H28.12.26



  地獄に堕ちた者の出生と生存



『人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割くのである。
 そしるべき人を誉め、また誉むべき人をそしる者、彼は口によって禍を重ね、禍のゆえに福楽を受けることができない。

 賭博で財を失う人は、たとい自身を含めて一切を失うとも、その不運はわずかなものである。

 しかし立派な聖者に対して悪意を抱く人の受ける不運は、まことに重いのである』



『何者の業も滅びることはない。

 それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。
 愚者は、罪(業)を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。』





 地獄というところ。

 果たして、そのようなところに赴く、又は、そのようなところへ忽然として生じるというようなことがあるのだろうか。


(現象において凡夫が一応の感じをつかむために想起をするに、例えば、前述の夢も参照。)

 夢の中において実体(物質)の身体がそこにないにも関わらず、その夢の中において、自ら動き、喜び、楽しみ、泣き、笑い、また、怒ったり、恐怖したり、いつもの自身のではない身体に変身していたり等、さまざまな、苦・楽・不苦不楽 を感受する。

 そのように、種々の感受を受けているのにも関わらず、実体(物質)としての身体は、横臥している。

 肉体は、横臥しているが、意識は、夢の中で、その夢の中の行いは、この現実社会での出来事ではない。

 そのように、夢の中というこの現実社会と別の、ある種の意識世界において、さまざまな、苦・楽・不苦不楽 を感受しているのである。

 そのように、それらの事柄から、この現象世界ではなく、他のその意識(だけ)の世界において、さまざまな、苦・楽・不苦不楽 が感受される、という事柄は知られる。

 そしてまた、そのように肉体によるものでなく、意識のみにおいて、自らが動くという感覚、または、喜び、楽しみ、泣き、笑い、また、怒ったり、恐怖したり、いつもの自身のではない身体に変身していたり等、さまざまな、苦・楽・不苦不楽 が感受されるというのもまた知られる。


 そのようにして分別すると、そのような他に存する(識だけ等の)世界において、苦・楽・不苦不楽 を感受するという事柄に関しての、ある程度の予想・想起をすることは可能となることだろう。

 また、この現象世界ではなく、化生として出生するとされる地獄、という現実人間世界ではない他に在する世界において、自らの識が、さまざまな、苦 を感受するという事柄はありえる、という事柄も知られるだろう。



HP日記に記載したので省略。

 唯識論が唯脳論かという疑問も出そうな話でもあるが、

 唯物論か唯識論かの結論から言えば、唯物論や唯脳論は、実体の色・形のない無色界の存在に適用されない。

 もし、そこで、識・精神を唯物と言うのであれば、それは唯識論となるだろう。

 ──省略──

 脳があり、眼がありて、対象の色がありても、眼識に認識・識別がされなければ、あるということはわからず、識られない。

 身体がありて、対象の触れられる物がありても、身識に認識・識別がされなければ、あるということはわからず、識られない。
 他、耳、鼻、舌、意も同様である。

 その故に、この世界(三界)は成立せず。

 この故に、唯物は否定される、と。



(上記の続き、)

 宗教家や神秘家等で、地獄というところは存在しないという主張する人も、時折見られますが、

 仏陀の教え〔仏教〕において、地獄という処は、夢の中の話ではなく、実存していると説かれています。

 また、悪行(悪業)の報いとして、その地獄という処に赴くこと(地獄への出生)と、その地獄という処で生存し、苦を受け続けている地獄の生存者は存在すると説かれています。


 そして、ゴータマ仏陀と、仏陀の弟子の天眼を持つ多くの聖者方は、あの世とされる、天界・餓鬼・畜生・地獄を説き示し、

 そのような悪趣(餓鬼・畜生・地獄)へと堕すことのないように、「悪行を行じてはならない」と、何度も説かれています。


 そしてまた、地獄の場景に関しては、仏教より他で説かれた聖人の教えにおいても、同様の場景が説かれています。

 例えば、日本人がどこどこの刑務所の場景の話をして、海外の人もその同じ刑務所の話をしているのであれば、
 そこで、同じような場景が語られるのは当然でありますが、

 聖者・聖人方も、そのような同様の場景の世界を、地獄として説かれています。



 要するに、仏陀の教え〔仏教〕において、地獄という処は実存しており、

 悪行を行じた悪しき者・愚かな者は、その地獄という悪処・悪趣に堕ちる・そこに出生〔識が結生〕します。





【人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割くのである】


  コーカーリヤ

 わたくしが聞いたところによると、

 或るとき、尊き師(仏陀)は、サーヴァッティー市のジェータ林、〈孤独な人々に食を給する長者の園〉におられた。

 そのとき修行僧コーカーリヤは師のおられるところに赴いた。
 そうして、師に挨拶して、傍らに坐した。

それから修行僧コーカーリヤは師に向って言った、
「尊き師(仏陀)よ。サーリプッタとモッガラーナとは邪念があります。悪い欲求にとらわれています」

そう言ったので、師(仏陀)は修行僧コーカーリヤに告げて言われた、
「コーカーリヤよ、そんな事を言ってはいけない。コーカーリヤよ。そんな事を言ってはいけない。
 サーリプッタとモッガラーナとを信じなさい。サーリプッタとモッガラーナとは温厚な性質の人たちだ」

