更訂 H28.1.30



  慈しみについて



 慈悲とは、(仏陀がすべての衆生に対し)、生死輪廻の(あらゆる)苦から解脱させようとするあわれみの心。

 全き安らぎを悟らせようとするあわれみの心です。


 なぜ、あわれみの心なのか。

 解脱(涅槃)は仏陀がそこに連れて行ってあげるというものではなく、

 自分で辿り着かなければならないという事だからです。






  慈しみ

(この護経の威力によって(地上の)神々は恐ろしいものを見せず、昼夜怠ることなくこれをたびたび誦える人が安らかに眠り、
 また睡眠中どのような悪夢も見ることもない、このような徳のある護経を誦えよう。〔上座部護経〕)


 究極の理想〔涅槃〕に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。

(修行(精進)する)能力あり、(身・口・意は)直く、言葉優しく、柔和で、思い上ることのない者であらねばならぬ。

 足ることを知り、〔養いやすく〕わずかの食物で暮し、雑務少なく、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で(思慮があり)、(身・口・意において粗暴なく)高ぶることなく、諸々の人〔信者〕の家で貪欲を起こしてはならない。

 他の識者〔賢者〕の非難を受けるような下劣な行いを決してしてはならない。

 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。

 いかなる生物生類であっても、怯えているものでも、強剛なものでも、ことごとく、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生れたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せ〔安楽〕であれ。

 何ぴとも他人を欺いてはならない。

 たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。

 悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。

 あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)心を起すべし。

 また、一切の世界に対して無量の慈しみの意〔こころ〕を起すべし。

 上に、下に、横に、(また内・外に)障害なく怨みなく敵意なき(慈しみを行うべし)。

 立っていても、歩いていても、坐っていても、横臥していても、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)念を堅実〔堅固〕にたもて。

 この世では、この状態を崇高な境地〔梵住・最勝の生き方〕と呼ぶ。

 (この慈しみの修習を行い)諸々の邪まな見解・我見にとらわれず、戒めを保ち、見るはたらき〔知見〕を具え、諸々の欲望に対する貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう。


スッタニパータ 慈経




















inserted by FC2 system