更訂 H28.6.3


  悪魔の誘惑とは何か



 この悪魔の誘惑に関する教えは、仏教より他の、真理を観る全ての教えに通じている教えです。

 仏陀の説かれている悪魔の誘惑の話と、他の聖者が説かれている悪魔の誘惑の話は、おし極めて観ていくと、真理として同様の事柄を語っているという理法に気づくと思います。

 また、このHPの悪魔・悪しき存在の話・悪霊の悪行の話も、要するに内容(の意味)として、仏陀の説かれる悪魔の(誘惑の)話と大きく異なっているということはなく、
仏陀の説かれる教えから、私の記している悪霊の悪行を見れば、悪霊という存在に関してもさらに理解できることでしょう。


 そのように、この悪魔の誘惑に関する仏陀の教えにより、悪魔の欲するところを、知り学んでから、仏陀の教えではない他の聖者・聖人による真聖な聖典等の、悪魔の誘惑に関する部分を読むと、悪魔という存在が何をしたいのか、が(より)理解されるでしょう。

 そこで、重要なのは、仏陀という、出家されて、正しく覚りを得た聖者や、仏陀の弟子の阿羅伽の聖者の教えがあって、それらの事柄が(より)理解されるということです。

 正しく自ら一切法を覚った方(仏陀)の教えがあって、理解されるのです。

 世間の凡夫の能力者や、単なる心霊の専門家等の話では、真理の、その一つ一つの教えに関しても、迷いから脱することは難しいということです。

 例えば、私が、仏陀の教えによって、人々を仏陀のもとへ、真理へと導く。

 正しく導かれたその人は、仏陀の教えを読めば、導かれなくても、自らで理解できたというやもしれません。


 しかし、世間では、その人のように、仏陀のもとへ正しく導かれる人は多くはないのです。

 世間の、迷っている宗教、仏教であっても迷いにある大乗仏教、また、多くの新興宗教、また、様々な神々への信仰。
 これらの、迷いにある多くの人々が、導かれることがなかったために、迷いに入っているということを理解するべきです。

 正しく導かれたあなたは、迷っている宗教、迷っている大乗仏教、また、多くの新興宗教や、様々な神々への信仰者等が、なぜ迷っているのか、どこで迷っているのか、どのように迷いに入っているのか、理解することができるでしょう。

 なぜ、あなたは理解することができるのか。

 なぜならば、あなたは、仏陀の真理の教えによって、正しく導かれてきたからです。


 正しい教え・正しい導きがなければ、世間の迷いにある多くの人々のように、多くの様々な教えや信仰の道に迷うのです。


 そして、仏陀(全知者)は、世間の幽霊や、怪奇現象や、心霊だのの世界(境界)とされるものをも、理解した上でも教えを説かれている。
であるので、真実に心霊の境界の話も一致するのです。


 このように、仏陀の教えは、仏教より他の教えを信仰する方をも、真理に迷うことのないように利する、また、その人が善処に赴くように利するのです。

 そのような最上の教えであるというのが、真理を学ぶことによりて、さらに理解されてくるでしょう。


 これが、仏陀という正しく自ら一切法を覚った方(正等覚者)の説かれる真理です。





 【悪魔の誘惑という事柄に関して】


 このHPで言う悪魔というのは、おもに天魔を意味して記しているものです。(さえという悪魔や畜生霊等の存在は、天魔を意味して記してはいないです。)
 現在のこの世では、悪魔の力の行使しえる領域というものを知らない人が多く、また、この世で、霊的な能力者と呼ばれる者の多くも、魔・悪魔を理解していないがゆえに、魔の誘導に気づくことができない者も多くいる。そのように、多少なりとも霊的な能力を持つ者ですら、悪魔の自在力を知りえないのであるから、一般の衆生が知る由もない。

 また、通常の能力者ですら、悪魔の誘導に気づき難いのであるから、悪しき能力者は言うまでもなく、更に、悪魔の誘導に気づくことが難しい。

 譬えば、世間にいる悪しき能力者が、自然力を非法に用いている。という、この時点において、すでにその悪しき能力者自身が魔羅の範疇にいるということでもあり、すなわち、その能力者自身が、死魔に捕らえられているということでもあります。

 魔の五種は、それぞれの魔が別々というのではなく、譬えば、煩悩に捕らえられるとは、すなわち、煩悩を生ぜば、天魔の自在にあい、また、五蘊を取せば、天魔の自在に合い、また、正道にない後有を生じる業を行作するのも、天魔の力の及ぶ範疇にあり、これらは、悪魔の領域から脱してはいないのです。

 これら悪魔に関する教えは、仏教でも、大乗密教等の、例えば、護魔(護摩・火の祀り)を行じているようなところでは、悪魔の領域から脱することはできません。
 その護魔(護摩)行自体がすでに、悪魔の領域にあるものであるからです。
 仏陀の弟子の方々は、護魔行(火の祀り)を捨てているというのは、ただ単に、仏陀の教えによりて、禁じられているから護魔を捨てたということなのではなく、護魔行にある煩悩、渇愛をも見て、悪魔の領域にあるもの・悪魔の自在にあう領域から脱しない原因のものを捨てている、ということでもあるのです。

 ここで記している事柄を理解できない人は、「そのようなことはありえない」と、言う人もいるかもしれませんが、
”道理として、仏陀の弟子が、護魔を取することはありえない”というのは、仏陀の教え・理法を正しく学んでいる人であれば、普通に導きだされる答えです。
また、HPの他の箇所でも何度も説明をしているので、理解できないことはないだろうと思います。

 私がこれらを記しているのは、悪魔の領域で迷っている人を、正しく仏陀の元へ導くためです。
 仏陀の教えを正しく理解したならば、護魔行を行じている者自身、自らが道に迷っていた、という真理を、自らで知るでしょう。


 魔という存在に関しては、真理を学ぶ人、真理・善へと歩む人や、真理を説く人は、大いに学ばなければならない事柄です。

 自分のところに何らかの守護の霊がいるのであれば、その守護の霊と一緒に考えてもよいが、一緒に考えて真理の方向に進めるのであれば、一応問題はないが、真理を学ぶに際して、感情や想念で、嫌悪感や、悪念がでるようであれば、自分のところのその霊を除けておいて、独りで思考しなければならないでしょう。



 理法を知り、魔を知らなければ、世間の霊的境界に精通している能力者も、一般能力者も、魔から脱することはできません。





真理を知る障礙の【魔に五種】あり、

 天魔、五蘊魔、煩悩魔、行作魔、死魔、の五種をいう。

〚天魔〛
 天人という魔・悪魔・魔羅・魔王。欲界の最高の位置(他化自在の魔天)にいる天人(天魔)は、妨害する相があり、人の邪魔をして、欲楽を惜しませ布施による偉大な善を妨害し、自分の支配する領域から離脱させないように為すので、魔と称せられる。
 自らが操れる領域からの解脱を妨げる。殺すもの、また、生命を奪い善事を妨げる者。魔・殺者・死者。

〚五蘊魔〛
 五蘊という魔。五陰魔・五衆魔ともいう。五蘊は、造り上げる要素の状態なので、内部に葛藤があり、安静せず永らえないで、観理することが負担となる。
 さらに、老いや病によりて変壊・衰退して、人が仕事や義務を行なったり、望める限りの善を行なう機会を削いで、完全にその機会を失わせることもあり、魔と称せられる。

〚煩悩魔〛
 煩悩という魔。煩悩は、善を駆逐して妨げ、現在も、将来も、衆生に破滅をもたらすものなので、魔と称せられる。

〚行作魔〛
 行作という魔。行作は、業を造り上げるもので、生、老い、などを生じさせ、苦の輪廻から解脱することを妨げるので、魔と称せられる。

〚死魔〛
 死という魔。死は一切の善が前進する機会を断ち切るので、魔と称せられる。





【魔の縛とは何か】

 ○仏陀曰く、

 『五蘊(色・受・想・行・識の各々)があれば、魔あり』

 『五蘊(の各々)を取する時は、魔に縛せられる。取することなき時は、魔羅パーピマーより解脱する』

 『五蘊(の各々)を思する時は、魔に縛せられる。思することなき時は、魔羅パーピマーより解脱する』

 『五蘊(の各々)を歓喜する時は、魔に縛せられる。歓喜することなき時は、魔羅パーピマーより解脱する』

 『五蘊(の各々)は、魔である。魔において、欲・貪・欲貪を断ぜよ』

 『五蘊(の各々)は、魔法である。魔の法において、欲・貪・欲貪を断ぜよ』

 『五蘊(の各々)は、無常、苦、無我である』

 『五蘊(の各々)は、尽法であり、壊法であり、集法であり、滅法である』

 『五蘊(の各々)は、結法である。欲・貪りはその結である』

 『五取蘊(色取蘊・受取蘊・想取蘊・行取蘊・識取蘊の各々)は、無常、苦、無我、苦、病、腫物、刺、痛、壊、空である』

 『五蘊(の各々)ありて、五蘊を取することによりて、現貪することがある。現貪することによりて、転倒説(邪見)がある』

 『五蘊(色・受・想・行・識の各々)があれば、魔・殺者・死者あり。
  故に、五蘊(の各々)は、魔であり、殺者であり、死者であり、病であり、腫物であり、刺であり、痛であり、痛種である、と正観する。
  正観によりて厭い離れる。厭離によりて離貪する。離貪によりて解脱する。解脱によりて涅槃する』

 『五蘊(の各々)を厭い離れ、喜びが尽きるがゆえに、貪りが尽きる。貪りが尽きるがゆえに、喜びが尽きて、心解脱、善解脱する』

 『五蘊(の各々)なきことによりて、死後、有色我という識無し』

 『六根・六境・六識があるところに、魔羅あり』


 『比丘たちよ、阿修羅王ビマシッタラへの縄の縛はこのように、微妙であるが、それよりも、更に、魔羅パーピマー〔魔天の魔王波旬〕の縛は微妙なのである』







【悪魔は、常に汝らの傍らにあって、捕える機会を得ようと狙っているのである。
(悪魔は、)汝の眼によりて色に執著し、耳によりて声を聞き、鼻によりて香を嗅ぎ、舌によりて味を嘗め、身によりて触感されるものを触し、意によりて法(好嫌喜貪愚悪等の諸法)を念ぜんことを願い、六境の染著〔執著〕を起こそうと欲する。
 比丘たちよ、そのように、悪魔は、いつも汝らの傍らにあって、眼により、耳により、鼻により、舌により、身により、意によりて、彼を捕える機会を得ようと狙っているのである。
 それ故に、比丘たちよ、汝らはよく諸根において、その感官の門を観視しつづけるが善い】


  亀

このように私は聞いた。

ある時、世尊はコーサンビーのゴーシタの園に留まっておられた。

その時、世尊は、比丘たちに告げて仰せられた、
「比丘たちよ、昔ある時、一匹の亀が、夕刻に、河の岸辺で餌をあさっていた。
 また、一匹の野干も、夕刻に、河の岸辺で餌をあさっていた。

 比丘たちよ、その時、その亀は、遠くに野干が、餌をあさっている姿を見つけ、手足と首とを自らの甲羅の中に蔵して、じっと動かないでいた。

 比丘たちよ、やがて、野干もまた、遠くから亀を見つけて、亀のいるところへやって来た。
 そして、亀のそばに立つと、その亀が、手でも足でも首でも、いずれかを出したら、そくざに彼を捕えて、引き裂いて食おうと待ち構えていた。

 だが、比丘たちよ、亀はどうしても、手も足も首も出さなかったので、野干は、ついにその機会を得ず、根負けして遠ざかって行った。


 比丘たちよ、これと同じように、悪魔は、常に汝らの傍らにあって、捕える機会を得ようと狙っているのである。

 (悪魔は、) 汝の、眼によりて色に執著し、耳によりて声を聞き、鼻によりて香を嗅ぎ、舌によりて味を嘗め、身によりて触感されるものを触し、意によりて法〔その対象の物事、喩えば愚悪貪欲等の諸法等〕を念ずることを願い、六境の染著〔執著〕を起こそうと欲する。

 比丘たちよ、そのように、悪魔は、いつも汝らの傍らにあって、眼により、耳により、鼻により、舌により、身により、意によりて、彼を捕える機会を得ようと狙っているのである。
それ故に、比丘たちよ、汝らは、よく諸根において、その感官の門を観視しつづけるがよい。

 もし眼をもって色(物体)を見たならば、その外見や細部に惹かれてはならない。
もし彼が、その眼根を守らないでいると、たちまち、貪欲や、失意や、悪不善の事柄が、彼に襲いかかってくる。
 故に、それを制御することに努め、よく眼根を守護して、観理するがよろしい。眼根を守護して住せば、悪魔はその機会を得ない。

