真理を観察する妨げ(罪業)





  真理観察者の資格

(大王は問うた、)
「尊者ナーガセーナよ、正しく実践する者たちのすべてに、真理の観察がありますか。
 それとも、誰か或る者にはないのですか」

(尊者ナーガセーナは答えた、)
「大王よ、或る者にあり、或る者にはありません」

「尊者よ、いかなる者にあり、いかなる者にはないのですか」

「大王よ、

 畜生は、たといよく実践しても、真理の観察はありません。

 餓鬼の境涯に生まれた者、

 邪見の者、

 偽る者、

 母を殺す者、

 父を殺す者、

 あらかんを殺す者、

 サンガ(仏教教団)を破壊する者、

 〈仏陀の身体から〉血を流す者、

 賊心をもってサンガの生活をなす者(利得や生活のためにサンガに入る者、また、仏陀の教えを盗むために出家してサンガに入った者)、

 異教徒の教えに走った者、

 比丘尼を汚す者、

 十三の重罪のうちの一つを犯して(比丘の権利停止から)未だ放免されない者、

 去勢された者、

 両性の生殖器をもつ者は、たといよく実践しても、真理の観察はありません。

 また、七歳未満の子供は、たといよく実践しても、真理の観察はありません。〔または、五歳。〕

 大王よ、これらの十六人は、たといよく実践しても、真理の観察はありません」

「尊者ナーガセーナよ、彼ら十五人の(最初に)しりぞけられた人々においては、真理の観察があろうとなかろうと、どうでもよろしいが、しかしながら、いかなる理由で、七歳未満の人間の子供が、たといよく実践しても、真理の観察はないのですか。

 まず、これについて、質問があります。

 そもそも、子供には貪りがなく、怒りがなく、迷妄がなく、慢心がなく、邪見がなく、不満がなく、欲望を思いめぐらすことがないのではありませんか。
 煩悩のまじらないかの子供は、(あらかんの覚とりの境地に向かって)専念し、到達し、そして四つの真理(四聖諦)を一度に通達するに値します」

「大王よ、次に述べるものこそが、『七歳未満の者は、たといよく実践しても、真理の観察はない』と私が言ったその理由です。

 大王よ、もしも、七歳未満の者が、貪られるものを貪り、腹立ちを覚えるものに怒り、惑わすものに惑い、心を驕り高ぶらすものに心高ぶり、(異なった)見解を識別し、楽しみと楽しみでないものとを識別し、善と不善とを省察するならば、彼に真理の観察はあるでしょう。
 大王よ、しかしながら、七歳未満の者の心は、無力・微力・小・微小・短小・遅鈍・不明瞭であり、(一方)形成されたものでない涅槃の世界は、重く重量あり広大にして偉大です。
 大王よ、七歳未満の者は、その微力・小・遅鈍・不明瞭の心によりて、重く重量あり広大にして偉大であるところの、形成されたものでない涅槃の世界に通達することはできません。

 大王よ、喩えば、山王スメール(須弥山)は、重く重量あり広大にして偉大です。
 大王よ、或る人自身が、生まれながらの強さ・力・努力によりて、その山王スメールを持ち上げることができますか」

「尊者よ、それではありません」

「大王よ、いかなる理由によりてですか」

「尊者よ、人は微力であり、山王スメールは大きいからです」

「大王よ、それと同様に、七歳未満の者の心は、無力・微力・小・微小・短小・遅鈍・不明瞭であり、(一方)形成されたものでない涅槃の世界は、重く重量あり広大にして偉大です。
 七歳未満の者は、その微力・小・遅鈍・不明瞭の心によりて、重く重量あり広大にして偉大であるところの、形成されたものでない涅槃の世界に通達することはできません。
 この理由によりて、七歳未満の者は、たといよく実践しても、真理の観察はないのです。

 大王よ、また喩えば、この大地は、長く・広く・拡がり・伸長し・伸展し・宏く・大きい。
 大王よ、その大地を小さな水滴をもって、湿おして、泥土とすることができますか」

