一般的な事柄に関しての教えについて



 経典等(聖者の教え)に関して、現在と、経典に記されている当時では、そもそも時代が違うから教えとして現代に通じるのかどうか。

 という疑問が生じることがあるかもしれませんが、時代が代わり、生活が豊になっても、生きとし生けるものには、生、老、病、死があります。

 人間としての生存で味わう喜怒哀楽、また、愛別離苦等の感情、そして、一般の生活で、働いて、家族を養って、家族みんなが健康でありますように、家族みんなが安らかに暮らせますようにと、
 そのように安らかに生きていきたい、そのようにあってほしいというような、人々の安心を思う心も、時代を経ても変わることがないと思います。


 現在は、私達のご先祖の努力のお陰もあり、人々の生活・暮らしは豊になりましたが、昔も現在も、また世界中の他の国の人々であっても、人間の内面(心・感情・感受)というのは、それほど、たいして変化してはいない。

 時代と場所が違っても、生、老、病、死という、苦の受に変化はなく、それらに付随する喜怒哀楽もまた同様である。
 それゆえに、昔の一般的な事柄に関しての教えであったとしても、後の時代の、私たちの分別・認識で、それらの意味・事柄をそれほど難しく考えることもなく理解できるものも多いでしょう。
(例えば、下記、の酒類など怠惰の原因に熱中すると生じる過ち等も、現在でも十分に教えとして納得のいくものです。)

 時代が違うから、昔の教えは当てはまらない、というような考え方に陥ってしまう人は、時代に合わないと思うところがあれば、自心で現在の時代の認識に合うように応用して考えればそのような思いに陥ってしまわずに、難しく考えることなく理解することも可能となるでしょう。



(仏教というものを全く知らない人は)善い心がけから入って、善行をできることからしていこう、という気持ちで行っていけば、自分自身の学び(またはそのきっかけ、清浄な大人の初歩、善行は普通であると思う人の初歩、善処に赴く初歩、悪行・悪友・悪心から離れていくという初歩)にもなると思います。





  シンガーラへの教え


 このようにわたくしは聞きました。
 あるとき世尊は王舎城のカランダカ竹林に住しておられた。

 そのとき、資産者の子であるシンガーラは朝早く起床し、王舎城を出て〔郊外に至り、沐浴して〕衣を浄め、髪を浄めて、合掌し、東方・南方・西方・北方・下方・上方・の六方を礼拝していた。

 そのとき、世尊は早朝に内衣をつけ、衣と鉢を取り、行乞のため王舎城に入られた。
 そこで世尊は、資産者の子シンガーラが早く起床し、王舎城を出て、〔郊外に至り、沐浴して〕衣を浄め、髪を浄めて、合掌し、東方・南方・西方・北方・下方・上方の諸方を礼拝しているのをご覧になった。

ご覧になって資産者の子であるシンガーラに、このように問われた、
「資産者の子よ、汝が早く起床し、王舎城を出て、〔郊外に至り、沐浴して〕衣を浄め、髪を浄めて、合掌し、東方・南方・西方・北方・下方・上方の諸方を礼拝しているのは何故であるか」

「尊者よ、父が亡くなるときにわたくしに遺言しました『親愛なる者よ、お前は諸方を礼拝すべきである』と。
 そういうわけで、わたくしは父の遺言を尊び、敬い、重んじ、奉じて、早く起床して、王舎城を出て、〔郊外に至り、沐浴して〕衣を浄め、髪を浄めて、合掌し、東方・南方・西方・北方・下方・上方の諸方を礼拝するのです。」

「資産者の子よ、聖者の律においては、六方はそのように礼拝すべきものではない。」

〔そこでシンガーラは乞うた、〕
「それでは聖者の律においては、どのように六方を礼拝すべきなのでしょうか、そのきまりをわたくしによく教えてください。」

「では、資産者の子よ、聞きさない。よく注意しなさい。わたくしは話してあげよう」

「尊師よ、かしこまりました」と言って、資産者の子シンガーラは世尊に答えた。

そこで世尊は次のように説かれた


「資産者の子よ、立派な弟子が、

 ・四の行為の汚れを捨て、
 ・四の理由(所作)で悪い行為をなさず、
 ・また財を散ずる六つの門戸(原因)になずまない
ならば、

 彼はこのように十四の罪悪から離脱し、六方を護る。

 彼はこの世およびかの世にうち勝つために実践しているのであり、この世とかの世とは彼に征服されている。
 そして、彼は肉体が滅びたのち、死後に、善いところ、天の世界に生まれる。