 もし耳をもって声を聞いたならば、その外見や細部に惹かれてはならない。
もし彼が、その耳根を守らないでいると、たちまち、貪欲や、失意や、悪不善の事柄が、彼に襲いかかってくる。
 故に、それを制御することに努め、よく耳根を守護して、観理するがよろしい。耳根を守護して住せば、悪魔はその機会を得ない。

 もし鼻をもって香を嗅いだならば、その外見や細部に惹かれてはならない。
もし彼が、その鼻根を守らないでいると、たちまち、貪欲や、失意や、悪不善の事柄が、彼に襲いかかってくる。
 故に、それを制御することに努め、よく鼻根を守護して、観理するがよろしい。鼻根を守護して住せば、悪魔はその機会を得ない。

 もし舌をもって味を味わったならば、その外見や細部に惹かれてはならない。
もし彼が、その舌根を守らないでいると、たちまち、貪欲や、失意や、悪不善の事柄が、彼に襲いかかってくる。
 故に、それを制御することに努め、よく舌根を守護して、観理するがよろしい。舌根を守護して住せば、悪魔はその機会を得ない。

 もし身をもって触感されるものを触するならば、その外見や細部に惹かれてはならない。
もし彼が、その身根を守らないでいると、たちまち、貪欲や、失意や、悪不善の事柄が、彼に襲いかかってくる。
 故に、それを制御することに努め、よく舌根を守護して、観理するがよろしい。舌根を守護して住せば、悪魔はその機会を得ない。

 もし意をもって法を意識したならば、その外見や細部に惹かれてはならない。
もし彼が、その意根を守らないでいると、たちまち、貪欲や、失意や、悪不善の事柄が、彼に襲いかかってくる。
 故に、それを制御することに努め、よく舌根を守護して、観理するがよろしい。舌根を守護して住せば、悪魔はその機会を得ない。


 比丘たちよ、そのように、汝らは、諸根の門を護っているので、悪魔もまた、根負けして、汝らから遠ざかってゆくであろう。

 かの野干が、その機会を得ずして、去って行ったように。

 甲羅に手足を蔵するように、思慮ある比丘は、依憑きなく、愛著を離れ、他者を傷つけず、悪しきを離れて、人をそしらず。」





【比丘が、もし(色・声・香・味・触・法)を悦喜し、讃美し、これに恋著しているならば、
 比丘たちよ、この比丘は、魔の住家に入り、魔の権力に服したと称せられる。
 彼の首は、魔索に絡められ、彼は魔縛を以て、縛せられ、波旬の意欲のまま(自在)になる】


  魔索〔悪魔の縄〕

「比丘たちよ、眼所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”色”があり、
 比丘が、もしこれを悦喜し、讃美し、これに恋著しているならば、比丘たちよ、この比丘は、魔の住家に入り、魔の権力に服したと称せられる。
 彼の首は、魔索〔悪魔の縄〕に絡められ、彼は魔縛を以て、縛せられ、波旬の意欲のまま(自在)になる。

 比丘たちよ、耳所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”声”があり、
 比丘が、もしこれを悦喜し、讃美し、これに恋著しているならば、比丘たちよ、この比丘は、魔の住家に入り、魔の権力に服したと称せられる。
 彼の首は、魔索に絡められ、彼は魔縛を以て、縛せられ、波旬の意欲のまま(自在)になる。

 比丘たちよ、鼻所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”香”があり、
 比丘が、もしこれを悦喜し、讃美し、これに恋著しているならば、比丘たちよ、この比丘は、魔の住家に入り、魔の権力に服したと称せられる。
 彼の首は、魔索に絡められ、彼は魔縛を以て、縛せられ、波旬の意欲のまま(自在)になる。

 比丘たちよ、舌所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”味”があり、
 比丘が、もしこれを悦喜し、讃美し、これに恋著しているならば、比丘たちよ、この比丘は、魔の住家に入り、魔の権力に服したと称せられる。
 彼の首は、魔索に絡められ、彼は魔縛を以て、縛せられ、波旬の意欲のまま(自在)になる。

 比丘たちよ、身所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”触”があり、
 比丘が、もしこれを悦喜し、讃美し、これに恋著しているならば、比丘たちよ、この比丘は、魔の住家に入り、魔の権力に服したと称せられる。
 彼の首は、魔索に絡められ、彼は魔縛を以て、縛せられ、波旬の意欲のまま(自在)になる。

 比丘たちよ、意所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”法”があり、
 比丘が、もしこれを悦喜し、讃美し、これに恋著しているならば、比丘たちよ、この比丘は、魔の住家に入り、魔の権力に服したと称せられる。
 彼の首は、魔索に絡められ、彼は魔縛を以て、縛せられ、波旬の意欲のまま(自在)になる。


 比丘たちよ、眼所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”色”があり、
 比丘が、もしこれを悦喜せず、讃美せず、これに恋著せずに住しているならば、比丘たちよ、この比丘は、魔の住家に入らず、魔の権力に服せずと称せられる。
 彼の首は、魔索〔悪魔の縄〕を脱し、彼は魔縛をより解かれ、波旬の意欲のまま(自在)にならない。

 比丘たちよ、耳所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”声”があり、
 比丘が、もしこれを悦喜せず、讃美せず、これに恋著せずに住しているならば、比丘たちよ、この比丘は、魔の住家に入らず、魔の権力に服せずと称せられる。
 彼の首は、魔索を脱し、彼は魔縛をより解かれ、波旬の意欲のまま(自在)にならない。

 比丘たちよ、鼻所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”香”があり、
 比丘が、もしこれを悦喜せず、讃美せず、これに恋著せずに住しているならば、比丘たちよ、この比丘は、魔の住家に入らず、魔の権力に服せずと称せられる。
 彼の首は、魔索を脱し、彼は魔縛をより解かれ、波旬の意欲のまま(自在)にならない。

 比丘たちよ、舌所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”味”があり、
 比丘が、もしこれを悦喜せず、讃美せず、これに恋著せずに住しているならば、比丘たちよ、この比丘は、魔の住家に入らず、魔の権力に服せずと称せられる。
 彼の首は、魔索を脱し、彼は魔縛をより解かれ、波旬の意欲のまま(自在)にならない。

 比丘たちよ、身所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”触”があり、
 比丘が、もしこれを悦喜せず、讃美せず、これに恋著せずに住しているならば、比丘たちよ、この比丘は、魔の住家に入らず、魔の権力に服せずと称せられる。
 彼の首は、魔索を脱し、彼は魔縛をより解かれ、波旬の意欲のまま(自在)にならない。

 比丘たちよ、意所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”法”があり、
 比丘が、もしこれを悦喜せず、讃美せず、これに恋著せずに住しているならば、比丘たちよ、この比丘は、魔の住家に入らず、魔の権力に服せずと称せられる。
 彼の首は、魔索を脱し、彼は魔縛をより解かれ、波旬の意欲のまま(自在)にならない」と。





  魔索〔悪魔の縄〕 その二

「比丘たちよ、眼所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”色”があり、比丘が、もしこれを悦喜し、讃美し、これに恋著して住するならば、
比丘たちよ、この比丘は、”眼所色の色”に縛せられ、魔の住家に入り、魔の権力に服した、と称せられる。
 彼の首は、魔索〔悪魔の縄〕に絡められ、彼は魔縛を以て、縛せられ、波旬の意欲のまま(自在)になる。

 比丘たちよ、耳所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”声”があり、比丘が、もしこれを悦喜し、讃美し、これに恋著して住するならば、
比丘たちよ、この比丘は、”耳所色の声”に縛せられ、魔の住家に入り、魔の権力に服した、と称せられる。
 彼の首は、魔索に絡められ、彼は魔縛を以て、縛せられ、波旬の意欲のまま(自在)になる。

 比丘たちよ、鼻所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”香”があり、比丘が、もしこれを悦喜し、讃美し、これに恋著して住するならば、
比丘たちよ、この比丘は、”鼻所色の香”に縛せられ、魔の住家に入り、魔の権力に服した、と称せられる。
 彼の首は、魔索に絡められ、彼は魔縛を以て、縛せられ、波旬の意欲のまま(自在)になる。

 比丘たちよ、舌所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”味”があり、比丘が、もしこれを悦喜し、讃美し、これに恋著して住するならば、
比丘たちよ、この比丘は、”舌所色の味”に縛せられ、魔の住家に入り、魔の権力に服した、と称せられる。
 彼の首は、魔索に絡められ、彼は魔縛を以て、縛せられ、波旬の意欲のまま(自在)になる。

 比丘たちよ、身所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”触”があり、比丘が、もしこれを悦喜し、讃美し、これに恋著して住するならば、
比丘たちよ、この比丘は、”身所色の触”に縛せられ、魔の住家に入り、魔の権力に服した、と称せられる。
 彼の首は、魔索に絡められ、彼は魔縛を以て、縛せられ、波旬の意欲のまま(自在)になる。

 比丘たちよ、意所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”法”があり、比丘が、もしこれを悦喜し、讃美し、これに恋著して住するならば、
比丘たちよ、この比丘は、”意所色の法”に縛せられ、魔の住家に入り、魔の権力に服した、と称せられる。
 彼の首は、魔索に絡められ、彼は魔縛を以て、縛せられ、波旬の意欲のまま(自在)になる。


 比丘たちよ、眼所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”色”があり、比丘が、もしこれを悦喜せず、讃美せず、これに恋著せずに住しているならば、
比丘たちよ、この比丘は、”眼所色の色”に縛せられず、魔の住家に入らず、魔の権力に服せず、と称せられる。
 彼の首は、魔索〔悪魔の縄〕を脱し、彼は魔縛をより解かれ、波旬の意欲のまま(自在)にならない。

 比丘たちよ、耳所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”声”があり、比丘が、もしこれを悦喜せず、讃美せず、これに恋著せずに住しているならば、
比丘たちよ、この比丘は、”耳所色の声”に縛せられず、魔の住家に入らず、魔の権力に服せず、と称せられる。
 彼の首は、魔索を脱し、彼は魔縛をより解かれ、波旬の意欲のまま(自在)にならない。

 比丘たちよ、鼻所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”香”があり、比丘が、もしこれを悦喜せず、讃美せず、これに恋著せずに住しているならば、
比丘たちよ、この比丘は、”鼻所色の香”に縛せられず、魔の住家に入らず、魔の権力に服せず、と称せられる。
 彼の首は、魔索を脱し、彼は魔縛をより解かれ、波旬の意欲のまま(自在)にならない。

 比丘たちよ、舌所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”味”があり、比丘が、もしこれを悦喜せず、讃美せず、これに恋著せずに住しているならば、
比丘たちよ、この比丘は、”舌所色の味”に縛せられず、魔の住家に入らず、魔の権力に服せず、と称せられる。
 彼の首は、魔索を脱し、彼は魔縛をより解かれ、波旬の意欲のまま(自在)にならない。

 比丘たちよ、身所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”触”があり、比丘が、もしこれを悦喜せず、讃美せず、これに恋著せずに住しているならば、
比丘たちよ、この比丘は、”身所色の触”に縛せられず、魔の住家に入らず、魔の権力に服せず、と称せられる。
 彼の首は、魔索を脱し、彼は魔縛をより解かれ、波旬の意欲のまま(自在)にならない。

 比丘たちよ、意所識に快く愛しく楽しい、欲念染心をあおる愛すべき”法”があり、比丘が、もしこれを悦喜せず、讃美せず、これに恋著せずに住しているならば、
比丘たちよ、この比丘は、”意所色の法”に縛せられず、魔の住家に入らず、魔の権力に服せず、と称せられる。
 彼の首は、魔索を脱し、彼は魔縛をより解かれ、波旬の意欲のまま(自在)にならない」と。





【比丘たちよ、阿修羅王ビマシッタラへの縄はこのように、微妙であるが、それよりも、更に魔羅の縛は微妙なのである。
 比丘たちよ、思想することは魔羅パーピマーに縛せられ、思想しないことは、縛より解かれるのである。】


  麦把

「比丘たちよ、譬えば、比丘たちよ、麦把を四つ辻街路に置き、時に脱穀の打棒を手にした六人の男子が来て、脱穀の打棒を以てその麦把を打つとする。このようにして比丘たちよ、その麦把は、六の脱穀の打棒を以て打たれて、そのよく打たれたものを、次にまた、脱穀の打棒を手にした第七の男子が来て、脱穀の打棒を以て、その麦把を打つとする、このようにして比丘たちよ、その麦把は、第七の脱穀の打棒を以て打たれて、一層よく打たれることとなる。

 それと同じく、比丘たちよ、法を聞くことの少ない凡夫は、眼において好意不好意の色のために悩まされ、耳において好意不好意の声のために悩まされ、鼻において好意不好意の香のために悩まされ、舌において好意不好意の味のために悩まされ、身において好意不好意の触感のために悩まされ、意において好意不好意の色のために悩まされる。

