未 更訂 H29.1.27
過去の仏陀について 『諸行は無常である。 これは生滅の法にして、生じては滅する。 それらの寂静・寂滅が楽である』 ヴェープッラ山 ある時、世尊はラージャガハ〔王舎城〕の、ギッジャクータ山〔霊山・霊鷲山〕に住していた。 そこで、世尊は比丘たちに呼びかけられた。 世尊は、このように仰せられた、 「比丘たちよ、この輪廻は始めがなく、無明に覆われ、愛欲に縛られ、流転し輪廻して、(衆生の)始源は知られない。 比丘たちよ、その昔、このヴェープッラ山(のように、仏陀が住する山)は、パーチーナヴァンサ山と呼ばれていた。 比丘たちよ、その時、人々は、ティヴァラ(国・町の)人と呼ばれていた。 比丘たちよ、ティヴァラの人々は四万年の寿命を持っていた。 比丘たちよ、ティヴァラの人々は、四日にしてパーチーナヴァンサ山に登り、四日にして降りていた。 比丘たちよ、その時、カクサンダ世尊・応供・正等覚者が世に出現したもうた。 比丘たちよ、カクサンダ世尊・応供・正等覚者は、ヴィドゥラと、サンジーヴァという名前の、二人の善き上足(の弟子)があった。 比丘たちよ、見よ、その山の名は消滅し、また、かの(ティヴァラの)人々も亡没した。 そして、かの世尊もまた、般涅槃したもうた。 比丘たちよ、このように、諸行は無常である。 比丘たちよ、このように、諸行は不定である。 比丘たちよ、このように、諸行は(全き)安らぎがないのである。 比丘たちよ、このように、一切諸行は厭うに足り、厭離するに足り、離脱するのに足りるのである。 (それゆえに、比丘たちよ、一切諸行において、まさに厭離を修習し、離貪し、解脱せよ。) 比丘たちよ、その昔、このヴェープッラ山(のように、仏陀が住する山)は、ヴァンカカ山と呼ばれていた。 比丘たちよ、その時、人々は、ローヒタッサ(国・町の)人と呼ばれていた。 比丘たちよ、ローヒタッサの人々は三万年の寿命を持っていた。 比丘たちよ、ローヒタッサの人々は、三日にしてヴァンカカ山に登り、三日にして降りていた。 比丘たちよ、その時、コーナーガマナ世尊・応供・正等覚者が世に出現したもうた。 比丘たちよ、コーナーガマナ世尊・応供・正等覚者は、ビッヤと、スッタラという名前の、二人の善き上足(の弟子)があった。 比丘たちよ、見よ、その山の名は消滅し、また、かの(ローヒタッサの)人々も亡没した。 そして、かの世尊もまた、般涅槃したもうた。 比丘たちよ、このように、諸行は無常である。 比丘たちよ、このように、諸行は不定である。 比丘たちよ、このように、諸行は(全き)安らぎがないのである。 比丘たちよ、このように、一切諸行は厭うに足り、厭離するに足り、離脱するのに足りるのである。 (それゆえに、比丘たちよ、一切諸行において、まさに厭離を修習し、離貪し、解脱せよ。) 比丘たちよ、その昔、このヴェープッラ山(のように、仏陀が住する山)は、スパッサ山と呼ばれていた。 比丘たちよ、その時、人々は、スッピヤ(国・町の)人と呼ばれていた。 比丘たちよ、スッピヤの人々は二万年の寿命を持っていた。 比丘たちよ、スッピヤの人々は、二日にしてスパッサ山に登り、二日にして降りていた。 比丘たちよ、その時、カッサパ世尊・応供・正等覚者が世に出現したもうた。 比丘たちよ、カッサパ世尊・応供・正等覚者は、ティッサと、バーラドヴァージャという名前の、二人の善き上足(の弟子)があった。 比丘たちよ、見よ、その山の名は消滅し、また、かの(スッピヤの)人々も亡没した。 そして、かの世尊もまた、般涅槃したもうた。 比丘たちよ、このように、諸行は無常である。 比丘たちよ、このように、諸行は不定である。 比丘たちよ、このように、諸行は(全き)安らぎがないのである。 比丘たちよ、このように、一切諸行は厭うに足り、厭離するに足り、離脱するのに足りるのである。 (それゆえに、比丘たちよ、一切諸行において、まさに厭離を修習し、離貪し、解脱せよ。) 比丘たちよ、現在、(仏陀が住する)このヴェープッラ山は、ヴェープッラ山と呼ばれている。 比丘たちよ、現在、人々はマガダ国の人と呼ばれている。 比丘たちよ、マガダの人々の寿命は少なく、わずかである。 比丘たちよ、マガダの人々は、一時にしてヴェープッラ山に登り、一時にして降りてくる。 比丘たちよ、現在、世尊・応供・正等覚者である、私が世に出現している。 比丘たちよ、私に、サーリプッタ(舎利弗)と、モッガラーナ(目犍連)という名前の、二人の善き上足(の弟子)がある。 比丘たちよ、この山の名は消滅し、また、かの人々も死に、そして、私もまた、般涅槃するだろう。 比丘たちよ、このように、諸行は無常である。 比丘たちよ、このように、諸行は不定である。 比丘たちよ、このように、諸行は(全き)安らぎがないのである。 比丘たちよ、このように、一切諸行は厭うに足り、厭離するに足り、離脱するのに足りるのである。 (それゆえに、比丘たちよ、一切諸行において、まさに厭離を修習し、離貪し、解脱せよ)」 世尊はこのように説かれた。 涅槃に達した人〔善逝〕は、このように仰せられ、更にこのように説かれた、 「ティヴァラ(の人々)に、パーチーヴァンサ(山)、 ローヒタッサ(の人々)に、ヴァンカカ(山)、 スッピヤ(の人々)に、スパッサ(山)、 マガダ(の人々)に、ヴェープッラ(山)と呼ばれる。 (このように、)諸行は無常である。 これらは生滅の法にして、生じては滅する。 それらの寂静・寂滅が楽である」と。 雑・相応 無始相応
過去の七仏陀(の名称)について 第一仏陀、ヴィパッシ仏陀 〔ヴィパシュイン仏陀・毘婆尸(びばし)仏陀〕 第二仏陀、シキ仏陀 〔シキン仏陀・尸棄(しき)仏陀〕 第三仏陀、ヴェッサブ仏陀 〔ヴィシュヴァブー仏陀・毘舎浮(びしゃぶ)仏陀〕 第四仏陀、カクサンダ仏陀 〔クラクッチャンダ仏陀・拘留孫(くるそん)仏陀〕 第五仏陀、コーナーガマナ仏陀〔カナカムニ仏陀・拘那含牟(くなごんむに)尼仏陀〕 第六仏陀、カッサパ仏陀 〔カーシャパ仏陀・迦葉(かしょう)仏陀〕 第七仏陀、ゴータマ仏陀 〔シャーキャムニ仏陀・釈迦牟尼(しゃかむに)仏陀〕 (過去二十五仏陀の中、ゴータマ仏陀より先の七仏陀) アーターナーティヤ・スッタ 未 |