修行僧コーカーリヤは再び師に言った、
「尊き師よ。わたくしは師を信じてお頼りしていますが、しかしサーリプッタとモッガラーナとは邪念があります。
 悪い欲求にとらわれています」

師は再び修行僧コーカーリヤに告げて言われた、
「コーカーリヤよ、そんな事を言ってはいけない。サーリプッタとモッガラーナとを信じなさい。
 サーリプッタとモッガラーナとは温厚な性質の人たちだ」

修行僧コーカーリヤは三たび師に言った、
「尊き師よ。わたくしは師を信じてお頼りしていますが、しかしサーリプッタとモッガラーナとは邪念があります。
 悪い欲求にとらわれています」

師は三たび修行僧コーカーリヤに告げて言われた、
「コーカーリヤよ、そんな事を言ってはいけない。コーカーリヤよ、そんな事を言ってはいけない。
 サーリプッタとモッガラーナとを信じなさい。サーリプッタとモッガラーナとは温厚な性質の人たちだ」

 そこで修行僧コーカーリヤは座から起って、師に挨拶して、右まわりをして立ち去った。

 修行僧コーカーリヤが立ち去ってまもなく、彼の全身に芥子粒ほどの腫物が出てきた。
 (初めは)芥子粒ほどであったものが、(次第に大きくなり)小豆ほどになった。小豆ほどであったものが、大豆ほどになった。
 大豆ほどであったものが、棗(ナツメ)の核ほどになった。棗の核ほどであったものが、棗の果実ほどになった。
 棗の果実ほどであったものが、余甘子ほどになった。余甘子ほどであったものが、未熟な木瓜の果実ほどになった。
 未熟な木瓜の果実ほどであったものが、熟した木瓜ほどになった。
 熟した木瓜ほどになったものが破裂し、膿と血とがほとばしり出た。
 そこで修行僧コーカーリヤは、その病苦のために死去した。

 修行僧コーカーリヤは、サーリプッタとモッガラーナとに対して敵意(憎悪の心)を抱いていたので、死んでからパドゥマ地獄に生まれた。

 そのときサハー(娑婆)世界の主・梵天は、夜半を過ぎた頃に、麗しい容色を示して、ジェータ林を隈なく照らして、師のおられるところに赴いた。
 そうして師に敬礼して傍らに立った。

そこでサハー世界の主である梵天は師に告げていった、
「尊いお方さま。修行僧コーカーリヤは死去しました。
 修行僧コーカーリヤは、サーリプッタとモッガラーナとに対して敵意を抱いていたので、死んでからパドゥマ地獄に生まれました」
 サハー世界の主・梵天はこのように言った。
 このように言ってから、師に敬礼し、右まわりをして、その場で消えうせた。

さて、その夜が明けてから、師は、諸々の修行僧に告げて言われた、
「諸々の修行僧らよ。昨夜サハー世界の主である梵天が、夜半を過ぎた頃に、麗しい容色を示して、ジェータ林を隈なく照らして、わたくしのいるところに来た。それから敬礼して傍らに立った。

そうしてサハー世界の主である梵天は、わたくしに告げていった、
『尊いお方さま。修行僧コーカーリヤは死去しました。
 修行僧コーカーリヤは、サーリプッタとモッガラーナとに対して敵意を抱いていたので、死んでからパドゥマ地獄に生まれました。』と。
 サハー世界の主である梵天はこのように言った。
 そうして、師を敬礼し、右まわりをして、その場で消えうせた」

このように説かれたときに、一人の修行僧が師に告げていった、
「尊いお方さま。パドゥマ地獄における寿命の長さは、どれだけなのですか」

「修行僧よ。パドゥマ地獄における寿命は実に長い。
 幾年であるとか、幾百年であるとか、幾千年であるとか、幾十万年であるとか、数えることはむずかしい」

「尊いお方さま。では、譬喩を以て説明することができるでしょうか」

「修行僧よ。それはできるのです」と言って、

師は言われた、
「たとえば、コーサラ国の升目ではかって二十カーリカの胡麻の積荷(一車輛分)があって、それを取り出すとしよう、ついで一人の人が百年をすぎるごとに胡麻を一粒ずつとり出すとしよう。
 その方法によって、コーサラ国の升目ではかって二十カーリカの胡麻の積荷(一車輛分)が速やかに尽きたとしても、一つのアッブダ地獄はまだ尽きるに至らない。

 比丘よ、二十のアッブダ地獄は一つのニラッブダ地獄(の時期)に等しい。

 比丘よ、二十のニラッブダ地獄は一つのアババ地獄(の時期)に等しい。

 比丘よ、二十のアババ地獄は一つのアハハ地獄(の時期)に等しい。

 比丘よ、二十のアハハ地獄は一つのアタタ地獄(の時期)に等しい。

 比丘よ、二十のアタタ地獄は一つのクムダ地獄(の時期に等しい)。

 比丘よ、二十のクムダ地獄は一つのソーガンディカ地獄(の時期)に等しい。

 比丘よ、二十のソーガンディカ地獄は一つのウッパラカ地獄(の時期)に等しい。

 比丘よ、二十のウッパラカ地獄は一つのプンダリーカ地獄に等しい。

 比丘よ、二十のプンダリーカ地獄は一つのパドゥマ地獄(の時期)に等しい。

 そして、コーカーリヤは、サーリプッタおよびモッガラーナに対して敵意を抱いていたので、パドゥマ地獄に生まれたのである」

 師はこのように言われた。


幸せな人である師は、このことを説いてから、さらに次のように言われた、

「人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割くのである。

 そしるべき人を誉め、また誉むべき人をそしる者、彼は口によって禍を重ね、禍のゆえに福楽を受けることができない。

 賭博で財を失う人は、たとい自身を含めて一切を失うとも、その不運はわずかなものである。
 しかし立派な聖者に対して悪意を抱く人の受ける不運は、まことに重いのである。