 比丘たちよ、この法を聞くことの少ない凡夫が、もし未来の再生のために思念すれば、この愚人は、あたかも、彼の麦把の第七の脱穀の打棒のために打たれるように、一層よく打たれることとなるのである。

比丘たちよ、昔、天と阿修羅の戦闘がありし時、比丘たちよ、阿修羅の主ビマシッタラは、阿修羅衆を呼んで言った、
『汝らよ、天と阿修羅の戦闘の時、もし阿修羅(軍)が勝ちて、天(軍)が敗れたならば、諸天の主なる帝釈天の首を、第五の縄を以て縛り上げ、私のもとなる阿修羅の都へつれて来たれ』と。

比丘たちよ、、諸天の主なる帝釈天は、三十三天らを呼んで言った、
『汝らよ、天と阿修羅の戦闘の時、もし天(軍)が勝ちて、阿修羅(軍)が敗れたならば、阿修羅の主なるビマシッタラの首を、第五の縄を以て縛り上げ、私のもとなる正法殿へつれて来なさい』と。

 そして、この戦において、諸天が勝ち、阿修羅が敗れた。時に比丘たちよ、三十三天は、阿修羅の主なるビマシッタラの首を第五の縄を以て縛り上げ、諸天の主なる帝釈天の正法殿へつれて来た。

 ここに、比丘たちよ、阿修羅の主ビマシッタラは、第五の縄を以て首を縛られていたが、比丘たちよ、阿修羅の主ビマシッタラが、『諸天は正法にして、阿修羅は非法である。ここに私は今、諸天の都へ赴く』と、このようの考えるや、(彼は)自分の首の第五の縄より解かれたのを見て、かつ五種の欲に飽きるほど、それを完全に具して楽しんだ。
 しかし、比丘たちよ、阿修羅の主ビマシッタラが、『阿修羅は正法にして、諸天は非法である。ここに私は今、阿修羅の都へ赴く』と、このように考えるや、(彼は)自分の首の第五の縄に縛られるのを見て、かつ天上の五種の欲より排せられた。

 比丘たちよ、ビマシッタラへの縄はこのように、微妙であるが、それよりも、更に魔羅の縛は微妙なのである。
比丘たちよ、思想することは、魔羅パーピマーに縛せられ、思想しないことは、縛より解かれるのである。

 比丘たちよ、『我あり』とは、これは思想することである。『これは我である』とは、これは思想することである。
『我はある』とは、これは思想することである。『我は有色者である』とは、これは思想することである。
『我は無色者である』とは、これは思想することである。『我は有想者である』とは、これは思想することである。
『我は無想者である』とは、これは思想することである。『我は無想非無想者である』とは、これは思想することである。

 比丘たちよ、思想することは、病であり、思想することは瘡であり、思想することは矢である。
 それ故に、比丘たちよ、『我らは、思想しない心を以て住する』と、汝らはこのように学習すべきである。

 比丘たちよ、『我あり』とは、これは動転しているのである。『これは我である』とは、これは動転しているのである。
『我はある』とは、これは動転しているのである。『我は有色者である』とは、これは動転しているのである。
『我は無色者である』とは、これは動転しているのである。『我は有想者である』とは、これは動転しているのである。
『我は無想者である』とは、これは動転しているのである。『我は無想非無想者である』とは、これは動転しているのである。

 比丘たちよ、動転することは、病であり、動転することは瘡であり、動転することは矢である。
 それ故に、比丘たちよ、『我らは、動転しない心を以て住する』と、汝らはこのように学習すべきである。

 比丘たちよ、『我あり』とは、これは震動しているのである。『これは我である』とは、これは震動しているのである。
『我はある』とは、これは震動しているのである。『我は有色者である』とは、これは震動しているのである。
『我は無色者である』とは、これは震動しているのである。『我は有想者である』とは、これは震動しているのである。
『我は無想者である』とは、これは震動しているのである。『我は無想非無想者である』とは、これは震動しているのである。

 比丘たちよ、震動することは、病であり、震動することは瘡であり、震動することは矢である。
 それ故に、比丘たちよ、『我らは、震動しない心を以て住する』と、汝らはこのように学習すべきである。

 比丘たちよ、『我あり』とは、これは戯論をしているのである。『これは我である』とは、これは戯論をしているのである。
『我はある』とは、これは戯論をしているのである。『我は有色者である』とは、これは戯論をしているのである。
『我は無色者である』とは、これは戯論をしているのである。『我は有想者である』とは、これは戯論をしているのである。
『我は無想者である』とは、これは戯論をしているのである。『我は無想非無想者である』とは、これは戯論をしているのである。

 比丘たちよ、戯論をすることは、病であり、戯論をすることは瘡であり、戯論をすることは矢である。
 それ故に、比丘たちよ、『我らは、戯論をしない心を以て住する』と、汝らはこのように学習すべきである。

 比丘たちよ、『我あり』とは、これは慢心しているのである。『これは我である』とは、これは慢心しているのである。
『我はある』とは、これは慢心しているのである。『我は有色者である』とは、これは慢心しているのである。
『我は無色者である』とは、これは慢心しているのである。『我は有想者である』とは、これは慢心しているのである。
『我は無想者である』とは、これは慢心しているのである。『我は無想非無想者である』とは、これは慢心しているのである。

 比丘たちよ、慢心することは、病であり、慢心することは瘡であり、慢心することは矢である。
 それ故に、比丘たちよ、『我らは、慢心しない心を以て住する』と、汝らはこのように学習すべきである。」と。





【眼・耳・鼻・舌・身・意所識の、色・声・香・味・触・法において、漏泄であれば、
 魔が、眼・耳・鼻・舌・身・意の各々となりて、接近したる時、魔は、機会を得て、対境を得る。】


  漏泄

 ある時、世尊は、釈迦族(の国)の、カピラヴァスツのニグローダ園に住しておられた。
 その時、カピラヴァスツに住む釈迦族のために、集会堂が新たに建てられたが、未だ久しく沙門・婆羅門、あるいは、他の誰も、ここに住した者はなかった。

 時に、カピラヴァスツの釈迦族の人々は、世尊の居られる所へ詣でて、詣りて、世尊を礼拝して一方に坐した。

一方に坐した釈迦族の人々は、世尊に、申し上げて言った、
「大徳よ、ここにカピラヴァスツの釈迦族の人々のために、集会堂が新たに建てられましたが、未だ久しく沙門・婆羅門、あるいは、他の誰も、ここに住した者がいません。
 大徳よ、世尊が先んじて、これを用いて下さりますように。世尊が先に用いたもうた後に、カピラヴァスツの釈迦族の人々が用いるでしょう。
 カピラヴァスツの釈迦族の人々にとりて、長時利益安楽のために」と。

世尊は、黙して以て、これを承諾したもうた。

 時に、釈迦族の人々は、世尊の承諾したまいし事を知りて、座を起ち、世尊を礼拝して、右廻りの礼を行い、新しい集会堂の所へ赴きて、集会堂の一面に敷物を敷きひろげ、座席を設けて、水瓶を備え、燈火をかかげた。

「今、まさに時であると、思し召すことを為したまはんことを」と。

 それから、世尊は、内依を著け、鉢と衣を携えて、比丘たちと共に、新しい集会堂へ赴き、両足を洗いて、集会堂に入り、中央の柱によりかかりて、東方に面して坐したもうた。
 比丘たちもまた、両足を洗いて、集会堂に入り、西の壁によりかかりて、世尊のみを前方にして、東方に面して坐した。
 カピラヴァスツの釈迦族の人々もまた、両足を洗いて、集会堂に入り、東の壁によりかかりて、世尊のみを前方にして、西に面して坐した。

 そして、世尊は、夜の大部分の間、釈迦族の人々に、法を説き、教え励まし、動かし、喜ばしめた。

 その後、世尊は、「ゴータマ姓の人々よ、夜は更けたり。汝らは、今まさにその時である、と思うことを為しなさい」と仰せられ、
カピラヴァスツの釈迦族の人々は、「わかりました。大徳よ」と承諾して、座を起ち、世尊を礼拝して、右廻りの礼をして、去った。


時に、世尊は、釈迦族の人々が去りて、未だ久しくしないうちに、マハーモッガラーナ尊者を呼んで、このように仰せられた、
「モッガラーナよ、比丘たちは、惛沈睡眠を離れた。モッガラーナよ、汝は、比丘たちのためを思い、説法をしなさい」

「私は、背部に痛みがあるので、私は背を伸ばす」と。

「わかりました。大徳よ」と、マハーモッガラーナ尊者は、世尊に応えた。

 それより、世尊は、僧伽梨衣を四重に折り、右脇を下にして、師子臥を調へたまい、左足を右足の上にして、正念正智にして、起床の想を胸にしつつ(師子臥したもうた。)


そして、マハーモッガラーナ尊者は、比丘たちを呼びて言った、
「友、比丘たちよ」と。

「友よ」と、かの比丘たちは、マハーモッガラーナ尊者に応え、マハーモッガラーナ尊者は、このように言った、

「友らよ、私は、汝らのために、漏泄の教法と、不漏泄の教法とを説く。諦らかに聞き、善く善思せよ」と。

「わかりました、友よ」と、かの比丘たちは、マハーモッガラーナ尊者に応諾した。

そして、マハーモッガラーナ尊者は、比丘たちに次のように言った、

「友らよ、何を漏泄というのか。

 友らよ、ここに比丘がありて、
 眼を以て色を見て、愛すべき色に心を傾け、愛すべきものではない色には心を背け、正念を現前せず、思慮を乏しくして住し、また、かの心解脱と慧解脱をも如実に知らず、彼に起こる悪・不善の法を、残りなく滅ぼすことがない。
 耳を以て声を聞きて、愛すべき声に心を傾け、愛すべきものではない声には心を背け、正念を現前せず、思慮を乏しくして住し、また、かの心解脱と慧解脱をも如実に知らず、彼に起こる悪・不善の法を、残りなく滅ぼすことがない。
 鼻を以て香を嗅ぎて、愛すべき香に心を傾け、愛すべきものではない香には心を背け、正念を現前せず、思慮を乏しくして住し、また、かの心解脱と慧解脱をも如実に知らず、彼に起こる悪・不善の法を、残りなく滅ぼすことがない。
 舌を以て味を味わいて、愛すべき味に心を傾け、愛すべきものではない味には心を背け、正念を現前せず、思慮を乏しくして住し、また、かの心解脱と慧解脱をも如実に知らず、彼に起こる悪・不善の法を、残りなく滅ぼすことがない。
 身を以て触感されるものを触して、愛すべき触感に心を傾け、愛すべきものではない触感には心を背け、正念を現前せず、思慮を乏しくして住し、また、かの心解脱と慧解脱をも如実に知らず、彼に起こる悪・不善の法を、残りなく滅ぼすことがない。
 意を以て法を識りて、愛すべき法に心を傾け、愛すべきものではない法には心を背け、正念を現前せず、思慮を乏しくして住し、また、かの心解脱と慧解脱をも如実に知らず、彼に起こる悪・不善の法を、残りなく滅ぼすことがない。

 友らよ、この比丘は、
 眼所識の色において、耳所識の声において、鼻所識の香において、舌所識の味において、身所識の触感において、意所識の法において、漏泄であると称せられる。

 友らよ、このようにして住する、この比丘に、
 魔がもし、眼となりて、接近するならば、魔は、機会を得て、対境を得る。
 魔がもし、耳となりて、接近するならば、魔は、機会を得て、対境を得る。
 魔がもし、鼻となりて、接近するならば、魔は、機会を得て、対境を得る。
 魔がもし、舌となりて、接近するならば、魔は、機会を得て、対境を得る。
 魔がもし、身となりて、接近するならば、魔は、機会を得て、対境を得る。
 魔がもし、意となりて、接近するならば、魔は、機会を得て、対境を得る。

 友らよ、あたかも、乾いて湿気がなく、年数を経て古びた葦の家、あるいは、葦草の家に、火の点いたタイマツを執った人が、東方より来たならば、火が、その家を焼く機会を得るように、対境を得る。
 あるいは、西方より来たならば、火が、その家を焼く機会を得るように、対境を得る。
 あるいは、南方より来たならば、火が、その家を焼く機会を得るように、対境を得る。
 あるいは、北方より来たならば、火が、その家を焼く機会を得るように、対境を得る。
 あるいは、上方より来たならば、火が、その家を焼く機会を得るように、対境を得る。
 あるいは、下方より来たならば、火が、その家を焼く機会を得るように、対境を得る。
 あるいは、どの方角より来るにせよ、火が、その家を焼く機会を得るように、対境を得る。

