更訂 H28.12.9



  教えを正しく実践する人と、邪まに実践する人との大きな違い



『如来は教えを説くとき、愛好と嫌悪と(の感情によりて説くこと)をせず、愛好と嫌悪から離れて教えを説かれます。
 このように、(如来が)教えを説くとき、そこにおいて正しく(教えを)実践する人々は、(真理を)覚とります。
 しかしながら、邪まに(教えを)実践する人々は、(悪の生存に)堕ちるのです



如来が(説法を聞く)会衆を(ただ)見守っているだけならば、覚とるべき人々を覚とらせることはできません。
 そうではなくて、邪まに実践する人々を遠ざけて、これらの覚とるべき人々を覚とらせるのです。


 そして、彼ら邪まに実践する人々は、自己の為した行為によりて、(悪の生存に)堕ちるのです。


『如来は一万の神々や人々の世界に、不死の教えの布施をされました。

 全て有能なる者は、不死の法施によりて覚とるが、全て無能なる者は、不死の法施によりて破滅し、堕ちるのです。





  如来(仏陀)の一切の有情を益する行いの問

「尊者ナーガセーナよ、あなた方は『如来は、全ての生ける者たちから不利益を遠ざけ、彼らに利益を与える』と言います。

 しかるにまた、あなた方は『火の塊りの譬えの教えが説かれたとき、六十人の比丘は執着なくして漏〔煩悩〕から心解脱した。 (六十人の比丘は修学をやめて俗に還った。)六十人の比丘は口から熱血を吐いた』と言います。

 尊者よ、如来が火の塊りの譬えの教えを説き示したことによりて、(仏陀は)六十人の比丘から不利益を遠ざけ、彼らに利益を与えたもうたのです。

 尊者ナーガセーナよ、もしも、如来が全ての生けるものたちから不利益を遠ざけ、彼らに利益を与えるならば、しからば、『火の塊りの譬えの教えが説かれたとき、六十人の比丘は口から熱血を吐いた』というその言葉は誤りです。

 もしも、火の塊りの譬えの教えが説かれたとき、六十人の比丘が口から熱血を吐いたのであるならば、しからば、『如来は全ての生けるものたちから不利益を遠ざけ、彼らに利益を与える』というその言葉もまた誤りです。

 これもまた、両刀論法の問いであって、あなたに提出されました。これは、あなたが解明すべきものであります」

「大王よ、如来は、全ての生けるものたちから不利益を遠ざけ、彼らに利益を与えます。
 しかるに、火の塊りの譬えの教えが説かれたとき、六十人の比丘は口から熱血を吐きました。
 しかしながら、それは、如来の加害によるのではなく、彼ら自身の為したことによるのです」

「尊者ナーガセーナよ、もしも、如来が火の塊りの教えを説かれなかったならば、彼らは口から熱血を吐いたでしょうか」

「大王よ、そうではありません。彼ら邪まな修行者が如来の教えを聞いて、身体に熱悩を生じ、その熱悩によりて、彼らは口から熱血を吐いたのです」

「尊者ナーガセーナよ、しからば、如来のなされたそのことによりて、彼らは口から熱血を吐いたのです。
 その場合、如来こそ、彼らを破滅に至らしめた動力因です。

 尊者ナーガセーナよ、たとえば、ヘビが蟻塚の中に入ったとしましょう。そのとき、他のある男が土を(とろうと)欲して、蟻塚を壊して、土を運び出すでしょう。
 彼が土を運び出すことによりて、蟻塚の穴を塞ぐならば、そのとき、ただちに彼(蛇)は息を吸うことができずに死ぬでしょう。
尊者よ、その蛇は、この男のなしたことによりて、死に至ったのではないでしょうか」

「大王よ、そうです」

「尊者ナーガセーナよ、それと同様に、その場合、如来こそ、彼らを破滅に至らしめた動力因です」

「大王よ、如来は教えを説くとき、愛好と嫌悪と(の感情によりて説くこと)をせず、愛好と嫌悪から離れて教えを説かれます。

 このように(如来が)教えを説くとき、そこにおいて正しく(教えを)実践する人々は、(真理を)悟ります。
 しかしながら、邪まに(教えを)実践する人々は、(悪の生存に)堕ちるのです。

 大王よ、たとえば、ある男がマンゴー樹、ジャンブ樹、あるいはマドゥカ樹をゆすぶるとき、その場合に、強固で固着している果実は、落ちないで(樹に)止まるであろうが、しかしながら、その場合に、果軸の本が腐ってよく固着していない果実は、落ちるでしょう。