 悪口を言いまた悪意を起して聖者をそしる者は、十万と三十六のニラッブダの(巨大な年数の間)また五つのアッブダの(巨大な年数の間)地獄に赴く。

 嘘を言う人は地獄に堕ちる。また実際にしておきながら「わたしはしませんでした」と言う人もまた同じ。
 両者ともに行為の卑劣な人々である、死後にはあの世で同じような運命を受ける(地獄に堕ちる)。

 害心なく清らかで罪汚れのない人を憎むかの愚者には、必ず悪(い報い)がもどってくる。
 風に逆らって微細な塵を撒き散らすようなものである。

 種々なる貪欲に耽る者は、言葉で他人をそしる。
 ──彼自身は、信仰心なく、ものおしみして、不親切で、けちで、やたらにかげ口を言うのだが。

 口穢く、不実で、卑しい者よ。生きものを殺し、邪悪で、悪行をなす者よ。下劣を極め、不吉な、でき損いよ。
 この世であまりおしゃべりするな。お前は地獄に堕ちる者だぞ。

 お前は塵を撒いて不利を招き、罪をつくりながら、諸々の善人を非難し、また多くの悪事をはたらいて、長い間深い坑(地獄)に陥る。

 けだし何者の業も滅びることはない。

 それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。
 愚者は、罪(業)を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。

(地獄に堕ちた者は、)鉄の串を突き刺されるところに至り、鋭い刃のある鉄の槍に近づく。
 さてまた灼熱した鉄丸のような食物を食わされるが、それは(昔つくった業に)ふさわしい当然なことである。

 (地獄の獄卒どもは「捕えよ」「打て」などといって)、誰もやさしい言葉をかけることもなく、(温顔をもって)向ってくることなく、頼りになってくれない。

(地獄に堕ちた者どもは)、敷き拡げられた炭火の上に臥し、あまねく燃え盛る火炎の中に入る。

 またそこでは(地獄に堕ちた者どもは)鉄の網をもって(地獄に堕ちた者どもを)からめとり、鉄槌をもって打つ。

 さらに真の暗黒である闇に至るが、その闇はあたかも霧のようにひろがっている。

 また、次に(地獄に堕ちた者どもは)火炎があまねく燃え盛っている銅製の釜に入る。
 火の燃え盛るそれらの釜の中で長い間煮られて、浮き沈みする。

 また、膿や血のまじった湯釜があり、罪を犯した人はその中で煮られる。
 彼がその釜の中でどちらの方角へ向って横たわろうとも、(膿と血とに)触れて汚される。

 また、蛆虫の棲む水釜があり、罪を犯した人はその中で煮られる。出ようにも、つかむべき縁がない。
 その釜の上部は内側に彎曲していて、まわりが全部一様だからである。

 また、鋭い剣の葉のついた林があり、(地獄に堕ちた者どもが)その中に入ると、手足を切断される。
(地獄の獄卒どもは)鉤を引っかけて舌をとらえ、引っ張りまわし、引っ張り廻しては叩きつける。

 また、次に(地獄に堕ちた者どもは)、超え難いヴェータラニー河に至る。その河の流れは鋭利な剃刀の刃である。
 愚かな輩は、悪い事をして罪を犯しては、そこに陥る。

 そこには黒犬や斑犬や黒カラスの群や野狐がいて、泣き叫ぶ彼らを貪り食うて飽くことがない。
 また鷹や黒色ならぬ鳥どもまでもが啄む。

 罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、実に悲惨である。
 だから人は、この世において余生のあるうちになすべきことをなして、ゆるがせにしてはならない。

 パドゥマ地獄に運び去られた者(の寿命の年数)は、荷車につんだ胡麻の数ほどあると、諸々の智者は計算した。
 すなわちそれは五千兆年とさらに一千万の千二百倍の年である。

 ここに説かれた地獄の苦しみがどれほど長く続こうとも、その間は地獄にとどまらねばならない。
 それ故に、人は清く、温良で、立派な美徳をめざして、常に言葉と心を慎むべきである。

スッタニパータ





  地獄の有様に関する経



  神の使い

 このように私は聞いた。
 あるとき、世尊はサーヴァッティー(舎衛城)にあるジェータ林のアナータピンディカの園(祇園)に滞在されていた。

そこで、世尊は比丘たちに「比丘たちよ」と呼びかけられた。

彼ら比丘たちは「はい、尊師よ」と世尊にお答えした。

世尊はこのように語られた、
「比丘たちよ、たとえば、眼ある人が戸口をそなえた二つの家の中間に立って、人々が家に入ったり、出たり、あちこちと動き回っているのを見るように、そのように、比丘たちよ、私は清浄にして超人的な天の眼によって、もろもろの生ける者たちが死にゆき、生まれかわるのを見、卑しきもの、尊きもの、美しきも、醜きもの、幸福なもの、不幸なものとして、生ける者たちがそれぞれの業に従っているのを知る。