 それと同じく友らよ、このようにして住する、この比丘に、
 魔がもし、眼となりて、接近するならば、魔は、機会を得て、対境を得る。
 魔がもし、耳となりて、接近するならば、魔は、機会を得て、対境を得る。
 魔がもし、鼻となりて、接近するならば、魔は、機会を得て、対境を得る。
 魔がもし、舌となりて、接近するならば、魔は、機会を得て、対境を得る。
 魔がもし、身となりて、接近するならば、魔は、機会を得て、対境を得る。
 魔がもし、意となりて、接近するならば、魔は、機会を得て、対境を得る。

 友らよ、このようにして住する比丘に、
 諸々の色は、比丘に勝ちて、比丘は、諸々の色に勝たず、
 諸々の声は、比丘に勝ちて、比丘は、諸々の声に勝たず、
 諸々の香は、比丘に勝ちて、比丘は、諸々の香に勝たず、
 諸々の味は、比丘に勝ちて、比丘は、諸々の味に勝たず、
 諸々の触は、比丘に勝ちて、比丘は、諸々の触に勝たず、
 諸々の法は、比丘に勝ちて、比丘は、諸々の法に勝たず。

 友らよ、この比丘は、色に勝たれ、声に勝たれ、香に勝たれ、味に勝たれ、触に勝たれ、法に勝たれて、そして、(自らに)勝たず、という。
 そのように、染汚れ(執著)の性にして、再生をもたらし、怖畏があり、苦の果を伴い、未来に生老病死に必ず到る、悪・不善の諸法は、彼に勝ったのである。

 友らよ、これらを漏泄という。


 では、友らよ、何を不漏泄というのか。

 友らよ、ここに比丘がありて、
 眼を以て色を見て、愛すべき色に心を傾けず、愛すべきものではない色に心を背けず、正念を現前させて、思慮を無量にして住し、また、かの心解脱と慧解脱をも如実に知り、彼に起こる悪・不善の法を、残りなく滅ぼす。
 耳を以て声を聞きて、愛すべき声に心を傾けず、愛すべきものではない声に心を背けず、正念を現前させて、思慮を無量にして住し、また、かの心解脱と慧解脱をも如実に知り、彼に起こる悪・不善の法を、残りなく滅ぼす。
 鼻を以て香を嗅ぎて、愛すべき香に心を傾けず、愛すべきものではない香に心を背けず、正念を現前させて、思慮を無量にして住し、また、かの心解脱と慧解脱をも如実に知り、彼に起こる悪・不善の法を、残りなく滅ぼす。
 舌を以て味を味わいて、愛すべき味に心を傾けず、愛すべきものではない味に心を背けず、正念を現前させて、思慮を無量にして住し、また、かの心解脱と慧解脱をも如実に知り、彼に起こる悪・不善の法を、残りなく滅ぼす。
 身を以て触感されるものに触れて、愛すべき触感に心を傾けず、愛すべきものではない触感に心を背けず、正念を現前させて、思慮を無量にして住し、また、かの心解脱と慧解脱をも如実に知り、彼に起こる悪・不善の法を、残りなく滅ぼす。
 意を以て法を識りて、愛すべき法に心を傾けず、愛すべきものではない法に心を背けず、正念を現前させて、思慮を無量にして住し、また、かの心解脱と慧解脱をも如実に知り、彼に起こる悪・不善の法を、残りなく滅ぼす。

 友らよ、この比丘は、
 眼所識の色において漏泄せず、耳所識の声において漏泄せず、鼻所識の香において漏泄せず、舌所識の味において漏泄せず、身所識の触感において漏泄せず、意所識の法において漏泄せず、と称せられる。

 友らよ、このようにして住する、この比丘に、
 魔がもし、眼となりて、接近することがありても、魔は、機会を得ず、対境を得ない。
 魔がもし、耳となりて、接近することがありても、魔は、機会を得ず、対境を得ない。
 魔がもし、鼻となりて、接近することがありても、魔は、機会を得ず、対境を得ない。
 魔がもし、舌となりて、接近することがありても、魔は、機会を得ず、対境を得ない。
 魔がもし、身となりて、接近することがありても、魔は、機会を得ず、対境を得ない。
 魔がもし、意となりて、接近することがありても、魔は、機会を得ず、対境を得ない。

 友らよ、あたかも、堅い粘土を以て造られ、湿った土が塗られた尖頂閣、あるいは、尖頂閣堂に、火の点いたタイマツを執った人が、東方より来たりても、火はその家を焼く機会を得ず、対境を得ない。
 また、西方より来たりても、火は、その家を焼く機会を得ず、対境を得ない。
 また、南方より来たりても、火は、その家を焼く機会を得ず、対境を得ない。
 また、北方より来たりても、火は、その家を焼く機会を得ず、対境を得ない。
 また、上方より来たりても、火は、その家を焼く機会を得ず、対境を得ない。
 また、下方より来たりても、火は、その家を焼く機会を得ず、対境を得ない。
 また、どの方角より来たりても、火は、その家を焼く機会を得ず、対境を得ない。

 それと同じく友らよ、このようにして住する、この比丘に、
 魔がもし、眼となりて、接近することがありても、魔は、機会を得ず、対境を得ない。
 魔がもし、耳となりて、接近することがありても、魔は、機会を得ず、対境を得ない。
 魔がもし、鼻となりて、接近することがありても、魔は、機会を得ず、対境を得ない。
 魔がもし、舌となりて、接近することがありても、魔は、機会を得ず、対境を得ない。
 魔がもし、身となりて、接近することがありても、魔は、機会を得ず、対境を得ない。
 魔がもし、意となりて、接近することがありても、魔は、機会を得ず、対境を得ない。

 友らよ、このようにして住する比丘は、諸々の色に勝ち、諸々の色は、比丘に勝たず。
 比丘は、諸々の声に勝ちて、諸々の声は、比丘に勝たず。
 比丘は、諸々の香に勝ちて、諸々の香は、比丘は勝たず。
 比丘は、諸々の味に勝ちて、諸々の味は、比丘に勝たず。
 比丘は、諸々の触に勝ちて、諸々の食は、比丘に勝たず。
 比丘は、諸々の法に勝ちて、諸々の法は、比丘に勝たず。

 友らよ、この比丘は、色に勝ち、声に勝ち、香に勝ち、味に勝ち、触感に勝ち、法に勝ち、そして、(自らに)勝った、という。
 そのように、染汚れ(執著)の性にして、再生をもたらし、怖畏があり、苦の果を伴い、未来に生老病死に必ず到る、悪・不善の諸法に、彼は勝ったのである。

 友らよ、これらを不漏泄という。


それより、世尊は起き出でて、マハーモッガラーナ尊者を呼びて、このように仰せられた、
「善いかな、善いかな、モッガラーナよ。汝は、比丘たちのために、漏泄の教法と、不漏泄の教法とを説いた」と。

 マハーモッガラーナ尊者が説いた教えを、世尊は是認したまい。比丘たちは、マハーモッガラーナ尊者の所説を、喜び敬って受けた。
相応 六処相応




【比丘たちよ、利得と供養と名誉は、恐ろしく、激しく、粗々しきものにして、無常の安穏に到達する障礙である】


  恐ろしい

 このようにわたくしは聞きました。
 ある時、世尊は、舎衛城のジェータ林なるアナータピンディカ(孤独な人々に食を給する人)の園に住しておられた。

その時、世尊は、比丘たちに告げて仰せられた、
「比丘たちよ、利得と供養と名誉は、恐ろしく、激しく、粗々しきものにして、無常の安穏に到達する障礙である。

 比丘たちよ、このように学びなさい、
『私は、すでに利得と供養と名誉とを捨てよう。未だ生じていない利得と供養と名誉とに、心(捕らわれず)執せずして住そう』と。

 比丘たちよ、汝らはこのように学びなさい」と。





【比丘たちよ、どのような比丘といえども、すでに生じた利得と供養と名誉とを捨てずに、(利得と供養と名誉とを)望むのであれば、
 比丘たちよ、その比丘は、悪魔の釣針を鵜呑みにした者として、わざわいにおちいり、破滅におちいり、悪魔の欲するまま(自在)に為される】


  釣針

 このようにわたくしは聞きました。
 ある時、世尊は、舎衛城のジェータ林なるアナータピンディカ(孤独な人々に食を給する人)の園に住しておられた。

そこで、世尊は「比丘たちよ」と、比丘たちに呼びかけたもうた。

「世尊よ」と、彼ら比丘らは、世尊は答えた。

そして、世尊は、比丘たちにこのように仰せられた、
「比丘たちよ、利得と供養と名誉とは、恐ろしく、激しく、粗々しきものにして、無常の安穏に到達する障礙である。

 比丘たちよ、譬えば、猟師がいて、肉を餌とした釣針を深き水沼に投じたとき、一匹の魚が、その餌を一目見て、鵜呑みにしたとする。

 比丘たちよ、このようにして、漁師の釣針を鵜呑みにした魚は、わざわいにおちいり、破滅におちいり、漁師の欲するまま(自在)に為される。

 比丘たちよ、この漁師とは、悪魔波旬を意味する。
 比丘たちよ、釣針とは、これ利得と供養と名誉とを意味するのである。

 比丘たちよ、どのような比丘といえども、すでに生じた利得と供養と名誉とを捨てずに、(利得と供養と名誉とを)望むのであれば、
比丘たちよ、その比丘は悪魔の釣針を鵜呑みにした者として、わざわいにおちいり、破滅におちいり、悪魔の欲するまま(自在)に為される。

 比丘たちよ、このように利得と供養と名誉とは、恐ろしく、激しく、粗々しきものにして、無常の安穏に到達する障礙である。

その故に、比丘たちよ。このように学びなさい、
『私は、すでに利得と供養と名誉とを捨てよう。未だ生じていない利得と供養と名誉とに、心(捕らわれず)執せずして住そう』と。

 比丘たちよ、汝らはこのように学びなさい」と。





【比丘たちよ、どのような比丘といえども、すでに生じた利得と供養と名誉とを捨てずに、(利得と供養と名誉とを)望むのであれば、
 比丘たちよ、その比丘は、この漁師の糸の付いたモリのために、禍におちいり、災厄におちいるように、悪魔の欲するまま(自在)に為される。】


  亀

 このようにわたくしは聞きました。
 ある時、世尊は、舎衛城のジェータ林なるアナータピンディカ(孤独な人々に食を給する人)の園に住しておられた。

その時、世尊は、比丘たちに告げて仰せられた、
「比丘たちよ、利得と供養と名誉は、恐ろしく、激しく、粗々しきものにして、無常の安穏に到達する障礙である。

 比丘たちよ、昔ある水沼に、亀の大家族が永く棲んでいた。

 比丘たちよ、その時、一匹の亀は、他の亀にこのよう言った、
『愛する亀よ、かの(危険な)処に行ってはならない』と。

 比丘たちよ、しかし、その亀は、その(行ってはならない)処に行き、漁師は(その亀を見て、)糸の付いたモリを以て、その亀を射当てた。

 比丘たちよ、その時、その(射られた)亀は、かの(忠告した)亀に近づいた。

 比丘たちよ、かの(忠告した)亀は、その亀の遠くより来るのを見た。

かの亀は見おわってから、その亀にこのように言った、
『愛する亀よ、汝はなぜにかの(危険な)処に行ったのか』

『愛すべき亀よ、私はその(危険な)処に行ってしまいました』と。

『愛する亀よ、どうして刺されず、射当てられなかったのか』

『愛すべき亀よ、私は刺されず、射当てられなかった。しかし、私にこの糸ありて、後方より結びつけられたのです』

『愛する亀よ、確かに刺され、確かに射当てらているのだ。
 愛する亀よ、この漁師によりて、汝の父と祖父とは、禍におちいり、災厄におちいることとなる。
 愛する亀よ、行きなさい。今や、汝は私たちのものではない』と。

 比丘たちよ、この漁師とは、悪魔波旬を意味する。
 比丘たちよ、糸を付けたモリとは、利得と供養と名誉とを意味する。
 比丘たちよ、糸とは、喜びと貪りを意味するのである。

 比丘たちよ、どのような比丘といえども、すでに生じた利得と供養と名誉とを捨てずに、(利得と供養と名誉とを)望むのであれば、
比丘たちよ、その比丘は、この漁師の糸の付いたモリのために、禍におちいり、災厄におちいるように、悪魔の欲するまま(自在)に為される。

 比丘たちよ、このように利得と供養と名誉とは、恐ろしく、激しく、粗々しきものにして、無常の安穏に到達する障礙である。

その故に、比丘たちよ。このように学びなさい、
『私は、すでに利得と供養と名誉とを捨てよう。未だ生じていない利得と供養と名誉とに、心(捕らわれず)執せずして住そう』と。

 比丘たちよ、汝らはこのように学びなさい」と。
相応 利得と供養相応




【六根・六境・六識があるところに、魔羅あり】


  サミッディ

 このようにわたくしは聞きました。
 ある時、世尊は、舎衛城のジェータ林なるアナータピンディカ(孤独な人々に食を給する人)の園に住しておられた。

 その時、サミッディ尊者は、世尊のもとに詣でた。詣りて尊師に礼し、傍らに坐った。

傍らに坐ってから、サミッディ尊者は、尊師に次のように言った、
「世尊よ、魔羅、魔羅と称せられるが、世尊よ、どのようなものが、魔羅、あるいは、魔羅の名義なのですか」