 大王よ、それと同様に、如来が教えを説くとき、愛好と嫌悪と(の感情によりて説くこと)をせず、愛好と嫌悪から離れて教えを説かれます。
 このように(如来が)教えを説くとき、そこにおいて正しく(教えを)実践する人々は、(真理を)覚とります。
しかし、邪まに(教えを)実践する人々は、(悪の生存に)堕ちるのです。

 大王よ、さらにまた、たとえば、農夫が穀物を収穫しようと欲して、田を耕すとしよう。
 彼が耕作するとき、幾百千の草が死滅します。
 大王よ、それと同様に、如来はその意の成熟した人々を覚とらせるために教えを説き、愛好と嫌悪から離れて教えを説かれます。
 このように(如来が)教えを説くとき、そこにおいて正しく(教えを)実践する人々は、(真理を)覚とります。
 しかし、邪まに(教えを)実践する人々は、草のごとく死滅します。

 大王よ、さらにまた、たとえば、人々が(甘)味を得るために、甘蔗〔サトウキビ〕を機会にかけて、圧縮するとしよう。
 彼らが甘蔗を圧縮するとき、その機械の口にはいった虫は圧縮されます。

 大王よ、それと同様に如来は意の成熟した人々を覚とらせるために、教えの機械で、(彼らを)圧縮します。
 その場合、邪まに(教えを)実践する人々は、虫のごとく死にます」

「尊者ナーガセーナよ、彼ら(六十人の)比丘たちは、その説法によりて、(悪の生存に)堕落したのではありませんか」

「大王よ、それでは、大工が材木を(ただ)見守っているだけならば、彼は(材木を)まっすぐにして、使用し易いようにすることができるでしょうか」

「尊者よ、そうではありません。尊者よ、除くべきところをとり去って、このようにして、この大工は材木をまっすぐにして、使用し易いようにするのです」

「大王よ、それと同様に、如来が(説法を聞く)会衆を(ただ)見守っているだけならば、覚とるべき人々を覚とらせることはできません。


 そうではなくて、邪まに実践する人々を遠ざけて、これらの覚とるべき人々を覚とらせるのです。
 大王よ、そして、彼ら邪まに実践する人々は、自己の為した行為によりて、(悪の生存に)堕ちるのです。

 大王よ、たとえば、芭蕉・竹・牝騾馬が自己より生じたものによりて滅びるごとく、大王よ、それと同様に、かの邪まに実践する人々は、自己の為した行為によりて滅び、(悪の生存に)堕ちるのです。

 大王よ、たとえば、盗賊が自己の為した行為によりて、目の摘出、くし刺し、打ち首(の刑)に処せられるごとく、大王よ、それと同様に、かの邪まに実践する人々は、自己のなした行為によりて滅び、勝者(仏陀)の教えから堕ちるのです。

 大王よ、かの六十人の比丘が口から熱血を吐いたのは、尊き師(仏陀)のなした行為そのものによるのではなく、他人の為した行為によるものでもありません。
 ただ自己の為した行為そのものによるのです。

 大王よ、たとえば、ある人が全ての人々に不死(の食物)を与えるとしよう。
 彼らはその不死(の食物)を食べて、無病・長寿となり、全ての病気から逃れるでありましょう。
 しかしながら、他のある者はそれを食べ、不消化のために死に至でありましょう。

 大王よ、不死(の食物)を与えたかの人は、その(布施の)原因によりて、何かの不善を犯したでしょうか」

「尊者よ、そうではありません」

「大王よ、それと同様に、如来は一万の神々や人々の世界に、不死の教えの布施をされました。
 そして、全て有能なる者は、不死の法施によりて悟るが、全て無能なる者は、不死の法施によりて破滅し、堕ちるのです。
 大王よ、食物は、全ての生けるものたちの生命を守護し、ある者はそれを食べて、コレラにかかって死にます。

 大王よ、食物を布施する者は、その(布施の)原因によりて、何かの不善を犯すでしょうか」

「尊者よ、そうではありません」

「大王よ、それと同様に、如来は一万の神々や人々の世界に、不死の教えの布施をされました。

 そして、全て有能なる者は、不死の教えによりて悟る。
 しかし、全て無能なる者は、不死の教えによりて破滅し、堕ちるのです。

「もっともです。尊者ナーガセーナよ、(あなたの所論は)まさにそのとおりだ、と私は認めます」


ミリンダ王問経





















inserted by FC2 system