では、彼の捨て去った四の行為の汚れ(悪業)とは何であるか資産者の子よ、

 × 生きものを殺すこと、
 × 与えられないものを盗ること、
 × 卑しき愛欲に関する邪な行い、
 × 嘘を言うこと、は行為の汚れである。


 これらの四の行為の汚れを、彼は捨て去っているのである」と。

世尊はこのように説かれた。



幸ある人、師(仏陀)はこのように説いたあとで、さらにまた次のように言った、
 
殺生と、盗みと、他人の妻に近づくことと、嘘言を聖者は称讃することはない。」


「どのような四の理由(所作)によりて、人は悪行をしないのであるか。

四の理由(所作)
 人は、貪欲により、非道を行くが故に、悪行を為し、
 人は、怒りにより、非道を行くが故に、悪行を為し
 人は、無智(愚かさ)により、非道を行くが故に、悪行を為し、
 人は、恐怖によりて非道を行くが故に、悪行を為す。



それ故に、立派な弟子は決して、

 貪欲により、非道に行くことがない。
 怒りにより、非道に行くことがない。
 無智(愚かさ)により、非道に行くことがない。
 恐怖によりて、非道に行くことがない。

 これらの四の理由(所作)によりて、彼は悪行をしないのである」と。

 このことを世尊は説かれた。



幸ある人、師はこのように説いたあとで、さらにまた次のように言われた、

「貪欲と、怒りと、愚迷と、恐怖とによりて、
 法を犯す者は、あたかも黒分(月が欠けていく半カ月)における月が〔欠けて暗くなる〕ように、彼の名声は減退する。

 しかし、貪欲と、怒りと、愚迷と、恐怖とによりて、
 法を犯さないものは、あたかもは白分における月のごとく、彼の名声はみち増大する。




 資産者の子よ、それでは、

× 人の近づいてはならないところの、財を散ずる六つの門戸(原因)とは何であるか。


 × 酒類など怠惰の原因に熱中することは、財を散ずる門戸である。
 × 時ならぬのに街路を遊歩することに熱中することは、財を散ずる門戸である。
 ×〔祭礼舞踊など〕見世物の集会に熱中することは、財を散ずる門戸である。
 × 賭博という遊惰の原因に熱中することは、財を散ずる門戸である。
 × 悪友に交わることは、財を散ずる門戸である。
 × 怠惰にふけることは、財を散ずる門戸である。




× 酒類など怠惰の原因に熱中するならば、次の六つの過ちが生ずる。すなわち、

 現に財の損失あり、
 口論を増し、
 疾病の巣窟となり、
 悪い評判(不名誉)を生じ、
 陰処をあらわし、
 第六は智力を弱からしめる。

 これらの六つの過ちは、酒類など怠惰の原因に熱中するときに生じる




× 時ならぬのに街路を遊び歩くことに熱中するならば、次の六つの過ちが生ずる。すなわち、

 彼自信も護られておらず、防護されていない。
 彼の子も、妻も、また護られておらず、防護されていない。
 彼の財産もまた護られておらず、防護されていない(盗賊に狙われる)。
 また悪事が生じたときに疑いをいだ彼る。
 不実の噂が彼に起る。
 多くの厄介な事柄が続いて起る。

 これらの六つの過ちは、時ならぬのに街路を遊び歩くことに熱中するときに起る




×〔祭礼舞踊など〕見世物の集会に熱中するならば、実に次の六つの過ちが起る。すなわち、

『どこに舞踊があるか、
 どこに歌があるか、
 どこに音楽があるか、
 どこに講談があるか、
 どこに手楽(手拍子)があるか、
 どこに陶器楽、〔太鼓〕があるか』とたずねる。

 実にこれらの六つの過ちは、見世物の集会に出かけることに熱中するときに起る




× 賭博という遊惰の原因に熱中するならば、実に次の六つの過ちが生ずる。すなわち、

 勝ったならば、相手が憎しみを生じ、
 負けたならば心に悲しみを生ずる、
 現に財の損失があり、
 法廷に入っても彼の言葉は信用されず、
 友人同輩からは軽侮され、
 婚姻関係の者たちからは拒絶され、賭博漢は妻をもつ資格がないといわれる。