「サミッディよ、
 眼があり、眼識があり、眼識を以て識知せられるべき法がある所に、魔羅、あるいは、魔羅の名義がある。
 耳があり、色あり、耳識があり、耳識を以て識知せられるべき法がある所に、魔羅、あるいは、魔羅の名義がある。
 鼻があり、香あり、鼻識があり、鼻識を以て識知せられるべき法がある所に、魔羅、あるいは、魔羅の名義がある。
 舌があり、味あり、舌識があり、舌識を以て識知せられるべき法がある所に、魔羅、あるいは、魔羅の名義がある。
 身があり、触感あり、身識があり、身識を以て識知せられるべき法がある所に、魔羅、あるいは、魔羅の名義がある。
 意があり、法あり、意識があり、意識を以て識知せられるべき法がある所に、魔羅、あるいは、魔羅の名義がある。

 しかし、サミッディよ、
 眼がなく、色なく、眼識がなく、眼識を以て識知せられるべき法のない所に、魔羅、あるいは、魔羅の名義はない。
 耳がなく、声なく、耳識がなく、耳識を以て識知せられるべき法のない所に、魔羅、あるいは、魔羅の名義はない。
 鼻がなく、香なく、鼻識がなく、鼻識を以て識知せられるべき法のない所に、魔羅、あるいは、魔羅の名義はない。
 舌がなく、味なく、舌識がなく、舌識を以て識知せられるべき法のない所に、魔羅、あるいは、魔羅の名義はない。
 身がなく、触感なく、身識がなく、身識を以て識知せられるべき法のない所に、魔羅、あるいは、魔羅の名義はない。
 意がなく、法なく、意識がなく、意識を以て識知せられるべき法のない所に、魔羅、あるいは、魔羅の名義はない。」と。
相応 六処相応




【身に依り、語に依り、意に依り、よく制御を成せる人々は、
 悪魔の支配に行くことなく、悪魔の弟子に非ず(悪魔の自在に従うこともない)】


  浄不浄

 このようにわたくしは聞きました。
 ある時、尊師はウルヴェーラーの、ネーランジャラー河の岸辺のアジャパーラという名のバニヤンの樹のもとに留まっておられた。

 時に、尊師は、夜の闇の露地に坐しておられた。雨がしとしとと降り出した。
 その時、悪魔は、尊師に身の毛もよだつほどの恐怖を生じさせようと欲し、世尊に近づいた。

 近づいて、尊師から遠く離れていないところで、種々さまざまの浄、不浄の形体を化作して現した。

時に、尊師は、これは悪魔波旬であると知りて、悪魔波旬に偈にて語りたもうた、

「浄、不浄の姿を作して、汝の輪廻は長い。
 波旬、汝はそれで足りる筈である。破壊者よ、汝は敗れたり。

 身に依り、語に依り、意に依り、よく制御を成せる人々は、
 悪魔の支配に行くことなく、悪魔の弟子に非ず(悪魔の自在に従うこともない)。
(このように知ったならば、悪魔よ、ここより自ら滅して去れ」)

 そこで、悪魔・悪しき者は、”尊師は、私の心を知っておられるのだ、幸ある方は私のことを知っておられるのだ”と気づいて、打ち萎れ、憂いに沈み、その場で消え失せた。





【比丘たちよ、私は天(神)と人と(が掛かる)すべてのワナより免れた。比丘たちよ、汝らもまた、天(神)と人と(が掛かる)すべてのワナより免れた
 比丘たちよ、多くの人々の利益と幸福のために、世間を憐れみて、人天の利益と幸福のために遊行せよ。一の道を二人で行ってはならない。
 比丘たちよ、最初も美しく、中間も美しく、終りも美しい、義と文とを具する法を説きなさい。
 すべて円満清浄なる梵行を説きなさい。
 生まれつき塵垢の少ない者も、法を聞かないことによりて滅びにいたる衆生がいる。彼らは、法の了解者となるだろう】


  ワナ

 このようにわたくしは聞きました。
 ある時、尊師は、バーラーナシーの仙人住処鹿野苑に住して居られた。

そこで、尊師は「比丘たちよ」と、比丘たちに呼びかけたもうた。

「尊師よ」と、彼ら比丘らは、尊師は答えた。

尊師はこのように仰せられた、
「比丘たちよ、私の正思惟、私の正精勤に依りて、無上の解脱は達せられ実證された。
 比丘たちよ、汝らの正思惟、正精勤に依りても、また、無上の解脱は達せられ、実證された」

時に悪魔波旬は、尊師に近づいた。近づいて尊師に偈にて語った、
「汝は、天と人との、悪魔のワナにかかった。
 汝は、悪魔の縄に縛せられた。沙門よ、汝は未だ、我より免れていない」と。

尊師は、このように言われた、

「私は、天と人との、悪魔のワナより脱れた。
 私は、悪魔の結縛より脱した。破壊者よ、汝は敗れたのだ」と。

 そこで、悪魔・悪しき者は、”尊師は、私の心を知っておられるのだ、幸ある方は私のことを知っておられるのだ”と気づいて、打ち萎れ、憂いに沈み、その場で消え失せた。




  ワナ (その二)

 このようにわたくしは聞きました。
 ある時、尊師は、バーラーナシーの仙人住処鹿野苑に住して居られた。

そこで、尊師は「比丘たちよ」と、比丘たちに呼びかけたもうた。

「尊師よ」と、彼ら比丘らは、尊師は答えた。

尊師はこのように仰せられた、
「比丘たちよ、私は天と人とのすべてのワナより免れた。比丘たちよ、汝らもまた、天と人とのすべてのワナより免れた。
 比丘たちよ、多くの人々の利益と幸福のために、世間を憐れみて、人天の利益と幸福のために遊行せよ。
 一の道を二人で行ってはならない。比丘たちよ、最初も美しく、中間も美しく、終りも美しい、義と文とを具する法を説き、すべて円満清浄なる梵行を説きなさい。
 生まれつき塵垢の少ない者も、法を聞かないことによりて滅びにいたる衆生がいる。彼らは、法の了解者となるべきである。
 比丘たちよ、私もまた、法を説くためにウルヴェーラの将軍村に行く」と。

時に悪魔波旬は、尊師に近づいた。近づいて尊師に偈にて語った、
「汝は、天と人との、悪魔のワナにかかった。
 汝は、悪魔の縄に縛せられた。沙門よ、汝は未だ、我より免れていない」と。

尊師は、このように言われた、

「私は、天と人との、悪魔のワナより脱れた。
 私は、悪魔の結縛より脱した。破壊者よ、汝は敗れたのだ」と。

 そこで、悪魔・悪しき者は、”尊師は、私の心を知っておられるのだ、幸ある方は私のことを知っておられるのだ”と気づいて、打ち萎れ、憂いに沈み、その場で消え失せた。





【人の悲しみは、依(執著)に依る。依なき者は、悲しむことがないからである】


 歓喜

 このようにわたくしは聞きました。
 ある時、尊師は、ジェータ林(孤独な人々に食を給する人)の園に留まっておられた。

 その時、悪魔・悪しき者は、尊師に近づいた。

近づいてから、尊師に向かって、詩を以て語りかけた、
「子のある者は、子に依りて喜び、牛の主は、牛に依りて喜ぶ。
 人の喜びは、依に依る。依なき者は、喜ぶことないからである」と。

尊師は言われた、
「子のある者は、子に依りて悲しみ、牛の主は、牛に依りて悲しむ。
 人の悲しみは、依に依る。依なき者は、悲しむことがないからである」と。

 そこで、悪魔・悪しき者は、”尊師は、私の心を知っておられるのだ、幸ある方は私のことを知っておられるのだ”と気づいて、打ち萎れ、憂いに沈み、その場で消え失せた。





【全き覚とりを開いた人が、他人を教えさとすのは、人のためを思い、憐れむからである】


  ふさわしいこと

 ある時、尊師は、コーサラ国のうちのエーカサーラという名のバラモンたちの村に留まっておられた。
 そのとき、尊師は、多数の在家者の集会に囲まれて、教えを説いておられた。

そのとき悪魔・悪しき者はこのように思った、
”ここで沙門ゴータマは多数の在家者の集会に囲まれて教えを説いている。私は沙門ゴータマに近づいて幻惑してやろう”と。

 そこで、悪魔・悪しき者は、尊師に近づいた。

近づいてから、尊師に向かって、詩を以て語りかけた、
「他人を教えるということは、あなたにふさわしいことではない。
 そのことによって、(賛同者)の順応と、(反対者の)反論との、(快楽の貪りと、瞋りと)に執著なさるな」

尊師は言われた、
「全き覚とりを開いた人が、他人を教えさとすのは、人のためを思い、憐れむからである。修行完成者は、順応と反論(との、快楽の貪りと、瞋り)から解脱している」

そこで、悪魔・悪しき者は、”尊師は、私の心を知っておられるのだ、幸ある方は私のことを知っておられるのだ”と気づいて、打ち萎れ、憂いに沈み、その場で消え失せた。





【悪魔の縛から脱している人は、『快く楽しく感ぜられる色形、音声、味、香り、触感、これらに対する欲望・貪欲はない』】


  心

 このようにわたくしは聞きました。
 ある時、尊師は、ジェータ林(孤独な人々に食を給する人)の園に留まっておられた。

 その時、悪魔・悪しき者は、尊師に近づいた。

近づいてから、尊師に向かって、詩を以て語りかけた、
「かけ廻る心は、虚空のうちにかけられたワナである。私はそのワナによって、そなたを縛ってやろう。
 沙門よ。そなたは私から脱れることはできないであろう」と。

尊師は言われた、
「快く楽しく感ぜられる色形、音声、味、香り、触感、これらに対する私の欲望・貪欲はない。そなたは打ち負かされたのだ。破滅をもたらす者よ」

 そこで、悪魔・悪しき者は、”尊師は、私の心を知っておられるのだ、幸ある方は私のことを知っておられるのだ”と気づいて、打ち萎れ、憂いに沈み、その場で消え失せた。





【色、受、想、行、識、(の五蘊)は、私はこれではない。また、これは私に属するものではない、と。
 このように観じて、それらについての執著を離れる。
 このように、執著を離れて、安穏に達し、一切の束縛を超える。
 このような人を、魔軍がいかなる場所に求めても、見出すことはできない】


  鉢

(ある時、尊師は、)サーヴァッティー市に留まっておられた。
 その時、尊師は、比丘たちのために、個体を構成する五要素(五取蘊)に関する法を説き示し、教え、励まし、心喜ばせていた。
 また、彼ら比丘たちは、それをよく理解し、思惟し、全心を運び、耳を傾けて教えを聞いていた。

そのとき悪魔・悪しき者は、このように思った。
”ここで沙門ゴータマは、比丘たちのために、五取蘊に関する法を説き示し、教え、励まし、心喜ばせている。
 また、彼ら比丘たちは、それをよく理解し、思惟し、全心を運び、耳を傾けて教えに聞き入っている。
 では、私は沙門ゴータマに近づいて幻惑してやろう”と。

 その時に、多くの鉢が(乾かすために)屋外に置かれていた。

 そこで悪魔・悪しき者は、牡牛の姿を化作して現われ、それらの鉢に近づいた。

その時、一人の比丘が、他の比丘にこのように言った、
「比丘よ、比丘よ、この牡牛はこれらの鉢を壊しそうだ」と。

このように言われたときに、尊師は、その比丘にこのように仰せられた、
「比丘よ、これは牡牛ではない。これは、汝らを幻惑するためやって来た悪魔・悪しき者である」

その時、尊師は、これは悪魔・悪しき者であると知りて、悪魔・悪しき者に偈を以て語りかけられた、
「色形と、感受作用と、表象作用と、識別作用と、形成されたものと、
 私はこれではない。また、これは私に属するものではない。
 このように観じて、それらについての執著を離れる。
 このように、執著を離れて、安穏に達し、一切の束縛を超えている。
 このような人を、魔軍がいかなる場所に求めても、見出すことはできない」

 そこで、悪魔・悪しき者は、”尊師は、私の心を知っておられるのだ、幸ある方は私のことを知っておられるのだ”と気づいて、打ち萎れ、憂いに沈み、その場で消え失せた。





【色形と、音声と、味と、香りと、触感と、ひとえに思考の対象のものと、これは世の恐ろしき餌である。
 ここに人々は迷い、(惑わされて)まともに受けている。
 仏陀の弟子は正念にして、この餌を見抜き、気をつけていて、悪魔の領域をはるかに超えて、太陽のように輝く】


