闘争に関して 『(ある物が)自己に利のあるかぎり、人は他を掠めてやまず、 次いで、他の人々が彼から掠め取るときに、他人から掠め取った人が、掠め取られるのである。 悪の報いが実らない間は、愚者はそれを当然のことだと考える。 しかし、悪の報いの実ったときに、愚者は苦悩を受ける。 殺す者は殺され、怨む者は怨みをかう。 また罵りわめくものは他の人から罵られ、怒りたける者は他の人から怒りを受ける。 業の(輪の)廻転によりて、彼は掠めてはまた掠め取られる。』 闘争 このように私は聞いた。 ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祗陀)林なるアナー タピンディカ(給孤独)の園にましました。 その時、マガダ国のヴェーデーヒーの子なるアジャータサッツ王は、四軍をそなえて、コーサラ国のパセーナディ王に対し、カーシ国に攻め入った。 その事を聞いて、コーサラ国のパセーナディ王も、また四軍をそなえて、マガダ国のヴェーデーヒーの子アジャータサッツ王を、カーシ国において迎え撃った。 かくして、マガダ国のアジャータサッツ王と、コーサラ国のパセーナディ王と戦った。 その戦いにおいて、マガダ国のアジャータサッツ王は、コーサラ国のパセーナディ王を破った。 そして、コーサラ国のパセーナディ王は、その都城なるサーヴァッティーに逃げ帰った。 その時、多くの比丘たちは 朝はやく、衣をつけ、鉢をもって、サーヴァッティーに入った。 彼らは、サーヴァッティーに托鉢し、食をおえて、鉢を置くと、世尊のいますところに到り、 世尊を礼拝して、その傍らに坐した。 傍らに坐した彼ら比丘たちは、世尊に申しあげた。、 「世尊よ、マガダ国のアジャータサッツ王と、コーサラ国のパセーナディ王とが戦いました。 その戦いにおいて、マガダ国のアジャータサッツ王は、コーサラ国のパセーナディ王を破りました。 コーサラ国のパセーナディ王は、その都城なるサーヴァッティーに逃げ帰りました」と。 『比丘たちよ、マガダの国のヴェーデーヒーの子なるアジャータサッツ王は、悪しき友、悪しき仲間、悪しき取巻きをもつ。 比丘たちよ、コーサラ国のパセーナディ王は、善き友、善き仲間、善き取巻きをもつ。 だが、比丘たちよ、コーサラ国のパセーナディ王は、今夜は、敗者として、苦しく眠るであろう』 そして、世尊は、このように仰せられた、 『勝利からは怨みが起こる。敗れた人は苦しんで臥す。 勝敗をすてて、安らぎに帰した人は、安らかに臥す。』 闘争 このように私は聞いた。 ある時、世尊は、サヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祗陀)林なるアナータピンディカ(給孤独)の園にましました。 その時、マガダ国のヴェーデーヒーの子なるアジャータサッツ王は、四軍をそなえて、コーサラ国のパセーナディ王に対し、カーシ国に攻め入った。 そこで、コーサラ国のパセーナディ王もまた、四軍をひきいて、マガダ国のアジャータサッツ王をカーシ国において迎え撃った。 かくして、マガダ国のアジャータサッツ王と、コーサラ国のパセーナディ王とは戦った。 その戦いにおいて、コーサラ国のパセーナディ王は、マガダ国のアジャータサッツ王を破って、彼を生捕りにした。 その時、コーサラ国のパセーナディ王はこのように考えた、 ”このマガダ国のアジャータサッツ王は、たとえ、なんの害も加えない私に害を加えようとするものであるとはいえ、彼は私にとっては甥である。私は、むしろ、彼から彼のすべての象軍・馬軍・歩軍のすべてを奪い去って、そのうえで彼を放つこととしよう”と。 かくして、コーサラ国のパセーナディ王は、マガダ国のアジャータサッツ王から、その象軍・馬軍・歩軍のすべてを奪い去って、彼を放った。 その時、多くの比丘たちは、朝はやく、衣をつけ、鉢をもって、サーヴァッテ ィーに入った。 彼らは、サーヴァッティーに托鉢し、食をおえて、鉢を置くと、世尊のいますところに到り、 世尊を礼拝して、その傍らに坐した。 傍らに坐した彼ら比丘たちは、世尊に申しあげた、 「世尊よ、マガダ国のアジャータサッツ王は、四軍をひきいて、コーサラ国のパセーナディ王に対し、カーシ国に攻め入りました。 コーサラ国のパセーナディ王は、それを聞いて、王もまた四軍をひきいて、これを迎え撃ちました。 そして、その戦いにおいて、コーサラ国のパセーナディ王は、マガダ国のアジャータサッツ王を破り、彼を生捕りにしました。 世尊よ、そこでコーサラ国のパセーナディ王は、このように考えました、 ”このマガダ国のアジャータサッツ王は、たとえ、なんの害も加えない私に害を加えようとするものであるとはいえ、やっぱり彼は私にとっては甥である。 私は、むしろ、彼から彼のすべての象軍・馬軍・車軍・歩軍を奪い去って、そのうえで彼を放つことにしよう”と。 世尊よ、かくてコーサラ国のパセーナディ王は、マガダ国のヴェーデーヒーの子なるアジャータサッツ王から、その四軍のすべてを奪い去って、彼を釈放いたしました」 その時、世尊は、そのことの意味を知って、次のような偈を誦したもうた、 「自己に利のあるかぎり、人は他を掠めてやまず、 次いで、他の人々が彼から掠め取るときに、他人から掠め取った人が、掠め取られるのである。 悪の報いが実らない間は、愚者はそれを当然のことだと考える。 しかし、悪の報いの実ったときに、愚者は苦悩を受ける。 殺す者は殺され、怨む者は怨みをかう。 また罵りわめくものは他の人から罵られ、怒りたける者は他の人から怒りを受ける。 業の(輪の)廻転によりて、彼は掠めてはまた掠め取られる」と。 サンユッタ・ニカーヤ
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