 実にこれらの六つの過ちは、賭博という遊惰の原因に熱中するときに起る




× 悪友になじむならば、次の六つの過ちが生ずる。すなわち、

 バクチ打ち、
 乱行者、
 飲んだくれ、
 嘘言者、
 詐欺士、
 乱暴者、

 これらは彼の友人であり、彼の仲間であるということになる。

 実にこれらの六つの過ちは、悪友に交わるときに起る




× 怠惰にふけるならば、実にこれらの六種の過ちが起るのである。

 「寒すぎる」と言って仕事をなさず、
 「暑すぎる」と言って仕事をなさず、
 「晩遅すぎる」と言って仕事をなさず、
 「朝早すぎる」と言って仕事をなさず、
 「わたしは腹が減っている」と言って仕事をなさず、
 「わたしは食べ過ぎて腹がふくれている」と言って仕事をなさない。

 彼はこのようになすべき仕事に多くの口実を設けているので、いまだ生じない富は生じないし、またすでに生じた富は消滅に向かうのである。

 資産者の子よ。実にこれらの六つの過ちは、怠惰にふけるがゆえに起るのである」と。

 世尊はこのように説かれた。




幸ある人、師はこのように説かれたあとで、さらにまた次のように言われた、

「飲み友達なるものがある。きみよ、きみよ、と呼びかける親友である(と自称する。)

 しかし、事が生じたときに味方となってくれる人こそ友なのである。

 × 太陽が昇ったあとでも寝床にあり、
 × 他人の妻になれ近づき、
 × 闘争にふけり、
 × 無益のことに熱中すること、
 × 悪友〔と交わり〕、
 × 非常に物惜しみし強欲なこと

 これら六つの事柄は、人を破滅に導く。



× 悪友と悪い仲間と、悪行になずむ人とはこの世とかの世とにおいて破滅におもむく。

 ばくちと女(遊び)、酒、
 舞踏と歌、
 白昼の睡眠、
 非時に街を遊び歩くこと、
 悪友〔との交わり〕、
 ものおしみして強欲なこと

 これら六つの事柄は人を破滅に至らしめる


× 賭けごとで遊び、酒を飲み、他人にとっては生命にも等しい妻女に通い、卑しい者と交わり、正しい人に交わらないならば、黒分における月のように欠けて行く。

× 財産なく無一物なのに、酒が飲みたくて、酒場に行って飲む呑んだくれは、水に沈むように負債に沈み、すみやかにおのが家門をほろぼすであろう。

× 白昼に眠るのを常とし、夜は起きるものと思い、常に泥酔にふける者は、家を確立することができない。

× 寒すぎる、暑すぎる、遅すぎる、と言って、このように仕事を投げ捨てるならば、利益は若者から去って行くだろう。

 寒さをも暑さをも、さらに草ほどにも思わないで、人としての義務をなす者は、幸福を逸することが無い。




× 次の四種は敵であって、友に似たものにすぎないと知るべきである。すなわち

 ×(人の事は構わず)何ものでも取って行く人、
 × 言葉〔口先〕だけの人、
 × 甘言を語る人、
 × 遊蕩(酒や女遊びにふける事)の仲間


 は敵であって、友に似たものにすぎない、と知るべきである。




× (人の事は構わず)何ものでも取って行く人は、次の四のしかたによりて、敵であって、友に似たものにすぎない、と知るべきである。彼は、

(人の事は構わず)何でも取って行く。
 僅かの物を与えて多くの物を得ようとする。
 ただ恐怖のために義務をなす。
 〔自分の〕利益のみを追求して交際する。

(人の事は構わず)何ものでも取って行く人は、これらの四のしかたによりて、敵であって、友に似たものにすぎない、と知るべきである。




× 言葉〔口先〕だけの人は、次の四のしかたによりて、敵であって友に似たものにすぎない、と知るべきである。彼は、

 過去のことに関して友情をよそおい、
 未来のことに関して友情をよそおい、
 無益のことを言って取りいり、
 現在なすべき諸々の用事が迫ると、都合が悪いということを示す。