 実に、これら現に生ける者たちは、身体における善行をそなえ、言葉(における善行をそなえ、)こころにおける善行をそなえ、聖人を誹謗せず、正しい見解をもち、正しい見解による行為をたもつならば、彼らは、肉体がこわれて、死後に善きところ、すなわち天界に生まれる。

 あるいはまた、これら現に生ける者たちは、身体における善行をそなえ、言葉(における善行をそなえ、)こころにおける善行をそなえ、聖人を誹謗せず、正しい見解をもち、正しい見解による行為をたもつならば、彼らは、肉体がこわれて、死後に人間界に生まれる。

 実に、これら現に生ける者たちは、身体における悪行をそなえ、言葉(における悪行をそなえ、)こころにおける悪行をそなえ、聖人を誹謗し、誤った見解をもち、誤った見解による行為をたもつならば、彼らは、肉体がこわれて、死後に、餓鬼の境域に生まれる。

 あるいはまた、これら現に生ける者たちは、身体における悪行をそなえ、言葉(における悪行をそなえ、)こころにおける悪行をそなえ、聖人を誹謗し、誤った見解をもち、誤った見解による行為をたもつならば、彼らは、肉体がこわれて、死後に、畜生のなかまに生まれる。

 あるいはまた、これら現に生ける者たちは、身体における悪行をそなえ、言葉(における悪行をそなえ、)こころにおける悪行をそなえ、聖人を誹謗し、誤った見解をもち、誤った見解による行為をたもつならば、彼らは、肉体がこわれて、死後に、苦難の境界、悪しきところ、破滅の世界、すなわち地獄に生まれる。 


 比丘たちよ、その地獄に生まれる者をば、地獄の番人たちはそれぞれに腕につかんで閻魔王(夜魔王)に見せる。
『王よ、この男は母を敬わず、父を敬わず、沙門をうやまわず、バラモンをうやまわず、家で年長者をうやまわない。
 王はこの者に罰を加えたまえ』と。

 比丘たちよ、その彼に、閻魔王は第一のあの世の使いについて訊問し、審判し、訓告する、
『おい、男よ、汝は人間界に現れた第一のあの世の使いを見なかったのか』と。

彼はこう答える、
『見ておりません、大王さま』と。

比丘たちよ、その彼に、閻魔王はこう言う、
『おい、男よ、汝は人間界において分別ない幼児が仰向けにふしたまま自分の糞尿をたれ流して寝ているのを見たことはないか』と。

彼はこう答える、
『王よ、見ました』と。

比丘たちよ、その彼に、閻魔王はこう言う、
『おい、男よ、汝は年とって思慮分別をもったときに”われもまた輪廻における出生を本性としており、出生を越えていない。さあ、われは身体において、言葉において、こころにおいて善をなそう”と、こう思うことができなかったのか』と。

彼はこう答える、
『王よ、私にはできませんでした。
 王よ、私は放逸に振る舞っていました』と。

比丘たちよ、その彼に、閻魔王はこう言う、
『おい、男よ、放逸のままに身体において、言葉において、こころにおいて善をなさなかったのであれば、おい、男よ、必ず汝をばその放逸の度合に応じて罰するであろう。
 まさに、汝のこれなる悪業は、母がなしたのではなく、父がなしたのではなく、兄弟がなしたのではなく、姉妹がなしたのではなく、朋友がなしたのではなく、親族がなしたのではなく、沙門・バラモンがなしたのではなく、神々がなしたのではない。
 この悪業は汝がなしたのである。
 汝自身がその悪業の果を受けるのである』と。


比丘たちよ、閻魔王は第一のあの世の使いについて訊問し、審判し、訓告しおわって、
その彼に、第二のあの世の使いについて訊問し、審判し、訓告する、
『おい、男よ、汝は人間界に現れた第二のあの世の使いを見なかったのか』と。

彼はこう答える、
『王よ、見ておりません』と。

比丘たちよ、その彼に、閻魔王はこう言う、
『おい、男よ、汝は人間界において女なり男なりが、生まれて齢八十、九十、百になり、老いて、背が垂木のように曲がり、杖にもたれ、身を震わせて歩き、病み、活気を失い、歯が欠け、髪白くなり、髪抜け落ち、禿頭となって、しわくちゃでしみだらけの姿を見たことはないか』と。

彼はこう答える、
『王よ、見ました』と。

比丘たちよ、その彼に、閻魔王はこう言う、
『おい、男よ、汝は年をとって思慮分別をもったときに”われもまた老を本性としており、老を越えていない。さあ、われは、身体において、言葉において、こころにおいて善をなそう”と、こう思うことができなかったのか』と。