「尊者よ、そうではありません」

「大王よ、いかなる理由によりてですか」

「尊者よ、水滴は小であり、大地は大きいからです」

「大王よ、それと同様に、七歳未満の者の心は、無力・微力・小・微小・短小・遅鈍・不明瞭であり、(一方)形成されたものでない涅槃の世界は、重く重量あり広大にして偉大です。
 七歳未満の者は、その微力・小・遅鈍・不明瞭の心によりて、重く重量あり広大にして偉大であるところの、形成されたものでない涅槃の世界に通達することはできません。
 この理由によりて、七歳未満の者は、たといよく実践しても、真理の観察はないのです。

 大王よ、また喩えば、無力・微力・小・微小・短小・弱小の火があるとしよう。
 大王よ、それだけの弱い火によりて、諸神及び人々の世界の暗黒をうち破って、光明を現わすことができますか」

「尊者よ、そうではありません」

「大王よ、いかなる理由によりてですか」

「尊者よ、火は弱く、世界は大きいからです」

「大王よ、それと同様に、七歳未満の者の心は、無力・微力・小・微小・短小・遅鈍・不明瞭であり、(一方)形成されたものでない涅槃の世界は、重く重量あり広大にして偉大です。
 七歳未満の者は、その微力・小・遅鈍・不明瞭の心によりて、重く重量あり広大にして偉大であるところの、形成されたものでない涅槃の世界に通達することはできません。

 この理由によりて、七歳未満の者は、たといよく実践しても、真理の観察はないのです。

 大王よ、また喩えば、病み・痩せ・身体の小さいサーラカ虫がいるとしよう。
(サーラカ虫が、体の)三ヵ所に発情のしるしをあらわした、身長八ラタナ(一ラタナは肘から中指先端長さ)、幅三ラタナ、胴まわり十ラタナ、高さ八ラタナの大象が近づいたのを見て、(サーラカ虫は)呑み込もうと引きよせる。

 大王よ、このサーラカ虫は、その大象を呑み込むことができるであろうか」

「尊者よ、そうではありません」

「大王よ、いかなる理由によりてですか」

「尊者よ、サーラカ虫の身体は小さく、大象は大きいからです」

「大王よ、それと同様に、七歳未満の者の心は、無力・微力・小・微小・短小・遅鈍・不明瞭であり、(一方)形成されたものでない涅槃の世界は、重く重量あり広大にして偉大です。
 七歳未満の者は、その微力・小・遅鈍・不明瞭の心によりて、重く重量あり広大にして偉大であるところの、形成されたものでない涅槃の世界に通達することはできません。

 この理由によりて、七歳未満の者は、たといよく実践しても、真理の観察はありません」

「もっともです。尊者ナーガセーナよ、これはまさにそのとおりだ、と私は認めます」

那先比丘経





  真理観察の基礎

(大王は問うた、)
「尊者ナーガセーナよ、喩えば、在家者にして教団追放罪を犯した者がいるとしよう。

そして、後日、彼が出家したとき、『私は在家者であったとき、教団追放罪を犯した』と自ら識知せず、
また、誰か他の者が彼に向かって、『あなたは在家者であったとき、教団追放罪を犯した』と告げなかったとしよう。

 しかしながら、もしも、彼が如実に(仏陀の教えを)実践するならば、彼は真理を観察することができるでしょうか」

(尊者ナーガセーナは答えた、)
「大王よ、そうではありません」

「尊者よ、それはなぜですか」

「彼にとって、真理の観察の原因となるものは、全て、彼に断たれています。

 それ故に、真理を観察することができないのです」

「尊者ナーガセーナよ、あなたは『(罪を犯したと)識知する者に、後悔があり、後悔が起これば、(善)心の妨げがある。
 (善)心が妨げられると、真理の観察はない』と言われました。