  処

 ある時、尊師は、ヴェーサーリ市のマハーヴァナ(大きな林)のうちの重閣講堂に留まっておられた。

 そのとき、尊師は、比丘たちのために、六触処〔六種の感官の接触の領域〕に関する法を説き示し、教え、励まし、心喜ばせていた。
 また、彼ら比丘たちは、それをよく理解し、思惟し、全心を運び、耳を傾けて教えを聞いていた。

そのとき悪魔・悪しき者は、このように思った。
”ここで沙門ゴータマは、比丘たちのために、六触処に関する法を説き示し、教え、励まし、心喜ばせている。
 また、彼ら比丘たちは、それをよく理解し、思惟し、全心を運び、耳を傾けて教えに聞き入っている。
 では、私は沙門ゴータマに近づいて幻惑してやろう”と。

 そして、悪魔・悪しき者は尊師に近づいた。
 近づいてから、尊師から遠からぬところで、大きな、恐ろしい声を出した。あたかも大地さえも開き裂けるかのようであった。

その時、一人の比丘が、他の比丘に語って言った、
「比丘よ、比丘よ、この大地が開き裂けるのではないだろうか」と。

このように言われたときに、尊師はその比丘に次のように仰せられた、
「比丘よ、あれは大地が開き裂けるのではない。あれは、悪魔・悪しき者が、汝らを幻惑するためにしたものである」

そこで尊師は、これは悪魔・悪しき者の仕業であると知りて、悪魔・悪しき者に偈を以て語りかけた、

「色形と、音声と、味と、香りと、触感と、ひとえに思考の対象たるものと、これは世の恐ろしき餌である。
 ここに人々は迷い、(惑わされて)まともに受けている。
 仏陀の弟子は正念にして、この餌を見抜き、気をつけていて、悪魔の領域をはるかに超えて、太陽のように輝く」

 そこで、悪魔・悪しき者は、”尊師は、私の心を知っておられるのだ、幸ある方は私のことを知っておられるのだ”と気づいて、打ち萎れ、憂いに沈み、その場で消え失せた。





  施しの食物

 ある時、尊師はマガダ国のうちのパンチャサーラー(五本の沙羅樹)という名のバラモン村に住しておられた。

 その時、パンチャサーラーというバラモン村では、若い男女が互いに贈り物をするという祭りがあった。

 尊師は、朝早く衣を着て、鉢と重依とを身に受けて、パンチャサーラーというバラモン村に、托鉢のために入って行かれた。

 その時パンチャサーラー村に住むバラモンや資産者たちは、悪魔・悪しき者にとり憑かれて、
「沙門ゴータマが托鉢の食物を得ることができないように」と、はかりごとをしていた。

 時に、尊師は清らかに洗った鉢を持って、パンチャサーラーというバラモン村に托鉢のために入って行ったが、清らかに洗った鉢のままで帰ってきた。

 その時、悪魔・悪しき者は、尊師に近づいた。

近づいてから、尊師に次のように言った、
「沙門よ。施しの食物を得たかね」

尊師は言われた、
「悪魔・悪しき者よ、私が施しの食物を得ないように、お前がそうさせたのではないか」

悪魔は言った、
「では、尊い方よ。パンチャサーラーというバラモン村に再び入って行きなさい。尊師が施しの食物を得られるように、私は計らいましょう」

尊師は言われた、
「如来を犯して、悪魔・悪しき者は不徳を生じた。

 悪しき者よ。この悪業の果報が実らないと、そなたは考えているのか。

 われらは、所得あることなく、大いに楽しく住する。

 光輝く神々のように、喜びを食として住するだろう」

 そこで、悪魔・悪しき者は、”尊師は、私の心を知っておられるのだ、幸ある方は私のことを知っておられるのだ”と気づいて、打ち萎れ、憂いに沈み、その場で消え失せた。





【六入内外処の存在しないところは、悪魔の(力はおよばず、悪魔が)行作できるところではない】


  農夫

 サーヴァッティー市が縁の場所である。
 その時、尊師は、比丘たちのために、ニッバーナ(涅槃)に関する法を説き示し、教え、励まし、心喜ばせていた。
 また、彼ら比丘たちは、それをよく理解し、思惟し、全心を運び、耳を傾けて教えを聞いていた。

そのとき悪魔・悪しき者は、このように思った。
”ここで沙門ゴータマは、比丘たちのために、ニッバーナ(涅槃)に関する法を説き示し、教え、励まし、心喜ばせている。
 また、彼ら比丘たちは、それをよく理解し、思惟し、全心を運び、耳を傾けて教えに聞き入っている。
 では、私は沙門ゴータマに近づいて幻惑してやろう”と。

 さて、悪魔・悪しき者は、農夫の姿を化作して現われ、大きな鋤を肩に掛けて、長い(牛追いの)棒を手にして、髪をふり乱し、大麻の衣を着て、足は泥にまみれたままで、尊師に近づいた。

近づいてから、尊師に次のように言った、
「沙門よ、牡牛を見ましたか」

(尊師は言われた、)
「悪しき者よ。そなたは牡牛に何の用があるのだ」

(悪魔は言った、)
「沙門よ、眼は私の(力のおよぶ諸境界の)ものだ。色形は、私の(力のおよぶ諸境界の)ものだ。眼と色形との接触の識別領域は、私の(力のおよぶ諸境界の)ものだ。
沙門よ、そなたはどこへ行ったら、私から脱れることができるだろうか。

 沙門よ、耳は、私の(力のおよぶ諸境界の)ものだ。音声は、私の(力のおよぶ諸境界の)ものだ。耳と音声との接触の識別領域は、私の(力のおよぶ諸境界の)ものだ。
沙門よ、そなたはどこへ行ったら、私から脱れることができるだろうか。

 沙門よ、鼻は、私の(力のおよぶ諸境界の)ものだ。香りは、私の(力のおよぶ諸境界の)ものだ。鼻と香りとの接触の識別領域は、私の(力のおよぶ諸境界の)ものだ。
沙門よ、そなたはどこへ行ったら、私から脱れることができるだろうか。

 沙門よ、舌は、私の(力のおよぶ諸境界の)ものだ。味は、私の(力のおよぶ諸境界の)ものだ。舌と味との接触の識別領域は、私の(力のおよぶ諸境界の)ものだ。
沙門よ、そなたはどこへ行ったら、私から脱れることができるだろうか。

 沙門よ、身体は、私の(力のおよぶ諸境界の)ものだ。触感は、私の(力のおよぶ諸境界の)ものだ。身体と触感されるものとの接触の識別領域は、私の(力のおよぶ諸境界の)ものだ。
沙門よ、そなたはどこへ行ったら、私から脱れることができるだろうか。

 沙門よ、心は、私の(力のおよぶ諸境界の)ものだ。心で考えられる諸々の事象は、私の(力のおよぶ諸境界の)ものだ。心と諸法の接触の識別領域は、私の(力のおよぶ諸境界の)ものだ。
沙門よ、そなたはどこへ行ったら、私から脱れることができるだろうか。

(尊師は言われた、)
「悪しき者よ、眼は、そなたの(力のおよぼしうる諸境界の)ものである。色形は、そなたの(力のおよぼしうる諸境界の)ものである。眼と色形との接触の識別領域は、そなたの(力のおよぼしうる諸境界の)ものである。
 しかし、眼が存在せず、色形が存在せず、眼と色形との接触の識別領域が存在しないところは、そなたの(力はおよばず、そなたが)行作できるところではない。

 悪しき者よ、耳は、そなたの(力のおよぼしうる諸境界の)ものである。音声は、そなたの(力のおよぼしうる諸境界の)ものである。耳と音声との接触の識別領域は、そなたの(力のおよぼしうる諸境界の)ものである。
 しかし、聴覚器官が存在せず、音声が存在せず、耳と音声との接触の識別領域が存在しないところは、そなたの(力はおよばず、そなたが)行作できるところではない。

 悪しき者よ、鼻は、そなたの(力のおよぼしうる諸境界の)ものである。香りは、そなたの(力のおよぼしうる諸境界の)ものである。鼻と香りとの接触の識別領域は、そなたの(力のおよぼしうる諸境界の)ものである。
 しかし、嗅覚器官が存在せず、香りが存在せず、鼻と香りとの接触の識別領域が存在しないところは、そなたの(力はおよばず、そなたが)行作できるところではない。

 悪しき者よ、舌は、そなたの(力のおよぼしうる諸境界の)ものである。味は、そなたの(力のおよぼしうる諸境界の)ものである。舌と味との接触の識別領域は、そなたの(力のおよぼしうる諸境界の)ものである。
 しかし、舌が存在せず、諸々の味が存在せず、舌と味との接触の識別領域が存在しないところは、そなたの(力はおよばず、そなたが)行作できるところではない。

 悪しき者よ、身体は、そなたの(力のおよぼしうる諸境界の)ものである。触感は、そなたの(力のおよぼしうる諸境界の)ものである。身体と触感されるものとの接触の識別領域は、そなたの(力のおよぼしうる諸境界の)ものである。
 しかし、身体が存在せず、触感されるものが存在せず、身体と触感されるものの接触の識別領域が存在しないところは、そなたの(力はおよばず、そなたが)行作できるところではない。

 悪しき者よ、心は、そなたの(力のおよぼしうる諸境界の)ものである。心で考えられる諸々の事象は、そなたの(力のおよぼしうる諸境界の)ものである。心と諸法の接触の識別領域は、そなたの(力のおよぼしうる諸境界の)ものだ。
 しかし、心が存在せず、心で考えられる諸々の事象が存在せず、心と諸法の接触の識別領域の存在しないところは、そなたの(力はおよばず、そなたが)行作できるところではない。」

悪魔は言った、
「『これは、私の(諸境界の)ものである』と言い、彼らは『私の(諸境界の)である』と言う。

 そなたの心がそこにとどまるならば、沙門よ、そなたは未だ、私から脱れてはいないだろう」

尊師は言われた、
「『これは、私の(諸境界の)ものである』と言わず、彼らは『私の(諸境界の)ものである』と言わない。

〔(我がものであると執著して)語るところのもの、それは私に属するものではない。
 (執著して)語る人々がいるが、私は、彼らのうちの一人ではない。)〕

 悪しき者よ、このように知れ。そなたは、私の行く道を見ることを得ないであろう」

 そこで、悪魔・悪しき者は、”尊師は、私の心を知っておられるのだ、幸ある方は私のことを知っておられるのだ”と気づいて、打ち萎れ、憂いに沈み、その場で消え失せた。





【世間における依著・制約は、結縛であると知って、人はその結縛を解くために修学すべし】


  統治

 ある時、尊師は、コーサラ国のうちの雪山地方において、森の庵に留まっておられた。

時に、尊師が独り坐し静観しておられるときに、このような思念を起こされた、
「統治は、殺すことなく、殺さしめることなく、勝つことなく、勝たしめることなく、悲しむことなく、悲しませることなく、法によりてなすことを得ないであろうか」と。

 その時、悪魔・悪しき者は、尊師の思念を知り、尊師に近づいた。

近づいてから、尊師にこのように言った、
「尊い方よ。尊師は自ら統治をなさい。幸ある方は、殺すことなく、殺さしめることなく、勝つことなく、勝たしめることなく、悲しむことなく、悲しませることなく、法によって統治をなさい」と。

「悪しき者よ。そなたは、何を見て、私に『尊師よ。尊師は自ら統治をなさい。幸ある方は、殺すことなく、殺さしめることなく、勝つことなく、勝たしめることなく、悲しむことなく、悲しませることなく、法によって統治をなさい』と、言うのか」

「尊い方よ。尊師は、四つの不思議な霊力(四神足)を修し、習修し、乗用の車のようにし、家の礎のようにしっかりと堅固にし、いつも習修し、完全に積み重ね、成し遂げられました。
 尊師がもしも、山の王・雪山を黄金にしようと望み、そのように決意されるならば、山は黄金となるでしょう」

〔尊師は、このように言われた、
「私は、心に、国王と作ろうと欲するは無し。どうして、作ろうとするだろうか。また、私は、心に、山の王・雪山を変じて、黄金と為そうと欲するは無し。どうして、変じさせようとするだろうか」〕

そして、尊師は、偈を説いて言われた、
「たとえ、黄金や銀の山があったとしても、また、それを二倍にしても、それだけでは、一人の欲を満足させることはできない。このことを知って、平らかな心で行なうべし。
 苦しみと、苦しみの起こるもととを見た人は、どうして欲情に傾くであろうか。世間における依著・制約は結縛であると知って、人はそ(の結縛)を解くために修学すべし」