彼はこう答える、
『王よ、私にはできませんでした。
 王よ、私は放逸に振る舞っていました』と。

比丘たちよ、その彼に、閻魔王はこう言う、
『おい、男よ、放逸のままに身体において、言葉において、こころにおいて善をなさなかったのであれば、おい、男よ、必ず汝をばその放逸の度合に応じて罰するであろう。
 まさに、汝のこれなる悪業は、母がなしたのではなく、父がなしたのではなく、兄弟がなしたのではなく、姉妹がなしたのではなく、朋友がなしたのではなく、親族がなしたのではなく、沙門・バラモンがなしたのではなく、神々がなしたのではない。
 この悪業は汝がなしたのである。
 汝自身がその悪業の果を受けるのである』と。


比丘たちよ、閻魔王は第二のあの世の使いについて訊問し、審判し、訓告しおわって、
その彼に、第三のあの世の使いについて訊問し、審判し、訓告する、
『おい、男よ、汝は人間界に現れた第三のあの世の使いを見なかったのか』と。

彼はこう答える、
『王よ、見ておりません』と。

比丘たちよ、その彼に、閻魔王はこう言う
『おい、男よ、汝は人間界において女なり男なりが病み、苦しみ、重く患い、自分の糞尿を垂れ流して寝、人に助けられて起き上がり、人に助けられて横たわっているのを見たことはないか』と。

彼はこう答える、
『王よ、見ました』と。

 比丘たちよ、その彼に、閻魔王はこう言う、
『おい、男よ、汝は年をとって思慮分別をもったときに、”われもまた病を本性としており、病を越えていない。さあ、われは、身体において、言葉において、こころにおいて善をなそう”と、こう思うことができなかったのか』と。

彼はこう答える、
『王よ、私にはできませんでした。王よ、私は放逸に振る舞っていました』と。

比丘たちよ、その彼に、閻魔王はこう言う、
『おい、男よ、放逸のままに身体において、言葉において、こころにおいて善をなさなかったのであれば、おい、男よ、必ず汝をばその放逸の度合に応じて罰するであろう。
 まさに、汝のこれなる悪業は、母がなしたのではなく、父がなしたのではなく、兄弟がなしたのではなく、姉妹がなしたのではなく、朋友がなしたのではなく、親族がなしたのではなく、沙門・バラモンがなしたのではなく、神々がなしたのではない。
 この悪業は汝がなしたのである。
 汝自身がその悪業の果を受けるのである』と。


比丘たちよ、閻魔王は第三のあの世の使いについて訊問し、審判し、訓告しおわって、
その彼に、第四のあの世の使いについて訊問し、審判し、訓告する、
『おい、男よ、汝は人間界に現れた第四のあの世の使いを見なかったのか』と。

彼はこう答える、
『王よ、見ておりません』と。

比丘たちよ、その彼に、閻魔王はこう言う、
『おい、男よ、汝は人間界においてもろもろの王が、盗賊・犯罪者を捕え、さまざまな刑罰、すなわち、鞭で打ち、籐で打ち、棍棒で打ち、手を切り、足を切り、手と足を切り、耳を切り、鼻を切り、耳と鼻を切り、粥壺の刑(頭蓋を割って、沸騰した粥を流し込む)をなし、貝剃の刑(磨いた貝のように、砂利で頭皮をこする)をなし、ラーフの口刑(口で鉄針で油布でまいて火をつける)をなし、火花輪の刑(身体に油布で巻いて火をつける)をなし、蛇の皮剥ぎの刑(首から膝にかけて皮膚を細長く剥ぎ、足のまわりにたらす)をなし、皮剥ぎ衣の刑(細布のように、剥いだ皮膚をそれぞれ毛髪で結び、ヴェールをかぶったようにする)をなし、羚羊の刑(膝とひじとをいっしょにしばり鉄板の上にかがませて、下から火をつける)をなし、肉鉤の刑(肉鉤でつりあげられる)をなし、カハーパナ銅貨の刑(カハーパナ銅貨の大きさに、身体を寸断する)をなし、灰汁裂きの刑(刃物で身体を傷つけ、灰汁汁を注ぐ)をなし、棒廻転の刑(両耳の孔を鉄棒で刺し通して、大地にころがす)をなし、藁蒲団の刑(骨をつぶすほどたたいて、身体を藁蒲団のようにする)をなし、熱した油を注ぎ、犬どもに喰わせ、生きたまま串刺しにし、剣で首を切る、といったことを執行させているのをみたことはないか』と。

彼はこう答える、
『王よ、見ました』と。

比丘たちよ、その彼に、閻魔王はこう言う、
『おい、男よ、汝は年をとって思慮分別をもったときに、〈実にもろもろの悪事をなした者どもは、現世においてさえこのようなさまざまな刑罰を科せられる、ましてや来世においてはいかほどであろう。
 さあ、われは、身体において、言葉において、こころにおいて善をなそう〉と、こう思うことができなかったのか』と。

彼はこう答える、
『王よ、私にはできませんでした。王よ、私は放逸に振る舞っていました』と。

比丘たちよ、その彼に、閻魔王はこう言う、
『おい、男よ、放逸のままに身体において、言葉において、こころにおいて善をなさなかったのであれば、おい、男よ、必ず汝をばその放逸の度合に応じて罰するであろう。
 まさに、汝のこれなる悪業は、母がなしたのではなく、父がなしたのではなく、兄弟がなしたのではなく、姉妹がなしたのではなく、朋友がなしたのではなく、親族がなしたのではなく、沙門・バラモンがなしたのではなく、神々がなしたのではない。
 この悪業は汝がなしたのである。
 汝自身がその悪業の果を受けるのである』と。