 しかるに、彼が(罪を犯したと)識知せず、後悔も起こさず、平静な心を維持しているならば、いかなる理由で真理の観察がないのですか。

 この問いは、次々に矛盾していきます。考慮して解答してください。」

「大王よ、よく耕され、充分に水を含んだ肥沃な田に、秋、よく植えられた種子は成長しますか」

「尊者よ、そうです」

「大王よ、しかしながら、その(同じ)種子は、堅い岩石の表面に成長しますか」

「尊者よ、そうではありません」

「大王よ、しからば、なぜ、その同じ種子が泥土に成長して、(他方)なぜ、堅い岩の上に成長しないのですか」

「尊者よ、その種子が成長する原因は、堅い岩の上に存在しません。

 原因がないのだから種子は成長しないのです」

「大王よ、それと同様に、彼にとって真理の観察の原因となるものは、全て、彼に断たれています。

 原因がないのだから、真理の観察はないのです。

 大王よ、また、喩えば、杖、土塊、棒、鎚は地面に定置します。
 大王よ、しかしながら、それらの杖、土塊、棒、鎚は空中に定置しますか」

「尊者よ、そうではありません」

「大王よ、しからば、それらの杖、土塊、棒、鎚が地面に定置するという、その理由は何ですか。

 いかなる理由で空中に定置しないのですか

「尊者よ、それらの杖、土塊、棒、鎚が定置する原因は、空中に存在しません。

 原因がないのだから定置しないのです」

「大王よ、それと同様に、彼の欠点によりて、彼に(真理の)観察の原因が断たれています。

 原因が根絶されているならば、原因がないのだから、(真理の)観察はありません。

 大王よ、また、喩えば、火は地上で燃えます。
 大王よ、しかしながら、その火は水中で燃えますか」

「尊者よ、そうではありません」

「大王よ、しからば、その火が地上に燃えるという、その理由は何ですか。
 いかなる理由で水中で燃えないのですか」

「尊者よ、それらの火が地上に燃えるという原因は、水中に存在しません。
 原因がないのだから燃えないのです」

「大王よ、それと同様に、彼の欠点によりて、彼に(真理の)観察の原因が断たれています。

 原因が根絶されているならば、原因がないのだから、(真理の)観察はありません」

「尊者ナーガセーナよ、また、このことを考慮してください。
『(罪を犯したと)識知せず、後悔も起こさない者に、(善)心の妨げが生ずる』と、これについて、私の心は納得できません。
 事例をもって、私を納得させてください」

「大王よ、たとい、識知しないで食べても、ハラーハラー毒は生命を奪いますか」

「尊者よ、そうです」

「大王よ、それと同様に、たとい識知しないで犯しても、罪は(彼の真理の)観察の妨げとなります。

 大王よ、たとい、識知しないで踏みいれても、火は(その人を)焼きますか」

「尊者よ、そうです」

「大王よ、それと同様に、たとい識知しないで犯しても、罪は(彼の真理の)観察の妨げとなります。

 大王よ、たとい、(毒蛇であると人が)識知しないでも、毒蛇が噛めば、(彼の)生命を奪いますか」

「尊者よ、そうです」

「大王よ、それと同様に、たとい識知しないで犯しても、罪は(彼の真理の)観察の妨げとなります。

 大王よ、カーリンガ国王、サマナコーランニャは、七宝をそなえ、象宝に乗って、親戚を訪ねに行ったとき、(そこであると)識知していなかったけれど、その菩提道場(仏陀が菩提樹の下で覚とりを開いた場所)を通りすぎてしまうことができなかったではありませんか。

 大王よ、これこそ、たとい識知しないで犯しても、罪は(彼の真理の)観察の妨げとなる、という理由なのです」

「尊者ナーガセーナよ、勝者の説かれた理由を反駁することができません。
 これこそ、(あなたの説明された)その意味です。
 そのとおりだ、と私は認めます」

那先比丘経





















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