更訂 H28.12.11



 ○仏陀と法と僧伽について



 三宝(仏陀と法と僧伽)をあらわしています。護呪です。



 
                三宝標                  三宝・初転法輪



 
  三宝標                三宝標表現





  宝

 ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、すべて歓喜せよ。
そうしてこころを留めてわが説くところを聞け。

 それ故に、すべての生きものよ、耳を傾けよ。昼夜に供物をささげる人類に、慈しみを垂れよ。それ故に、なおざりにせずに、かれらを守れ。

 この世また来世におけるいかなる富であろうとも、天界における勝れた宝であろうとも、われらの全き人(如来)に等しいものは存在しない。
 この勝れた宝は、目ざめた人(仏)のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

 心を統一した釈迦牟尼は、(煩悩の)消滅・離欲・不死・勝れたものに到達された、その理法と等しいものは何も存在しない。
 このすぐれた宝は理法のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

 最も勝れた仏が讃嘆したもうた清らかな心の安定(三昧)を、ひとびとは「〔さとりに向かって〕間をおかぬ心の安定」と呼ぶ。この心の安定(三昧)と等しいものはほかに存在しない。
 このすぐれた宝は理法の(教え)のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

 善人のほめたたえる八輩(はっぱい)の人はこれらの四双(しそう)の人である。かれらは幸せな人(ブッダ)の弟子であり、施与を受けるべきである。かれらに施しをしたらなば、大いなる果報をもたらす。
 この勝れた宝は〈つどい〉のうちにある。この真理によって幸せであれ。

 ゴータマ(ブッダ)の教えにもとづいて、堅固な心をもってよく努力し、欲望がなく、不死に没入して、達すべき境地に達し、代償なくして得て、平安の楽しみを享けている。
 この勝れた宝は〈つどい〉のうちにある。この真理によって幸せであれ。

 城門の外に立つ柱が地の中に打ち込まれていると、四方からの風にも揺るがないように、諸々の聖なる真理を観察して見る立派な人は、これに譬えらるべきである、とわれは言う。
 この勝れた宝は〈つどい〉のうちにある。この真理によって幸せであれ。

 深い智慧ある人(ブッダ)がみごとに説きたもうた諸々の聖なる真理をはっきりと知る人々はたとい大いになおざりに陥ることがあっても、第八の生存を受けることはない。
 この勝れた宝は〈つどい〉のうちにある。この真理によって幸せであれ。

 自身を実在とみなす見解と疑いと外面的な戒律・誓いという三つのことがらが少しでも存在するならば、かれが知見を成就するとともに、それらは捨てられてしまう。かれは四つの悪い場所から離れ、また六つの重罪をつくるものとはなり得ない。
 このすぐれた宝が〈つどい〉のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

 またかれが身体によって、ことばによって、またはこころの中で、たとい僅かなりとも悪い行為をなすならば、かれはそれを隠すことができない。隠すことができないということを、究極の境地を見た人は説きたもうた。
 このすぐれた宝が〈つどい〉のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

 夏の月の初めの暑さに林の茂みでは枝が花を咲かせたように、それに譬うべき、安らぎに赴く妙なる教えを(目ざめた人、ブッダが)説きたもうた、──ためになる最高のことがらのために。
 このすぐれた宝が〈目ざめた人〉(ブッダ)のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

 勝れたものを知り、勝れたものを与え、勝れたものをもたらす勝れた無上の人が、妙なる教えを説きたもうた。
 このすぐれた宝が、〈目覚めた人〉(ブッダ)のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

 古い(業)はすでに尽き、新しい(業)はもはや生じない。その心は未来の生存に執著することなく、種子をほろぼし、それが生長することを欲しないそれらの賢者は、灯火のように滅びる。
 このすぐれた宝が〈つどい〉のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

 われら、ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも神々と人間とのつかえるこのように完成した〈目ざめた人〉(ブッダ)を礼拝しよう。幸せであれ。

 われら、ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも神々と人間とのつかえるこのように完成した〈教え〉を礼拝しよう。幸せであれ。

 われら、ここに集まった諸々に生きものは、地上のものでも、空中のものでも神々と人間とのつかえるこのように完成した〈つどい〉を礼拝しよう。幸せであれ。





説明文

 善人のほめたたえる四向四果の人とは、仏教の聖者の位を、須陀洹(預流)、斯陀含(一来)、阿那含(不還)、阿羅漢(無学)という聖位に分ち、その一々に向かって進みつつある位と至りついた境地とに分つので、合わせて四向四果という。





















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