比丘たちよ、閻魔王は第四のあの世の使いについて訊問し、審判し、訓告しおわって、
その彼に、第五のあの世の使いについて訊問し、審判し、訓告する、
『おい、男よ、汝は第五のあの世の使いが人間界に現れたのを見たことがあるか』と。

彼はこう答える、
『王よ、見ておりません』と。

比丘たちよ、その彼に、閻魔王はこう言う
『おい、男よ、汝は人間界において女なり男なりが、死んで一日を経、または二日を経、三日を経て、膨張し、青膨れし、膿にまみれた屍体になるのを見たことがあるか』と。

彼はこう答える、
『王よ、見ました』と。

比丘たちよ、その彼に、閻魔王はこう言う、
『おい、男よ、汝は年をとって思慮分別をもったときに、”われもまた死を本性としており、死を越えていない。さあ、われは、身体において、言葉において、こころにおいて善をなそう”と、こう思うことができなかったのか』と。

彼はこう答える、
『王よ、私にはできませんでした。
 王よ、私は放逸に振る舞っていました』と。

比丘たちよ、その彼に、閻魔王はこう言う、
『おい、男よ、放逸のままに身体において、言葉において、こころにおいて善をなさなかったのであれば、おい、男よ、必ず汝をばその放逸の度合に応じて罰するであろう。
 まさに、汝のこれなる悪業は、母がなしたのではなく、父がなしたのではなく、兄弟がなしたのではなく、姉妹がなしたのではなく、朋友がなしたのではなく、親族がなしたのではなく、沙門・バラモンがなしたのではなく、神々がなしたのではない。
 この悪業は汝がなしたのである。
 汝自身がその悪業の果を受けるのである』と。

 比丘たちよ、その彼に、閻魔王は第五のあの世の使いについて訊問し、審判し、訓告しおわり、沈黙する。


 比丘たちよ、その彼に、地獄の獄卒どもは、<五処縛>と名づける刑罰を行う。
 すなわち、赤熱した鉄杖を一方の手に刺し、赤熱した鉄杖をもう一方の手に刺し、また、赤熱した鉄杖を一方の足に刺し、赤熱した鉄杖をもう一方の足に刺し、さらに、赤熱した鉄杖を胸の中央に刺す。
 彼はそのとき極めて激しい苦痛を受ける。しかし、彼の悪業が尽きてしまわない限り、彼は死ぬことがない。

 比丘たちよ、その彼を、獄卒どもは横にして斧で切りきざむ。
 彼はそのとき極めて激しい苦痛を受ける。(しかし、彼の悪業が尽きてしまわない限り、彼は死ぬことがない。)

 比丘たちよ、その彼を、獄卒どもは足を上に、頭を下にして手斧で切りきざむ。
 彼はそのとき極めて激しい苦痛を受ける。(そして、彼の悪行が尽きてしまわない限り、彼は死ぬことがない。)

 比丘たちよ、その彼を、獄卒どもは車につなぎ、炎々として烈しく燃え盛っている大地の上を往かせては戻らせる。
 彼はそのとき極めて激しい苦痛を受ける。(しかし、彼の悪業が尽きてしまわない限り、彼は死ぬことがない。)

 比丘たちよ、その彼を、獄卒どもは炎々として激しく燃え盛っている大きな炭火の山に登らせては降ろさせる。
 彼はそのとき極めて激しい苦痛を受ける。(しかし、彼の悪業が尽きてしまわない限り、彼は死ぬことがない。)

 比丘たちよ、その彼を、獄卒どもは足を上にしてつかみ、炎々として烈しく燃え盛った熱い銅釜に投げ込む。
 彼はそこで煮立たされる。彼はそこで煮立たされつつ上に行き、下に行き、横に行く。
 彼はそのとき極めて激しい苦痛を受ける。しかし、彼の悪業が尽きてしまわない限り、彼は死ぬことがない。

 比丘たちよ、その彼を、獄卒どもは大地獄に投げ込む。

 比丘たちよ、実にかの大地獄とは、

 四角につくられ四門あり、等しきさまに別れたり、鉄の壁に囲まれて、鉄の屋根にて覆われる。

 鉄からなれるその床は、炎をあげて燃え盛り、百ヨージャナも拡がりて、火はときとこしえに在り続く。

 比丘たちよ、さらにまた、この大地獄の東側の壁から火の手があがり、西側の壁に突きあたる。
 西側の壁から火の手があがり、東側の壁に突きあたる。南側の壁から火の手があがり、北側の壁に突きあたる。
 北側の壁から火の手があがり、南側の壁に突きあたる。下から火の手があがり、上に突きあたる、上から火の手があがり、下に突きあたる。
 彼は極めて激しい苦痛を受ける。しかし、彼の悪業が尽きてしまわない限り、彼は死ぬことがない。

 比丘たちよ、長い期間を経るうちに、いつかこの大地獄の東門が開かれるときがある。
 彼はそこへ全速力で走る。彼が全速力で走ると、外皮も焼かれ、内皮も焼かれ、肉も焼かれ、筋も焼かれ、骨も焦がされる。
 まさに、このような状態に引き込まれる。