 そこで、悪魔・悪しき者は、”尊師は、私の心を知っておられるのだ、幸ある方は私のことを知っておられるのだ”と気づいて、打ち萎れ、憂いに沈み、その場で消え失せた。





【バラモンよ、われらは、現在経験されることを捨てて、未来の時に得られることを追求しているのではありません。
 われらは、未来に得られることを捨てて、現在に経験されることを追求しているのです。
 バラモンよ、愛欲は時間を隔て、苦しみ多く、悩み多く、禍いであり、ここでいよいよ烈しくなるものだ、と尊師は説かれました。
 この法は、現前のもので、時間を隔てず、「来たれ、見よ」と言い得るもの、涅槃に導くもの、賢者がそれぞれ自ら知るべきものです】

【結縛は、世の中に対する執着であると知って、人はその結縛を解くために修学すべし】


  多数の人々

 このようにわたくしは聞きました。

 ある時、尊師は、シャキャ族のあいだでシラーヴァティーに留まっておられた。

 その時、多数の比丘たちが、尊師のもとから遠く離れていないところで、熱心に精励し、修行に努めていた。

 時に悪魔・悪しき者は、老いたバラモンの姿を化作して現われ、髪を結んで大きな房をつくり、カモシカの背皮の衣をまとい、老いぼれて、屋根の垂木のように背を曲げ、呼吸をするのにグルグルと喉を鳴らし、ウドゥンバラ樹の杖を手に執って、それらの比丘たちのいるところに赴いた。

近づいてから、それらの比丘たちに次のように言った、
「尊いあなた方は、お若く、髪も黒く若者で、青春に富み、人生の第一期なのに、愛欲を味わうこともなしに、出家されました。あなた方は、人間の愛欲を楽しみなさい。現在経験されることを捨てて、未来の時に得られることを追求なさるな」

比丘たちは言った、
「バラモンよ、われらは、現在経験されることを捨てて、未来の時に得られることを追求しているのではありません。
 われらは、未来に得られることを捨てて、現在に経験されることを追求しているのです。
 バラモンよ、愛欲は時間を隔て、苦しみ多く、悩み多く、禍いであり、ここでいよいよ烈しくなるものだ、と尊師は説かれました。
 この法は、現前のもので、時間を隔てず、「来たれ、見よ」と言い得るもの、涅槃に導くもの、賢者がそれぞれ自ら知るべきものです」と。

 このように言われて、悪魔・悪しき者は頭を垂れて、舌を捲いて、三筋のシワをひたいに寄せて、杖にすがって立ち去った。

 そこで、それらの比丘たちは、尊師のもとに赴いた。近づいてから、尊師に礼して、傍らに坐った。

傍らに坐ってから、比丘たちは、尊師に次のように言った、
「尊き方よ、われらはここで、尊師のもとから遠く離れていないところで、熱心に精励し、修行に努めていました。その時、一人のバラモンが、髪を結んで大きな房をつくり、カモシカの背皮の衣をまとい、老いぼれて、屋根の垂木のように背を曲げ、呼吸をするのにグルグルと喉を鳴らし、ウドゥンバラ樹の杖を手に執って、われらに近づいて来ました。

近づいてから、われらにこのように言いました、
『尊いあなた方は、お若く、髪も黒く若者で、青春に富み、人生の第一期なのに、愛欲を味わうこともなしに、出家されました。あなた方は、人間の愛欲を楽しみなさい。現在経験されることを捨てて、未来の時に得られることを追求なさるな』と。

このように言われたので、われらはバラモンに次のように申しました、
『バラモンよ、われらは、現在経験されることを捨てて、未来の時に得られることを追求しているのではありません。
 われらは、未来に得られることを捨てて、現在に経験されることを追求しているのです。
 バラモンよ、愛欲は時間を隔て、苦しみ多く、悩み多く、禍いであり、ここでいよいよ烈しくなるものだ、と尊師は説かれました。
 この法は、現前のもので、時間を隔てず、「来たれ、見よ」と言い得るもの、涅槃に導くもの、賢者がそれぞれ自ら知るべきものです』と。

 このように言われて、老いたバラモンは頭を垂れて、舌を捲いて、三筋のシワをひたいに寄せて、杖にすがって立ち去りました」

尊師は言われた、
「比丘よ、その者はバラモンではないのだ。その者は悪魔・悪しき者が、汝らを幻惑するためにやって来たのである」

そこで尊師は、この事柄を知って、その時次の偈を唱えられた、
「苦しみと、その原因とを見た人は、どうして愛欲に傾くであろうか。
 結縛は、世の中に対する執着であると知って、人はその結縛を解くために修学すべし」





  サミッディ

 ある時、尊師はシャキャ族のあいだで、シラーヴァティに留まっておられた。

 その時、サミッディ尊者は、尊師のもとから遠く離れていないところで、熱心に精励し、修行に努めていた。

時に、サミッディ尊者が独り坐して静観している時に、このような思念を起された、
「わが師が、正しくさとった人であり、尊び敬われるべき人であるということは、実に得るところが大きい。私が、このように善く説かれた教えと戒律とのうちで出家したということは、実に得るところが大きい。私の共同修行者が戒律をたもち、善い性質の人であるということは、実に得るところが大きい」

 その時、悪魔・悪しき者は、サミッディ尊者の思念を知って、サミッディ尊者に近づいた。
近づいてから、サミッディ尊者から遠く離れていないところで、大きな、恐ろしい音を立てた。あたかも大地さえも避けるかのようであった。

 そこで、サミッディ尊者は、尊師のもとに赴いた。近づいてから、尊師に礼し、傍らに坐った。

傍らに坐ってから、サミッディ尊者は、尊師に次のように言った、
「尊い方よ。わたくしはここに、尊師から遠く離れていないところで、熱心に精励し、修行に努めていました。わたくしが独り坐して静観している時に、このような思念を起しました。
”わが師が、正しくさとった人であり、尊び敬われるべき人であるということは、実に得るところが大きい。私が、このように善く説かれた教えと戒律とのうちで出家したということは、実に得るところが大きい。私の共同修行者が戒律をたもち、善い性質の人であるということは、実に得るところが大きい”と。

 尊い方よ、その時、私の遠く離れていないところで、大きな、恐ろしい音がしました。あたかも大地さえも避けるかのように思われました」

尊師は言われた、
「サミッディよ。その音は大地が裂けるのではない。その音は悪魔・悪しき者が、そなたを幻惑するためにしたのものである。
 そなたは、もと居たところに行って、熱心に精励し、修行に努めよ」

「かしこまりました」と、サミッディ尊者は尊師に答えて、座席から立ち上がって、尊師に礼し、右まわりの礼をして、立ち去った。

 再び、サミッディ尊者は、もとの同じ場所で、熱心に精励し、修行に努めていた。

サミッディ尊者が一人かくれて禅定をしている時に、再び、このような思念を起された、
”わが師が、正しくさとった人であり、尊び敬われるべき人であるということは、実に得るところが大きい。私が、このように善く説かれた教えと戒律とのうちで出家したということは、実に得るところが大きい。私の共同修行者が戒律をたもち、善い性質の人であるということは、実に得るところが大きい”と。

 再び、悪魔・悪しき者は、サミッディ尊者の思念を知って、サミッディ尊者に近づいた。
近づいてから、サミッディ尊者から遠く離れていないところで、ぞっとするような、大きな恐ろしい音を立てた。あたかも大地さえも避けるかのようであった。

そこでサミッディ尊者は、”これは悪魔・悪しき者である”と知りて、悪魔・悪しき者に偈を以て語りかけた、
「私は信の心を持って家を出て、家なき(修行者の境地)に赴いた。
 わが正しい念いと智慧とは増大した。わが心は静かで安定している。
 (悪魔よ、)いろいろの姿を現わすがよい、私を恐れ悩ますことはできないであろう」

 そこで、悪魔・悪しき者は、”サミッディ尊者は、私の心を知っているのだ”と気づいて、打ち萎れ、憂いに沈み、その場で消え失せた。





  ゴーディカ

 このようにわたくしは聞きました。
 ある時、尊師は、王舎城のうちの竹林の栗鼠飼養所に留まっておられた。
 その時、ゴーディカ尊者は、(仙人の丘)の山腹にある黒曜岩(の石室)に住しておられた。

 さて、ゴーディカ尊者は、熱心に精励し、修行に努めて、精神統一にもとづく心の解脱に達した。そして、ゴーディカ尊者は、その精神統一にもとづく心の解脱から退いた。

 再び、ゴーディカ尊者は、熱心に精励し、修行に努めて、精神統一にもとづく心の解脱に達した。そして、ゴーディカ尊者は、その精神統一にもとづく心の解脱から退いた。

 三たび、ゴーディカ尊者は、熱心に精励し、修行に努めて、精神統一にもとづく心の解脱に達した。そして、ゴーディカ尊者は、その精神統一にもとづく心の解脱から退いた。

 四たび、ゴーディカ尊者は、熱心に精励し、修行に努めて、精神統一にもとづく心の解脱に達した。そして、ゴーディカ尊者は、その精神統一にもとづく心の解脱から退いた。

 五たび、ゴーディカ尊者は、熱心に精励し、修行に努めて、精神統一にもとづく心の解脱に達した。そして、ゴーディカ尊者は、その精神統一にもとづく心の解脱から退いた。

 六たび、ゴーディカ尊者は、熱心に精励し、修行に努めて、精神統一にもとづく心の解脱に達した。そして、ゴーディカ尊者は、その精神統一にもとづく心の解脱から退いた。
 六たび、ゴーディカ尊者は、その精神統一にもとづく心の解脱から退転した。

 七たび、ゴーディカ尊者は、熱心に精励し、修行に努めて、精神統一にもとづく心の解脱に達した。そして、ゴーディカ尊者は、その精神統一にもとづく心の解脱から退いた。

そこで、ゴーディカ尊者はこのように思った、
「私は六度までも、精神統一にもとづく心の解脱から退いたのだから、もはや刀を手にしたらどうだろう」と。

 そこで、悪魔・悪しき者は、ゴーディカ尊者が心の中で考えていることを知り、尊師に近づいた。

近づいてから、尊師に詩を以て語りかけた、
「偉大なる健き人よ。大いなる知識ある人よ。神通と名声に輝きたもう人、
 すべての敵意・恐怖を超えた人、眼ある人よ、私はあなたの御足に敬礼いたします。
 偉大なる健き人、死に打ち克った人よ。

 あなたの弟子は、いま死を望み、死を思うています。
 光の主よ、それを止どめたまへ。
 尊師よ、教えを喜ぶあなたの弟子が、まださとりを得ないで、まだ修め学ぶべきであるのに、どうして死を遂げるということがあってよいでしょうか。世に名高き方よ」と。

そのとき、尊師は、「悪魔・悪しき者がいるのだ」と知って、悪魔・悪しき者に向かって偈を以て語りかけた、
「思慮ある人々は、実にこのようになすのである。
 生命を(延ばすことを)期待していない。
 妄執を、根こそぎにえぐり出して、ゴーディカは安らぎに帰したのである」と。

そこで、尊師は、比丘たちに告げられた、
「比丘たちよ、さあ、(仙人の丘)の山腹の黒曜岩に行こう。そこで良家の子・ゴーディカは刀を取ったのだ」と。

「かしこまりました」と、その修行僧たちは尊師に答えた。

 そこで尊師は、多数の比丘たちとともに(仙人の丘)の山腹の黒曜岩のところに赴いた。
 尊師は、ゴーディカ尊者の遠く床座の上で肩をまるめ、上向きに臥しているのを見られた。

 そのとき、煙のような、朦朧としたものが、東に行き、西に行き、北に行き、南に行き、上方に行き、下方に行き、中間の四維に行った。

さて、尊師は比丘たちに告げられた、
「比丘たちよ、そなたらは、この煙のように朦朧としたものの、東に行き、西に行き、北に行き、南に行き、上方に行き、下方に行き、中間の四維に行くのを見るか」と。

「尊師よ、お言葉のとおりです」

「比丘たちよ、これは悪魔・悪しき者が、良家の子ゴーディカの識別力を探し求めているのだ。『良家の子・ゴーディカの識別力はどこに安住しているのであろうか』と。

 しかし、良家の子・ゴーディカの識別力は住することなく、完全なニッバーナ(涅槃)に入ったのだ」と。

 そこで悪魔・悪しき者はベールヴァ樹の黄金のクゴ〔楽器〕を手に取って、尊師のもとに近づいた。

近づいてから、偈を以て語りかけた。
「上に、下に、横に、四方四維に、私は探し求めたのですが、見出すことができませんでした。
 かのゴーディカはどこへ行ったのですか」と。

尊師は言われた、
「彼は思慮深く、堅固であり、常に禅定を楽しみ、禅思していた。
 昼夜、道に従って努め、生きることを求めなかった。
 死魔の軍勢に打ち勝ち、再び迷いの生存に戻ることなく、
 妄執(渇愛)を、根こそぎにえぐり出して、ゴーディカは完全に消え失せた」