 言葉〔口先〕だけの人は、これらの四のしかたによりて、実は敵であって、友に似たものにすぎない、と知るべきである。




× 甘言を語る人は、次の四のしかたによりて、敵であって、友に似たものにすぎない、と知るべきである。彼は、

 相手の悪事に関してでも同意する。
 善事に同意しない。
 その人の面前では讃美し、
 陰ではその人の悪口を言う。

 甘言を語る人は、これらの四のしかたによりて、実は敵であって、友に似たものにすぎない、と知るべきである。




× 酒や女遊びにふける事(遊蕩)の仲間は、次の四のしかたによりて、敵であって、友に似たものにすぎない、と知るべきである。彼は、

 もろもろの酒類など怠惰の原因に耽るときの仲間である。
 時ならぬのに街路をぶらつき廻るときの仲間である。
 〔祭礼舞踊などの〕集会に入りこむときの仲間である。
 賭博など遊惰な事柄に耽るときの仲間である。

 酒や女遊びにふける事(遊蕩)の仲間は、これらの四のしかたによりて、実は敵であって、友に似たものにすぎない、と知るべきである」と。

 このように世尊は説かれた。




幸ある人、師(仏陀)はこのことを説き了えてから、次にこのように説かれた、

× 何でも奪ってゆく友。
 × 口先だけの友。
 × 甘言をかたる友。
 × 遊蕩(酒や女遊びにふける事)の仲間。


 これらの四つは敵である、と賢者は知って、恐ろしい道を避けるように、彼らを遠く避けよかし



○ これらの四種類の友人は親友(心のこもった友)であると知るべきである。すなわち、

 ○ 助けてくれる友、
 ○ 苦しいときも楽しいときも一様に友である人、
 ○ ためを思って話してくれる友、
 ○ 慈悲をもって同情してくれる友は親友であると知るべきである。




○ 助けてくれる友は、次の四のしかたによりて、親友である、と知るべきである。彼は、

 友が無気力なときに、まもってくれる、
 友が無気力なときに、その財産をまもってくれる、
 友が恐れおののいているときに、その庇護者となってくれる、
 なすべきことが起ったときに、必要とする二倍の財を給してくれる。

 助けてくれる友は、これらの四のしかたによりて、親友である、と知るべきである。




○ 苦しいときにも楽しい時にも一様である友は、次の四のしかたによりて、親友である、と知るべきである。その友は、

 (ためを思って)彼に秘密をうち明けてくれる、
 彼の秘密をまもってくれる、
 困窮に陥ったときにも、彼を捨てない、
 彼のためには生命をも棄てる。

 苦しいときにも楽しい時にも一様である友は、これらの四のしかたによりて、親友である、と知るべきである。




○ 実にためを思って話してくれる友は、次の四のしかたによりて、親友である、と知るべきである。彼は、

 悪を防止する、
 善に入らしめる、
 未だ聞かないことを聞かせてくれる、
 天に至る道を説いてくれる。

 ためを思って話してくれる友は、実にこれらの四のしかたによりて親友である、と知るべきである。




○ 実に慈愛あり同情してくれる友は、次の四のしかたによりて、親友である、と知るべきである。彼は、

 その人の衰微を喜ばない。
 その人の繁栄を喜び、
 他の人が彼をそしるのを弁護してくれ、
 他の人がその人を称讃するのを説きひろめる。

 実に慈愛あり同情してくれる友は、これらの四のしかたによりて、親友である、と知るべきである。」

 このように世尊は説かれた。



○ 幸ある人、師(仏陀)はこのように説いたあとで、また次のように説かれた。

○ 助けてくれる友
 ○ 苦しいときにも楽しいときにも友である人
 ○ ためを思って話してくれる友
 ○ 慈愛あり同情してくれる友

 実にこれらの四種が友であると賢者は知って、真心こめて、彼らに尽くせよかし(親しむが善い)

 あたかも母が自らの子をいつくしむがごとく

 戒めをたもっている賢者は、〔山頂に〕燃える火のように輝く。



 蜂が食物を集めるように働くならば、〔彼の〕財はおのずから集積する。あたかも蟻の塚の高められるようなものである。

 このように財を集めては、彼は家族に実に良く利益をもたらす家長となる。

○ その財を四分すべし。〔そうすれば〕彼は実に朋友を結束する。

 一分の財をみずから享受すべし。
 四分の二の財をもって〔農耕・商業などの〕仕事を営むべし。
 また〔残りの〕第四分を蓄積すべし。
 しからば窮乏の備えとなるであろう。