 そして、比丘たちよ、彼が多くの時を積み重ねてのち、その門は閉まる。彼はそこで極めて激しい苦痛を受ける。
 しかし、彼の悪業が尽きてしまわない限り、彼は死ぬことがない。

 比丘たちよ、長い期間を経るうちに、いつかこの大地獄の西門が開かれるときがある。
(彼はそこへ全速力で走る。彼が全速力で走ると、外皮も焼かれ、内皮も焼かれ、肉も焼かれ、筋も焼かれ、骨も焦がされる。
 まさに、このような状態に引き込まれる。

 そして、比丘たちよ、彼が多くの時を積み重ねてのち、その門は閉まる。彼はそこで極めて激しい苦痛を受ける。
 しかし、彼の悪業が尽きてしまわない限り、彼は死ぬことがない。

 比丘たちよ、長い期間を経るうちに、いつかこの大地獄の)北門が開彼るときがある。
(彼はそこへ全速力で走る。彼が全速力で走ると、外皮も焼かれ、内皮も焼かれ、肉も焼かれ、筋も焼かれ、骨も焦がされる。
 まさに、このような状態に引き込まれる。

 そして、比丘たちよ、彼が多くの時を積み重ねてのち、その門は閉まる。彼はそこで極めて激しい苦痛を受ける。
 しかし、彼の悪業が尽きてしまわない限り、彼は死ぬことがない。

 比丘たちよ、長い期間を経るうちに、いつかこの大地獄の)南門が開彼るときがある。
(彼はそこへ全速力で走る。彼が全速力で走ると、外皮も焼かれ、内皮も焼かれ、肉も焼かれ、筋も焼かれ、骨も焦がされる。
 まさに、このような状態に引き込まれる。

 そして、比丘たちよ、彼が多くの時を積み重ねてのち、)その門は閉まる。彼はそこで極めて激しい苦痛を受ける。
 しかし、彼の悪業が尽きてしまわない限り、彼は死ぬことがない。

 比丘たちよ、長い期間を経るうちに、いつかこの大地獄の東門が開彼るときがある。
(彼はそこへ全速力で走る。彼が全速力で走ると、外皮も焼かれ、内皮も焼かれ、肉も焼かれ、筋も焼かれ、骨も焦がされる。) まさに、このような状態に引き込まれる。

 彼はその門より脱出する。

 しかるに、比丘たちよ、この大地獄にすぐ続いて広大な糞尿地獄がある。彼はそこへ堕ちる。

 比丘たちよ、実にこの糞尿地獄には針のくちばしをもった虫どもがいて、外皮を破りおわって内皮を破り、内皮を破りおわって肉を破り、肉を破りおわって筋を破り、筋を破りおわって骨を破り、骨を破りおわって髄を喰う。
 彼はそこで極めて激しい苦痛を受ける。しかし、彼の悪業が尽きてしまわない限り、彼は死ぬことがない。

 また、比丘たちよ、この糞尿地獄にすぐ続いて広大な熱灰地獄がある。彼はそこへ堕ちる。
 彼はそこで極めて激しい苦痛を受ける。しかし、彼の悪業が尽きてしまわない限り、彼は死ぬことがない。

 また、比丘たちよ、この熱灰地獄にすぐ続いて劫だしな刺樹林がある。彼はそこへ堕ちる。
 おのおの木は一ヨージャナの高さにそびえ、十六アングラの長さの刺をもち、炎上して、烈しく燃え盛っている。
 彼はそこへ登らせられては降ろさせられる。
 彼はそこで極めて激しい苦痛を受ける。しかし、彼の悪業が尽きてしまわない限り、彼は死ぬことがない。

 また、比丘たちよ、この刺樹林にすぐ続いて広大な剣葉林がある。彼はそこへ堕ちる。
 風に吹かれ落ちた葉が、彼の手を切り、足を切り、手と足を切り、耳を切り、鼻を切り、耳と鼻を切る。
 彼はそこで極めて激しい苦痛を受ける。しかし、彼の悪業が尽きてしまわない限り、彼は死ぬことがない。

 また、比丘たちよ、この剣葉林にすぐ続いて広大な腐蝕液の河がある。彼はそこへ堕ちる。
 彼はそこで流れに沿って流され、流れに逆らって流され、流れに沿い逆らって流される。
 彼はそこで極めて激しい苦痛を受ける。しかし、彼の悪業が尽きてしまわない限り、彼は死ぬことがない。

比丘たちよ、その彼を獄卒たちは鉤でつり上げ、陸に立たせてこう言う、
『おい、男よ、何が欲しいか』と。

彼はこう言う、
『だんな様、私は腹がすいています』と。

 比丘たちよ、その彼をして、獄卒たちは炎々として烈しく燃え盛っている熱い金鋏で口を開かせ、炎々として烈しく燃え盛っている熱い銅丸を口の中に投げ込む。
 それは、彼の唇も焼き、口も焼き、喉も焼き、胸も焼き、小腸・大腸と一緒に下部からどっと出る。
 彼はそこで極めて激しい苦痛を受ける。しかし、彼の悪業が尽きてしまわない限り彼は死ぬことがない。

