子)を受けるにふさわしい」

(バラモンが言った、)
「あなたのようなヴェーダの達人にお会いできたのですから、わが供物は真実の供養であれかし。
 梵天こそ証人としてみそなわせ。尊き方よ、願わくはわたくしから受けてください。
 尊き方よ。願わくはわたくしの供養の菓子を召し上がってください」


(師が言われた、)
「詩を唱えて得たものを、わたくしは受けて食べてはならない。

 バラモンよ、これは正しく見る人々(目ざめた人々、諸々の仏陀)のなす法ではない。詩を唱えて得たもの〔賃〕を目ざめた人々は斥けたもう。

 バラモンよ。真の道理があるところに、この目ざめた人々の行い〔実践法〕がある。

 全き者である大仙人、煩悩の汚れをほろぼし尽し、悪行による悔恨の消滅した人に対しては、他の飲食物をささげよ。

 けだし、それは福(徳)を積もうと望む者の(福)田であるからである」


(バラモンが言った、)
「尊き方よ。いかなる人がわたくしのような者の施しを受け得る人なのですか。願わくは、わたくしは知りたいのです。
 あなたの教えを受けて、供養時にそのような人を求めて供養したいと思います」

(師が言われた、)
「争いを離れ、心に濁りなく、諸々の欲望を離脱し、ものうさを除き去った人、諸の越境(煩悩)を調伏し、生死を明察し、聖者の徳性を身に具えた、そのような聖者が(供物〔祭祀〕を受けに)来たとき、
 彼に対して眉をひそめて見下すようなことを調伏し、(彼に)合掌し礼拝せよ。飲食物をささげて、(彼を)供養せよ。
 このように行う施しは、成就して果報をもたらす」

(バラモンが言った、)
「目ざめた人(仏陀)であるあなたは、ささげられた供養(の菓子)を受けるにふさわしい。あなたは最上の福(徳)田であり、全世界の布施を受ける人であります。あなたに差し上げた供物は、果報が大きいのです」
スッタニパータ
(バラモンが言った、)
「では、私はこの供物のおさがりを誰に与えたらよいのでしょうか。

(師が言われた、)
「バラモンよ。神々と悪魔と梵天とを含む世界において、修行者・バラモン・神々・人間を含む生けるもののうちで、如来および如来の弟子よりも以外に、この供物のおさがりを受けて食べて完全に消化させ得る人を見出しません。バラモンよ。だから、そなたは、その供物のおさがりを、草のないところに捨てよ。あるいは生き物の棲んでいない水の中に沈めよ」

 そこで、スンダリカ・バーラドヴァージャというバラモンは、その供物のおさがりを、生き物の棲んでいない水の中に沈めた。

 さて、その供物のおさがりが水の中に投げ捨てられたときに、チッチティ、チティ、チティと音を立てて、煙を生じ、湯気を出した。譬えば、日中の太陽に熱せられた鉄板に投げ込むと、チッチティ、チティ、チティと音を立てて、煙を生じ、湯気を出すかのように、同様に水の中に投げ込まれた供物のおさがりは、チッチティ、チティ、チティと音を立てて、煙を生じ、湯気を出した。

 そこで、スンダリカ・バーラドヴァージャというバラモンは、ぞっとして、髪の毛もよだち、尊師のもとに赴いた。近づいてから、傍らに立っていた。

 傍らに立っていたスンダリカ・バーラドヴァージャというバラモンに向かって、尊師は詩を以て呼びかけた。


「バラモンよ、木片を焼いたら清浄が得られると考えるな。

 それは単に外的に関することだからである。

 外的〔外物〕なことによって清浄が得られると考える人は、実はそれによって清らかさを得ることができない、と真理に熟達した人々は語る。

 バラモンよ。わたくしは(外的に)木片を焼くことをやめて、内面的な火を燃やす。

 常〔一切智〕の火をともし、常に(静かに)統一していて、阿羅伽(敬まわれる人)として、わたくしは清浄行〔梵行〕を実践する。

 バラモンよ。そなたの慢心は重荷である。

 怒りは煙であり、嘘言は灰である。

 舌は木勺であり、心は(供物のための)火炎である。

 よく自己をととのえた人こそが、人間の光輝(火)である。

 濁りなく澄み、常に善き人・立派な人々から称賛されている。

 そこに聖者が来たりて沐浴し、五体を清浄ならしめて、彼岸に渡る。

 真実と、法と、自制とは、清浄行である、──

 バラモンよ。これは中道に依り、最勝を生ずるものである。

 このような善にして、質直な人々を敬え。

 その人を、わたくしは、法に従って行く人であると説く」


そのように言われて、バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは、尊き師に向かって次のように言った。
「素晴らしいことです、ゴータマ(仏陀)さま。素晴らしいことです、ゴータマさま。あたかも倒れた者を起すように、覆われたものを開くように、方角に迷った者に道を示すように、ゴータマさまは種々のしかたで理法を明らかにされました。わたくしはゴータマさまに帰依したてまつる。また法と修行僧のつどいに帰依したてまつる。
わたくしはゴータマさまのもとで出家し、完全な戒律を受けたいのです」

 そこでバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは、師のもとで出家し、完全な戒律を受けた。

 それから、スンダリカ・バーラドヴァージャさんは、独りで他から遠ざかり、怠ることなく精励し専心していたが、まもなく、無上の清らかな行いの──諸々の立派な人たち(良家の子・善男子)はそれを得るために正しく家を出て家なき状態に赴いたことの──究極を現世において自らさとり、証し、具現して、日を送った。

「生れることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。なすべきことをなしおえた。もはや再びこのような生存を受けることはない」とさとった。

 そうしてスンダリカ・バーラドヴァージャさんは聖者の一人となった。
サンユッタ・ニカーヤ 



  学生プンナカの質問

尊者プンナカがたずねた、
「動揺することなく、根本を達観せられたあなたに、おたずねしようと思って参りました。仙人や常の人々や王族やバラモンは、何のゆえにこの世間にて盛んに諸天の神々に供養を捧げたのですか。世尊よ、あなたにおたずねします。それを私に説いてください」

世尊が言われた、
「プンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンが、この世間にて盛んに諸天の神々に供養を捧げたのは、われらの現在のこのような(人・天の)生存状態を希望しつつ、老(死)に依著して、供養を捧げたのである」

尊者プンナカが言われた、
「世尊よ、およそこの世間にて仙人や常の人々や王族やバラモンが盛んに諸天の神々に供養を捧げましたが、祭祀の道において怠らなかった彼らは、生と老(死)とをのり超えたのでしょうか。尊き方よ。あなたにおたずねします。それを私に説いてください」

世尊が言われた、
「プンナカよ。彼らは希望し、称讃して、献供する。利得を得ることに縁りて、欲望を達成しようと望んでいるのである。彼ら供儀に専念している者どもは、この世の生存を貪って止まない。彼らは生や老(死)を乗り越えていない、とわたくしは説く」

尊者プンナカが言われた、
「もしも供儀に専念している彼らが、祭祀によっても生と老(死)とを乗り越えていないのでしたら、尊き方よ、では諸天の神々と人間の世界のうちで生と老(死)とを乗り越えたのは誰なのですか。世尊よ、あなたにおたずねします。それを私に説いてください」

世尊が言われた、
「プンナカよ、この世間にて彼自ら此(の状態)を観察しさとって、世の中で何ものにも動揺することなく、安らぎに帰し、(怒りの)煙なく、苦悩なく、求めることのない人、彼は生と老(死)とを乗り越えた、とわたくしは説く」
スッタニパータ