資産者の子よ、立派な弟子は六方をどのように護るのであるか。六方とは次のものであると知るべきである。

 東方は父母であると知るべきである。
 南方はもろもろの師であると知るべきである。
 西方は妻子であると知るべきである。
 北方は友人・朋輩であると知るべきである。
 下方は奴僕・傭人であると知るべきである。
 上方は修行者・バラモンたちであると知るべきである。




実に次の五つのしかたによりて、子は、東方に相当する父母に対して奉仕すべきである

 われは両親に養われたから、彼らを養おう。
 彼らのために為すべきことをしよう。
 家系を存続しよう。
 財産相続しよう。
 そうしてまた、祖霊に対して適当な時々に供物を捧げよう、と。

 実にこれらの五つのしたかによりて子は、東方に相当する父母に対して奉仕すべきである


また、父母は次の五つのしかたで子を愛するのである。すなわち

 悪から遠ざけ、
 善に入らしめ、
 学芸技能を習学させ、
 相応しい妻を迎え、
 適当な時期に家督相続をさせる。

 実に子は、このような五つのしかたによりて、子は、東方に相当する父母に奉仕し

 また、父母はこれらの五つのしかたによりて子を愛するのである。

 このようにしたならば、彼の東方は護られ、安全であり、心配がない。



実に弟子は次の五つのしかたで、南方に相当する師に奉仕すべきである。すなわち、

 座席から立って礼をする。
 近くに侍する。
 熱心に聞こうとする。
 給仕(身の回りの世話)する。
 うやうやしく学芸を受ける。

 実にこれらの五つのしかたによりて弟子は、南方に相当する師に対して奉仕すべきである


また、師は次の五つのしかたで弟子を愛する。すなわち、

 善く訓育し指導する。
 善く習得したことを受持させる。
 すべての学芸の知識を説明する。
 友人朋輩の間に彼のことを(長所等を語って)吹聴する。
 諸方において庇護してやる。

 実に南方に相当する師は、これらの五つのしかたによりて弟子から奉仕される

 また、師はこれらの五つのしかたによりて弟子を愛するのである

 このようにしたならば、彼の南方は護られ、安全であり、心配がない。




実に夫は次の五つのしかたで、西方に相当する妻に奉仕すべきである。すなわち

 尊敬すること、
 軽蔑しないこと、
 道を踏みはずさないこと、
 権威を与えること、
 装飾品を提供することによりてである。

 西方に相当する妻は、これらの五つのしかたによりて夫に奉仕されるのである。


また、妻は次の五つのしかたで夫を愛する。すなわち妻は

 仕事を善く処理し、
 両方の親族を良く待遇し、
 道を踏みはずすことなく、
 集めた財を保護し、
 為すべきすべての事柄について巧みにして且つ勤勉である。

 西方に相当する妻は、これらの五つのしかたによりて夫から奉仕され、

 また、これらの五つのしかたで夫を愛する
のである。

 このようにして彼の西方は護られ、安全で、心配がない。




実に良家の子は次の五つのしかたで、北方に相当する友人・朋輩に奉仕する。すなわち、

 施与と、
 親しみあるやさしい言葉(愛語)と、
 ひとのためにつくすこと(利行)と、
 協同することと、
 欺かないこと(正直)とによりてである。

 これら五つのしかたによりて、良家の子は、北方に相当する友人・朋輩に対して奉仕する


また、友人・朋輩は次の五つのしかたで良家の子を愛する。すなわち、

 彼が無気力なときに、まもってくれる。
 無気力なときに、その財産をまもってくれる。
 恐れおののいているときに、庇護者となってくれる。
 逆境に陥っても彼を捨てない。
 彼ののちの子孫をも尊重する。

 実にこれらの五つのしかたで、良家の子は、北方に相当する友人・朋輩に対して奉仕する。

 また、友人・朋輩はこれらの五つのしかたで良家の子を愛する


 このようにして、彼の北方は護られ、安全であり、心配がない。




実に主人は次の五つのしかたで、下方に相当する奴僕傭人に奉仕しなければならぬ。すなわち

 その能力に応じて仕事をあてがう、
 食物と給料とを給与する、
 病時に看病する、
 すばらしい珍味の食物をわかち与える、
 適当なときに休息させるとこによりてである。