比丘たちよ、その彼に、獄卒たちはこう言う、
『おい、男よ、何が欲しいか』と。

彼はこう言う、
『だんな様、私は喉が乾いています』と。

 比丘たちよ、その彼をして、獄卒たちは炎々として烈しく燃え盛っている熱い金鋏で口を開かせ、炎々として烈しく燃え盛っている熱い熔銅を流し込む。それは、彼の唇も焼き、口も焼き、喉も焼き、胸も焼き、小腸・大腸と一緒に下部からどっと出る。
 彼はそこで極めて激しい苦痛を受ける。しかし、彼の悪業が尽きてしまわない限り、彼は死ぬことがない。

 比丘たちよ、その彼を、獄卒たちは再び大地獄に投げ込む。


比丘たちよ、昔、閻魔王(夜摩王)はこのような思いをなした、
『実に、この世でもろもろの悪業をなす者たちは、このようなさまざまな刑罰を受けるべきである。
 ああ、願わくは私は人間の位を得たい。
 そして、世の尊敬を受けるべき人・まったき正覚者である如来がお生まれになる世において、私はかの世尊を敬いたい。
 そして、私も世尊に真理の教えをご教示され、私も世尊の教えを悟りたい』と。


 比丘たちよ、実に私はこのことを他の沙門なりバラモンなりから聞いて語るのではない。
 ただ私がみずから知り、みずから見、みずから了解したことのみを、私は語るのである」

 このように世尊は語られた。

このように語り、大師である幸ある人(善逝)は、さらにまたこのように誦えられた、

「あの世の使いを促せど、わがままに振舞う輩や劣悪な集団に属する人々は、長夜、憂いを抱く。

 しかし、このとき、正しい法に従い、決してわがままに振舞うことのない正しい人々に、あの世の使いを促せば、生死を引き起こす執著のなかに恐怖を見出し、執著を離れることによって、生死の寂静において解脱する。

 安楽に達した人々は、現世において寂滅し、すべての怨みと恐怖を越え、すべての苦しみを越えわたる」と。

中部経典 天使経





【放逸で、他人の妻になれ近づく者は、四の事柄に遭遇する。
 罪業を得ること、安らかに臥すことができないこと、第三に非難を受けること、第四に地獄に堕ちる。

 罪業を得て、また、悪処〔地獄〕に堕ちる。おびえる(男)とおびえる(女)の淫楽は少ない。王もまた重罰を課する。
 それ故に、人は、他人の妻になれ近づくな(犯してはならない。)



  地獄

 不実を語る人は地獄に堕す。あるいは、自分がしておきながら、「私はしませんでした」と言う人も地獄に堕す。
 これらの両種の悪業者は、死後に他世〔地獄〕において同等となる。

 袈娑を頭からまとうても、悪を行い、つつしみのない者は多い。彼ら悪人は、その悪業〔悪いふるまい〕によりて、悪処〔地獄〕に堕す。

 戒律をまもらず、(無節制で)自ら慎むことなくして、国の信徒の施食を受けるよりは、火炎のように熱した鉄丸を食うほうが勝れている。

 放逸で、他人の妻になれ近づく者は、四の事柄に遭遇する。
 罪業を得ること、安らかに臥すことができないこと、第三に非難を受けること、第四に地獄に堕ちる。

 罪業を得て、また、悪処〔地獄〕に堕ちる。おびえる(男)とおびえる(女)の淫楽は少ない。王もまた重罰を課する。
 それ故に人は、他人の妻になれ近づくな(犯してはならない。)

 かや草でも、とらえ方を誤まると、手のひらを切るように、修行を誤まっているその修行者の道は、人を地獄に導く。

 その行いがだらしなく、身の戒めが乱れ、清らかな行いも怪しげであるならば、そのような者に大きな果報はない。

 もし為すべきことであるならば、それを為すべきである。それを断乎として実行せよ。
 行いの乱れた修行僧は、更により多く(欲)塵をまき散らす。

 悪い事をするよりは、何もしないほうがよい。悪い事をすれば、後で悔いて苦しむ。
 単に何らかの行為をするより、善い事をするほうがよい。為しおわって、後で悔いて苦しむ事がない。

 辺境の城が、内も外も共に護られているように、そのように自己を護るが善い。
 瞬時も虚しく過ごすな。時を虚しく過ごした人々は、地獄に堕ちて、苦しみ悩む。

 恥じなくて善いことを恥じて、恥ずべきことを恥じない邪まな見解〔邪見〕をいだく人々は、悪趣〔地獄〕に到る。

 恐れなくて善いことに恐れを見て、恐れるべきことに恐れを見ない邪まな見解〔邪見〕をいだく人々は、悪趣〔地獄〕に到る。

〔聖者方の怖れる悪業・怖れるべき悪業〕・避けねばならない罪業を、”避けなくて良い”と思い、避けなくて善い(無)罪業を、”避けなければならない”と考える邪まな見解〔邪見〕をいだく人々は、悪趣〔地獄〕に到る。

〔聖者方の怖れる悪業・怖れるべき悪業〕・遠ざけるべき罪業を、”遠ざけるべきである”と知り、
 遠ざけなくて善い(無)罪業を、”遠ざけなくて善い”と考える正しい見解をいだく人々は、善い処〔天上〕に赴く。

ダンマパダ





















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