  ナディー・カッサパ長老 

 仏陀は私の利益のために、ネーランジャラー河に来られ、私はその教えを聞いて、邪見を除き去った。

 以前に私は種々の犠牲を供し、祭祀を行なっていた。私は火の献供をも実行していた。”これは清浄なことである”と考えながら。わたしは盲目の凡夫であった。

 邪見の密林に迷い入り、(戒禁)取のために惑い、盲目にして無知であった私は、不浄を”清浄である”と考えこんでいた。

 私の邪見は捨てられた。迷いの生存はすべて壊滅された。私は、いま(真に)布施に値する(功徳のある)火(神)の供養を行い、修行完成者に礼拝する。

 私は、迷妄をすべて捨て去った。生存に対する渇愛〔妄執〕をうち破り、生まれを繰り返す迷いの生存〔輪廻〕は滅びてしまった。今や迷いの生存を再び繰り返すことはない。


 〔カッサパ兄弟の次男であり、三百人の火の行者たちとともに、ネーランジャラ河畔に住んでいたが、兄弟とともに仏陀に帰依した。〕




  ガヤー・カッサパ長老  

 早朝と日中と夕方と、日に三度、私はガヤーにて、ガヤーのパッグナ月に、水の流れに入って沐浴した。

 ”かつて私の他の諸生存において犯した罪悪業を、この水に流してしまおう”と、私は以前にこのような見解を持っていた。

 (仏陀の)善く説かれた言葉、真理と道理をともなう道を聞いて、その真正なる真理に即した道理を、正しく観察し反省した。

 私は、いまや、あらゆる罪悪を洗い除き、汚れなく、潔白となり、浄らかであり、清浄なる人の清浄なる後つぎであり、仏陀の実子である。

 八の支分より成る流れ(八聖道)のうちに入りて、私はあらゆる罪悪業を流し去った。私は三種の明知に通達し、仏陀の教えは成し遂げられた。


 〔カッサパ兄弟の三男であり、二百人の火の行者をひきいていたが、二人の兄とともに仏陀に帰依した。〕




  ウルヴェーラ・カッサパ  

 世に名声あるゴータマの驚異的なはたらき〔神通力〕を見たが、私は嫉妬と傲慢にあざむかれて、最初のうちはひれ伏すことをしなかった。

 私が(嫉妬と傲慢にあざむかれて)思惟しているのを知って、人間たちの御者(仏陀)は、私に忠告した。そこで、私に不思議な、身の毛のよだつ感激が起った。

 以前に私は結髪外道として、私の神通力は微細なものであった。(釈尊に忠告された、)そのとき、私はそれを捨て去って、勝利者(仏陀)の教えにおいて出家した。

 以前は祭祀を行なうことに満足し、欲望の領域〔欲界〕に心が惑わされていたが、後にその貪欲と怒りと無知〔無明による愚かさ〕とを捨てた。

 私は前世の状態を知った。すぐれた眼(天眼)は浄められた。神通力ありて、他人の心を知り、すぐれた聴力(天耳)をも獲得した。

 私は、これを得るために在家の生活から出て出家したその利は、私によりて達せられた。(私は)あらゆる結縛を消滅したものである。


 〔カッサパ兄弟の長兄であり、火の献供を行なう五百人の行者の長であったが、仏陀の教化により出家した。〕
テーラーガーター



  火を拝する者

 ある時、ラージャガハ(王舎城)のヴェールヴァナ(竹林)なる栗鼠養餌所に留まっておられた。

 その時、〈火を拝する者〉と称されるバーラドヴァージャ・バラモンは、火(神)に拝する供儀を行なうため、乳酪(ミルク)で米飯を煮た物を、火(神)への供物として用意していた。

 その時、世尊は、朝早く、衣を着け、鉢を持って、托鉢のためにラージャガハに入った。そして、各戸ごとに托鉢して、〈火を拝する者〉と称せられるバーラドヴァージャ・バラモンの家に到り、その傍らに立った。

〈火を拝する者〉と称せられるバーラドヴァージャ・バラモンは、世尊の托鉢する姿を見て、偈をもって世尊に言った。
「よく三つの智慧を具し、生れも高く、多聞にして、明と行とを具する人こそ、わが乳飯を受けて食べよ」と。


世尊は、偈をもって、次のように説きたもうた。
「様々の駄呪を唱えても、内は不浄のほこりに満ち、外は虚偽と欺瞞に覆われる。
 バラモンは生まれによるにあらず、よく前世のこと〔宿命〕を知り、また、天と地獄を知り、さらに生死の滅に達する。
 これら三種の智慧を持つ人をこそ、三明のバラモンと言うのである。
 このように明行を具する者に、「わが乳飯を受けよ」と言うが善い」


(バーラドヴァージャ・バラモンは言った、)
「では、尊者ゴータマよ、この食を受けたまえ。尊者はまさしくバラモンである」

世尊は言われた、
「私は偈を唱えて、食を得るものにあらず、
 バラモンよ、そのような行いは知見あるものの法にあらず。
 諸々の仏陀は、偈を唱えてのその賃をしりぞく。
 バラモンよ、ただ法に住する。これその生活の道である。
 諸々の煩悩つきて、もはや後悔・悩み無き、全き大聖者をば、他の飲食をもって奉仕せよ、
 これは功徳を求める者の福田だからである」

そのように教えられて、〈火を拝する者〉と称せられるバーラドヴァージャ・バラモンは、世尊に申し上げた。
「友ゴータマよ、素晴らしいかな。友ゴータマよ、素晴らしいかな。
 友ゴータマよ、たとえば、倒れたるを起こすがごとく、覆われたるをあらわすがごとく、迷える者に道を示すがごとく、あるいは、暗闇のなかに燈火をもたらして、「眼あるものは見よ」と言うように、そのように、友ゴータマは、様々な方便をもって法を説きたもうた。
 私は、尊者ゴータマと、法と比丘僧伽とに帰依いたします。
 願わくは、私もまた、尊者ゴータマの御許において出家して、比丘の戒を受けさせてください」