 実にこれらの五つのしかたによりて主人は、下方に相当する奴僕傭人に対して奉仕するのである。


また、奴僕・傭人は次の五つのしかたで主人を愛しなければならぬ。すなわち彼らは

〔主人よりも〕朝早く起き、
 のちに寝に就き、
 与えられたもののみを受け、
 その仕事をよく為し、
〔主人の〕名誉と称讃とを吹聴する。

 実にこれらの五つのしかたによりて立派な主人は、下方に相当する奴僕傭人に奉仕する

 また奴僕傭人はこれらの五つのしかたによりて立派な主人を愛するのである。

 このようにして彼の下方は護られ、安全で、心配がない。




○ 実に、良家の子は次の五つの事柄によりて、上方に相当する修行者(samana)とバラモンとに奉仕すべきである


 親切な身体の行為、
 親切な口の行為(言葉)、
 親切な心の行為(思い)、
 (供養の)門戸を閉さぬこと、
 物資・食物を施与することによりてである。

 実にこれらの五つのしかたによりて良家の子は、上方に相当する修行者とバラモンとに奉仕するのである。


また、修行者とバラモンとは次の六つのしかたによりて良家の子をば愛するのである。すなわち、

 悪から遠ざからしめ、
 善に入らしめ、
 善い心をもって慈愛し、
 いまだ聞かないことを聞かしめ、
 すでに聞いた事柄を純正ならしめ、
 天への道を説き示す。

 実にこれらの五つのしかたによりて、上方に相当する修行者とバラモンとは良家の子によりて奉仕され

 また、修行者とバラモンとはこれらの六つのしかたによりて良家の子を愛するのである

 このようにして彼の上方は護られ、安全であり、心配がない。」

 世尊はこのように説かれた。




幸ある人、師は、このように説いたあとで、次のように説いた、

父母は東方である
 師は南方である

 妻子は西方である。
 友人・朋輩は北方である

 奴僕・傭人は下方である。
 修行者・バラモンは上方である


 良家の有能なる家長は、これらの諸方を拝すべきである

学識あり、戒しめを身にそなえ、柔和で、才智あり、謙譲で、ひかえめの人、 かくのごとき人は名声を得る。

勇敢で怠ることなく、逆境に陥ってもたじろがず、行いを乱さず、聡明である人、 かくのごとき人は名声を得る。

人々をよくまとめ、善い友をつくり、寛大で、もの惜しみせず、導き者、指導者、順応して導く人、 かくのごとき人は名声を得る。



○ 施与と
○ 親愛の言葉を語ること(愛語)と

○ この世で人のためにつくすことと(利行)

○ あれこれの事柄について適当に協同すること


 これらが世の中における愛護である

 あたかも回転する車の轄(くさび)のごとくである。

 もしもこの四の愛護を行わないならば、母も父も、母たり父たるが故に子から受けるべき尊敬も扶養も得られぬであろう。

 諸々の賢者はこれらの愛護をよく観察するが故に、彼らは偉大となり、称讃を博するに至るのである。」



このように説かれたときに、資産者の子シンガーラは世尊に向かって次のように言った、

「みごとです、尊師よ。みごとです、尊師よ。
 あたかも倒れたものを起し、あるいは隠されたものを顕わし、あるいは迷える者に道を示し、あるいは『眼ある者は色を見るであろう』と言って闇黒の中に油の燈火をかかげるように、そのように世尊は種々のしかたで法を説き示されました。
 尊師よ。わたくしは世尊に帰依し、また法と比丘のつどいとに帰依致します。
 願わくは、世尊がわたくしを、今日より以後、いのちある限り、帰依する信徒として受けたまえ」と。

シンガーラへの教え






◎説明文

 ヴェーダ(圍陀)聖典を奉じていた当時の伝統的な宗教家が「バラモン」であり、ヴェーダ(圍陀)聖典の権威を否認した新しい宗教家を、ここでは「修行者」と呼んでいる。
 彼らは多くは乞食によりて生活していた。
 だから「彼らに対して門戸を閉ざすな」とか「食物を給与せよ」とかいうのである。

 そうした種々の宗教の行者を尊敬すること自体のうちに仏教があるのである。(東京大学名誉教授 中村元氏)





















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