更訂 H28.12.13
両親の恩に報いるための最上の報恩について 両親とはどのよう存在であるのか。 また、人生という短い間で、その両親に對して、どのようにすれば最上の恩をかえすことができるのか。 『両親は、息子たちにとり、大いなる助力者であり、保護者であり、養育者であり、この世界の導き手ある。 両親に、信仰(善法・理法・真理)がなければ、信仰(善法・理法・真理)の達成へと誘い導いて、住させて、安住させる。 振舞い(・素行・普段の行い)が悪ければ、戒めの達成へと誘い導いて、住させて、安住させる。 物惜しみ(ケチ・吝嗇)であれば、施しの達成へと誘い導いて、住させて、安住させる。 智慧(真理を見きわめる認識力)が浅ければ、智慧の達成へと誘い導いて、住させて、安住させる。 そのようにして両親に對して、何事かを成して償いを果たし、大いに(恩に)報いた。ということになる』 『母、または父を、道理に従いて養う人は、両親に對するその奉仕によりて、 この世では、賢者が彼を称讃し、死後は天にありて楽しむ』 報 恩 「比丘たちよ、あなたたちに、善ならざる人の立場と善なる人の立場とを示すことにしよう。 それを聞いて、よく考えてみなさい。私は説くことにしよう」 「わかりました、尊師よ」と、その比丘たちは、世尊に答えた。 世尊は、このように言われた、 「比丘たちよ、いかなるものが善ならざる人の立場なのであろうか。 比丘たちよ、善ならざる人は、恩を知らず、恵みに気づかずにいる。 比丘たちよ、恩を知らないこと、恵みに気づかないこと、これが要するに、善ならざる人の立場なのである。 比丘たちよ、善なる人は、恩を知り、恵みに気づいている。 比丘たちよ、恩を知ること、恵みに気づくこと、これがまさしく実ある人々が習いとすることなのである。 比丘たちよ、恩を知ること、恵みに気づくこと、これが要するに善なる人の立場なのである。 比丘たちよ、私は、この二人にたいしては容易に償いを成すことができないと言明する。 どのような二人にたいしてであろうか。 母親と父親とにたいしてである。 比丘たちよ、百歳寿命のある人が、百年の間生き長らえて、一方の肩に母親を担い、一方の肩に父親を担うとしよう。 その人が、香油を塗り、摩り、沐浴させ、揉みほぐして、彼らの世話をするとしよう。 彼らは、そのままそこで、尿や糞を排泄することがあるかもしれない。 しかし、比丘たちよ、それだけでは、両親に對して、何事かを成した、あるいは償いを果たした、ということにはならないのである。 比丘たちよ、両親を、七の宝に満ちたこの大地で自在の権力を有する帝王の位に就けるとしよう。 しかし、比丘たちよ、それだけでは、両親に對して、何事かを成した、あるいは償いを果たした、ということにはならないのである。 それは何ゆえであろうか。 比丘たちよ、両親は、息子たちにとり、大いなる助力者であり、保護者であり、養育者であり、この世界の導き手なのだからである。 比丘たちよ、両親に、信仰(善法・理法・真理)がなければ、信仰(善法・理法・真理)の達成へと誘い導いて、住させて、安住させる。 振舞い(・素行・普段の行い)が悪ければ、戒めの達成へと誘い導いて、住させて、安住させる。 物惜しみであれば、施しの達成へと誘い導いて、住させて、安住させる。 智慧(真理を見きわめる認識力)が浅ければ、智慧の達成へと誘い導いて、住させて、安住させる。 比丘たちよ、そのようにして、両親に對して、何事かを成して償いを果たし、大いに(恩に)報いた。ということになるのである」 アングッタラ・ニカーヤ
〔善法・理法・真理を知ったならば、それを両親にも伝えて、両親を善の道(善法・理法・真理、○三宝)へと誘い導くべし。 両親を善法(理法・真理)へと住させて安住させる。 そのように成せば、真に両親に對して大いに恩に報いる、ということになるのである。 という、仏陀の教えです。〕 【きまりに従いて食を求め、きまりに従いて食を求めては両親を養っている人は、多くの功徳を生じます。】 父母を養う人 サーヴァッテイー市が縁の場所である。 ときに、父母を養っているあるバラモンが、尊師のもとに赴いた。 近づいてから、尊師に挨拶して、喜びの言葉、思い出の話をして、かたわらに坐した。 かたらわに坐した、父母を養っているバラモンは、尊師にこのように言った、 「ゴータマ様。わたくしは、きまりに従いて托鉢して食を求めます。 きまりに従いて托鉢し食を求めて、両親を養っています。 わたくしは、このようにしていますが、為すべきつとめを果しているのでしょうか」 尊師このように仰せられた、 「バラモンよ。 たしかに、そなたは為すべきつとめを果しているのです。 きまりに従いて食を求め、きまりに従いて食を求めては両親を養っている人は、多くの功徳を生じます。 母、または父を、道理に従いて養う人は、両親に對するその奉仕によりて、 この世では、賢者が彼を称讃し、死後は天にありて楽しむ」 このように言われたので、父母を養っているバラモンは尊師に向かってこのように言った、 「尊き方よ、すばらしいことです。尊き方よ、すばらしいことです。 尊き方よ、たとえてみれば、倒れた者を起こすように、覆われたものを開くように、迷った者に道を教えるように、眼ある者は諸々のかたちを見るであろうと言って、闇のなかに燈火を持ってくるように、このように尊き方はさまざまな方法で教えを明らかにされました。 故に、わたしは尊師に帰依いたします。教えと比丘の僧団とに帰依いたします。 尊師はわたしたちを終生帰依をした在家の信者として受け入れてください。今日以後命の続く限り帰依いたします」と。 サンユッタ・ニカーヤ
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