  サンガーラヴァ

 サーヴァッティが縁の場所である。

 その時、サンガーラヴァという名のバラモンが、サーヴァッティ市に住んでいた。水によりて身を清める行者であり、水によりて清浄を得ようと求め、彼は朝夕に水に入りて沐浴することを実行していた。

 その時、アーナンダ尊者は、早朝に衣を着け、鉢を取り、托鉢のためにサーヴァッティー市に入って行った。サーヴァッティー市で托鉢をして、食事をすませ、鉢を片付け、尊師のもとに赴いた。近づいてから、尊師に礼し、傍らに坐した。

傍らに坐したアーナンダ尊者は、尊師に次のように言った、
「世尊よ、ここにサンガーラヴァという名のバラモンが、サーヴァッティ市に住んでおり、水によりて身を清める行者であり、水によりて清浄を得ようと求め、朝夕に水に入りて沐浴を行っています。世尊よ、どうか師よ、哀憫を垂れて、サンガーラヴァというバラモンの住居にお出かけくださいませ」と。

 尊師は、沈黙によってそれを承認された。

 時に、尊師は朝早く衣を着け、鉢と衣とを身に受けて、サンガーラヴァというバラモンの住居に赴いた。近づいてから、予め設けられた座席に坐した。
 そこで、サンガーラヴァというバラモンは、尊師のもとに赴いた。近づいてから、尊師に挨拶し、喜ばしい話を交して、傍らに坐した。

傍らに坐したサンガーラヴァというバラモンに対して、尊師は次のように言われた、
「バラモンよ。あなたは水によりて身を清める行者であり、水によりて清浄を得ようと求め、朝夕に水に入りて沐浴の行を行なっているというのは、本当ですか」

「ゴータマさま。そのとおりです」

「バラモンよ。あなたは、どのような利益を認めて、水によりて身を清める行者となり、水によりて清浄を得ようと求め、朝夕に水に入りて沐浴の行を行なっているのですか」

「ゴータマさま。ここに、わたくしは、昼間に作った悪業を夕に沐浴して洗い落とし、夜に作った悪業を朝早くに沐浴して洗い落とすのです。ゴータマさま。この利益を見るがゆえに、わたくしは、水によりて身を清める行者となり、水によりて清浄を得ようと求め、朝夕に水に入りて沐浴を行なっているのです」

「バラモンよ。戒しめを渡し場としている”道理〔八聖道・真理・理法〕”なる湖は、汚れ無く澄み、常に諸々の善人が讃めたたえられる。
 そこでは、(真の智慧をもつ)聖者たちが来て、沐浴を行い、(道理〔八聖道・真理・理法〕によって、)五体を浄めて彼岸に渡る」

 このように説かれたとき、サンガーラヴァというバラモンは、尊師に向かって次のように言った、
「素晴らしいことです、ゴータマさま。素晴らしいことです、ゴータマさま。譬えば、倒れたものを起すように、覆われたものを開くように、方角に迷った者に道を示すように、あるいは、『眼ある人々は、色や形を見るであろう』と言って暗闇の中で灯火をかかげるように、ゴータマさまは種々のしかたで理法を明らかにされました。
 ゆえに、わたくしはゴータマ尊師に帰依いたします。また真理と修行僧のつどいに帰依いたします。
 ゴータマさまは、私を在俗信者として受け入れてください。今日以後命の続く限り帰依いたします」
サンユッタ・ニカーヤ



  プンニカー尼

プンニカー尼は言った、
「水汲み女として、私は寒い時にも、常に水の中に入りました。貴婦人達から罰せられるのを恐れおののいて、また、言葉で怒りを発せられるのを恐れ悩まされて。
 バラモンよ、そなたは誰を恐れ、いつも水の中に入り、手足を震えながら、酷い寒さを忍んでいるのですか」

水浴を為すバラモンは言った、
「尊者プンニカーよ。あなたは私が善なる業を行い、悪なる業を阻み止どめようとしていることを知りながら、しかも、((あえて)そのようなことを)質問している。
 老いた人でも、若き人でも、およそ邪悪の業を行えば、彼は水浴によって(身心を)清くして、邪悪業より脱れることができるのです」

プンニカー尼は言った、
「いかなる者が、無知でありながら、無知なるそなたに、『水浴することによって(身心を)清くして、悪業から脱れることができる』という、このことを説いたのですか。
 では、(もしもそうであるとするならば、) 蛙も、亀も天界に上生するのですか。また、竜や、鰐も、そのほかの水中にもぐるものどもも、すべて天界に赴くのですか。
 (また、もしそうであれば、)屠豚者も、漁夫も、狩人も、盗賊も、死刑執行人も、その他の悪業を為す人々もすべて、水浴によって悪業から脱れることになりましょう。
 もしもこれらの河川の流水が、そなたの前(世)に作した罪悪業を運び去るのであるならば、これらの流水は、善福業をも運び去ってしまうでしょう。それによりて、そなたは(善業と悪業の)外にある者となるでしょう。

 バラモンよ、そなたが恐れていつも水中に入りて行ずるそのことをなさるな。バラモンよ、寒気がそなたの皮膚を害なわないようになさい」

バラモンは言った、
「邪まな道を踏み行く私に、あなたは(正しく)尊い道を示してくださいました。尼さま。私はこの清らかな水浴衣をあなたに差し上げます」

プンニカー尼は言った、
「(水浴のための)この衣はあなたのものになさい。私はその衣を欲しません。もしもそなたが苦しみを恐れ、苦しみを厭うならば、
 あらわ〔公け〕にも、あるいは、秘密〔私事〕にでも、邪悪の業をなさいますな。もしも、そなたが邪悪の業を作すならば、あるいは、現に作すならば、
 あなたは、知りて空中に飛び上がって逃げても、苦しみから脱れることはできません。もしも、あなたが苦しみを恐れ、もしもあなたが苦しみを厭うならば、
 仏陀に帰依し、(仏陀の)理法と、修行者の集いとに帰依し、諸々の戒しめをたもちなさい。そうすれば、そなたのためになるでしょう」

バラモンは言った、
「私は仏陀に帰依し、真理の教えと、修行者の集いとに帰依し、諸々の戒しめをたもちます。そうすれば、私のためになるでしょう。
 前に、私は梵天の親族であったが、いまでは、私は(真の)バラモンである。私は、三種の明知を知り、智慧を得た、(真の)沐浴者であり、学識豊かな(真の)ヴェーダ学者である」




  ケーマー尼

〔悪魔は誘惑して言った、〕
「あなたは、若く、美しく、私もまた若く、青春に富む。さあ、ケーマーよ。われらは、五種の楽器で楽しみましょう」

〔ケーマー尼は答えた、〕
「病にかかり、破壊され易い、腐臭を放つこの身体に、私は悩まされ、煩わされています。しかしながら、欲愛の妄執は根絶やしにされました。

 諸々の欲望は、刀と串とに譬えられる。それらは、(個人存在の五種の)構成要素の集まりの断頭台である。そなたが欲楽と呼んでいるものは、いまや、私を楽しますものではない。

 快楽の喜びは、いたるところで壊排せられ、(無明・無知の)暗黒の塊りは砕かれた。

 波旬よ、このように知れ。滅ぼす者よ、そなたは、打ち敗かされている。

 そなたらは、星宿を崇拝し、森の中で火神に仕え、愚かにして如実にありのままに知ることなく、そのような(不浄の)行いを、”清浄だ” と思い誤まっている。

 しかるに、私は、人中の最上者なる正覚者〔正しく覚とった人〕に敬礼し、師(仏陀)の教えに随う者として行い、あらゆる苦しみから脱れた」


 〔魔王がケーマー尼を誘惑せんとして唱えたるものに、答えて尼が唱えたる偈である〕
テーリーガーター



  結髪行者

 このように私は聞いた。

 ある時、世尊はガヤー市外のガヤーシーサー山〔象頭山〕におられた。

 その時、大勢の結髪外道〔髪を頭も上で束ねた苦行者〕等があり、寒い冬の夜、中間の八日〔一月末の四日および二月初めの四日。一年中の極寒時期の宗教的祭事の習い〕の雪の降る時、身を浄めようと、ガヤー河で浮かんだり、沈んだり、浮かんでまた沈んだり、頭から水をかぶったり、火神を祭りて供養をしたりしていた。

 世尊は、彼ら大勢の結髪行者たちが寒い冬の夜、中間の八日の雪の降る時、身を浄めようと、ガヤー河で浮かんだり、沈んだり、浮かんでまた沈んだり、頭から水をかぶったり、火神を祭りて供養をしたりしているのを御覧になった。

 世尊はそのことを知って、その時に、このウダーナを唱えられた。

 多くの人々が、ここにありて沐浴するが、水によりては清浄にならない。何人にも真実と法とがあれば、彼は清浄である。彼はバラモンである。と。

ウダーナ





















inserted by FC2 system