 悲しみにやぶれた悪魔の、クゴ〔楽器〕は小脇からパタッと落ちた。
 次いでこの夜叉は、打ち萎れて、その場で消え失せた。


自殺をしりぞけることについて





【「これは私のものではない」と語る者、また「これは、私ではない」と語る人々、
 このようにあると知れ、悪しき者よ。そなたは、わが行く道をも知ることがないであろう】


  七年

 このようにわたくしは聞きました。
 ある時、尊師はウルヴェーラーの、ネーランジャラー河の岸辺のアジャパーラという名のバニヤンの樹のもとに留まっておられた。

 そのときに悪魔・悪しき者は、七年のあいだ尊師につきまとって、隙を見つけようとしていたが、隙を見つけることができなかった。

 そこで、悪魔は、尊師に近づいた。

近づいて、尊師に向かって偈を以て語りかけた、
「悲しみに沈んで、森の中で沈思しているのですか。それとも、失くした富を取り戻そうと求めているのですか。
 村の中で何か罪を犯したのですか。なぜ誰とも交わらないのですか」と。

尊師は言われた、
「悲しみの根をすっかり掘り除き、罪悪業なく、悲しむことなく、私は禅定している。
 怠け者の仲間よ。生存を貪るすべての欲念を捨てて、(無明の)汚れなく、私は禅思する」

悪魔は言った、
「『これは、私のものである』と語る者、『これは、私である』ということを語る人々、
 もしもそなたの心がここにあるならば、そなたは、私から脱れることはできないであろう。道の人よ」

尊師は言われた、
「『これは私のものではない』と語る者、また『これは、私ではない』と語る人々、
 このようにあると知れ、悪しき者よ。そなたは、わが行く道をも知ることがないであろう」

悪魔は言った、
「もしそなたが、安穏にして、不死に至る道をさとったのであれば去れよ。
 そなたは独りで行け。なぜ他人を教えさとすのか」

尊師は言われた、
「彼岸に至ろうと望む人々は、不死の境地を尋ねる。
 私は、彼らに問われて、すべての休止した、生存の素因のない境地を説くのである」

悪魔は言った、
「世尊よ、譬えば、村あるいは町から遠からぬところに池があり、そこに蟹がいて、多くの少年や少女が、その村や町から出てきて、その池に近づき、その蟹を水の中から取り出して、陸地に置いたとしよう。
 世尊よ、その蟹がハサミを立てたならば、その少年や少女達は木片や石片で、そのハサミを断ち破り壊す。世尊よ、そのように、その蟹はすべてのハサミを断ち破り壊されて、再び池に入ることができなくなった。
 あたかもこのように、世尊が説かれたのと同様に、いかなる曲がったもの、歪んだもの、ねじられたものでも、すべて尊師によって断たれ、破られ、壊されて、今や、隙を見つけようとしても世尊に近づくことを得ない」と。

そこで悪魔・悪しき者は、尊師のもとで、次のような気落ちしたことを示す偈をとなえた、
「固まった油に似た石(を見て)、『ここに柔らかいものを得よう。味の良いものを得よう』といって、鳥は空を舞うが、
 そこに甘きを得ずに、鳥は空に飛び去った。その石を襲った鳥のように、私は気落ちして、ゴータマより去る」と。

 そこで、悪魔・悪しき者は、尊師のもとでこれらの、気落ちしたことを示す偈をとなえて、その場所から去り、尊師から遠からぬところで地上に趺坐して、沈黙したままで、気落ちして、肩を落として、顔を下に向け、思いに沈み、答えることもできないで、杖で地面を掻きながら坐っていた。





【身は軽やかで、心がよく解脱し、迷いの生存に結ばれる行いをすることなく、正念にして、執著することなく、真理を熟知して、思考することなく、禅定し、
 怒りもせず、(悪を)おもはず、物憂いこともない。
 このように多く修する修行僧は、この世で五種の激流を渡り、ここに第六の激流までも渡る。
 このように多く禅定するならば、外界の欲望の想いがその人をとりこにすることがない】


  娘たち

 時に、渇愛と不快と貪欲という悪魔の娘たちが、悪魔・悪しき者に近づいた。

近づいてから、悪魔・悪しき者に偈を以て語りかけた、
「お父さま、なぜ、あなたは憂えておられるのですか。
 いかなる人のことを悲しんでおられるのですか。
 私たちは、その人を愛欲の網で、森の象のように縛って連れて来て、あなたの支配のもとに置きましょう」と。

悪魔は言った、
「世に尊敬される人・幸ある人(仏陀)を、愛欲で誘うのは容易なことではない。
 彼は、悪魔の領域を脱している。だから、私は大いに憂えているのだ」

 そこで、渇愛と不快と貪欲という悪魔の娘達は、尊師に近づいた。

近づいてから、尊師に次のように言った、
「沙門様。われらは、あなたさまの御足に仕えましょう」と。

 ところが、愛欲への執著・煩悩を滅尽し、無上の(安楽の)うちにあって解脱されている尊師は、気にとめず、払うこともされなかった。


さて、渇愛と不快と貪欲という悪魔の娘達は、傍らに退いてこのように考えた、
「人々の好むところは、各々異なる。われらはそれぞれ百人ずつ、少女の姿を化作して現わそう」と。

 そこで、渇愛と不快と貪欲という悪魔の娘達は、それぞれ百人ずつ少女の姿を化作して現わし、尊師に近づいた。

近づいてから尊師に次のように言った、
「沙門様、私達はあなたさまの御足に仕えましょう」と。

 ところが、愛欲への執著・煩悩を滅尽し、無上の(安楽の)うちにあって解脱されている尊師は、気にとめず、払うこともされなかった。


さて、渇愛と不快と貪欲という悪魔の娘達は、傍らに退いてこのように考えた、
「人々の好むところは、各々異なる。われらはそれぞれ百人ずつ、未だ子を産んだことのない女の姿を化作して現わそう」と。

 そこで、渇愛と不快と貪欲という悪魔の娘達は、それぞれ百人ずつ未だ子を産んだことのない女の姿を化作して現わし、尊師に近づいた。

近づいてから尊師に次のように言った、
「沙門様、私達はあなたさまの御足に仕えましょう」と。

 ところが、愛欲への執著・煩悩を滅尽し、無上の(安楽の)うちにあって解脱されている尊師は、気にとめず、払うこともされなかった。


さて、渇愛と不快と貪欲という悪魔の娘達は、傍らに退いてこのように考えた、
「人々の好むところは、各々異なる。われらはそれぞれ百人ずつ、一たび子を産んだ女の姿を化作して現わそう」と。

 そこで、渇愛と不快と貪欲という悪魔の娘達は、それぞれ百人ずつ一たび子を産んだ女の姿を化作して現わし、尊師に近づいた。

近づいてから尊師に次のように言った、
「沙門様、私達はあなたさまの御足に仕えましょう」と。

 ところが、愛欲への執著・煩悩を滅尽し、無上の(安楽の)うちにあって解脱されている尊師は、気にとめず、払うこともされなかった。


 そこで、渇愛と不快と貪欲という悪魔の娘達は、それぞれ百人ずつ二たびを生んだことのある女の姿を化作して現わし、尊師に近づいた。

近づいてから尊師に次のように言った、
「沙門様、私達はあなたさまの御足に仕えましょう」と。

 ところが、愛欲への執著・煩悩を滅尽し、無上の(安楽の)うちにあって解脱されている尊師は、気にとめず、払うこともされなかった。


 そこで、渇愛と不快と貪欲という悪魔の娘達は、それぞれ百人ずつ中年の女の姿を化作して現わし、尊師に近づいた。

近づいてから尊師に次のように言った、
「沙門様、私達はあなたさまの御足に仕えましょう」と。

 ところが、愛欲への執著・煩悩を滅尽し、無上の(安楽の)うちにあって解脱されている尊師は、気にとめず、払うこともされなかった。


 そこで、渇愛と不快と貪欲という悪魔の娘達は、それぞれ百人ずつ年増の女の姿を化作して現わし、尊師に近づいた。

近づいてから尊師に次のように言った、
「沙門様、私達はあなたさまの御足に仕えましょう」と。

 ところが、愛欲への執著・煩悩を滅尽し、無上の(安楽の)うちにあって解脱されている尊師は、気にとめず、払うこともされなかった。


そこで、渇愛と不快と貪欲という悪魔の娘達は、傍らに退いてこのように言った、
「実にわれらの父の言われたことは、真実であった、
 『世に尊敬される人・幸ある人(仏陀)を、愛欲で誘うのは容易なことではない。彼は、悪魔の領域を脱している。だから、私は大いに憂えているのだ』と。

 われらは、未だ貪欲を離れていないいかなる沙門でもバラモンでも、この攻撃を以て攻めたならば、乱心狂気ならしめ、彼の心臓を破り、口から熱血を吐かせ、
あたかも、青い葦が、乾き、萎れ、枯れるように、乾き、萎れ、枯れさせたのだ」と。

 そこで、渇愛と不快と貪欲という悪魔の娘達は尊師に近づいた。近づいて、傍らに立った。

傍らに立った悪魔の娘・(渇愛)は、尊師に偈を以て話かけた、
「悲しみに沈んで、森の中で沈思しているのですか。それとも、失くした富を取り戻そうと求めているのですか。
 村の中で何か罪を犯したのですか。なぜ誰とも交わらないのですか、あなたに友となすべき人はいないのですか」と。

尊師は言われた、
「愛しく美しい、快い姿の軍勢に打ち勝って、私は独りで坐し、勝義の得達と、さとりの寂静と安楽を禅思している。
 それゆえに、私は人々と交わらないのだ。私にいかなる友もなし」

そのとき、悪魔の娘・(不快)は、尊師に偈を以て語りかけた、
「沙門は、どのように修すること多くして、五つの激流を渡り、ここに第六の激流を渡ったのですか。
 どのように多く禅定するならば、外界の欲望の想いがその人をとりこにしないのですか」と。

尊師は言われた、
「身は軽やかで、心がよく解脱し、迷いの生存に結ばれる行いをすることなく、正念にして、執著することなく、真理を熟知して、思考することなく、禅定し、
 怒りもせず、(悪を)おもはず、物憂いこともない。
 このように多く修する修行僧は、この世で五種の激流を渡り、ここに第六の激流までも渡る。
 このように多く禅定するならば、外界の欲望の想いがその人をとりこにすることがない」

そのとき、悪魔の娘(貪欲)は、尊師に寂かなる偈を以て語りかけた、
「彼は妄執を断って、衆生とともに行く。実に多くの生きとし生けるもの〔有情〕は行くがよい。
 この執著なき人は、多くの人々を(魔王の束縛から)断ち、死王の彼岸に導くであろう。
 偉大な健き人である諸々の如来は、王法によりて導きたまう。
 理法に導かれて理解する智者を、嫉みてどうするものだろうか」

 そこで、悪魔の娘達(渇愛と不快と貪欲)は、悪魔・悪しき者のところに赴いた。

 悪魔・悪しき者は、悪魔の娘達(渇愛と不快と貪欲)が遠くからやって来るのを見た。

見てから、(悪魔・悪しき者は、)詩句を以て語りかけた、
「愚かな者どもよ。蓮の茎で山を砕き、爪で岩山を掘ろうとし、歯で鉄を噛み、大きな岩山に頭をぶちつけて、大渦の潮流に足場を探そうとしている。胸に杭を打ちつけて、ゴータマを厭ひて来たか」と。

 渇愛と不快と貪欲とは、光り輝いてやって来たが、風神が柔毛と落葉とを吹き払うように、尊師はそこに彼女らを退けられた。
相応 悪魔相應 処




【色界に上がり行く衆生と、無色界の天にとどまる衆生もいる、それらの衆生の、善く達成して得るもの。
 すべてそれらの迷闇は、私より除かれた】


  ヴィジャヤー

 舎衛城が縁の場所である。

 時に、ヴィジャヤー比丘尼は、舎衛城に托鉢し、食後、鉢を片付け、とある樹下にて日住に坐していた。

 その時、悪魔波旬は、ヴィジャヤー尼に、身の毛もよだつほどの恐怖を起こさせて、禅定より離れされようと欲して、ヴッジャヤー尼に近づいた。

近づいて、偈によりて語った、
「御身は若く、美しい。私もまた年若い。
 来たれ、貴い人よ。さあ、五種の楽器で楽しみましょう」と。

 その時、ヴィジャヤー尼はこのように思った、”この偈を語るのは、人か、非人か”と。

そこで、ヴィジャヤー尼は、”これは悪魔・悪しき者である”と知りて、悪魔・悪しき者に偈を以て語りかけた、
「心を楽しませる、色、声、香、味、触感、の五法を、私はことごとく、汝に引き渡そう。
 悪魔よ、それらは、私に要がないからである。

 もろくして砕け易い、この汚れの身を、私は、厭い恥じるのみ。
 欲愛は、根こそぎに抜いたのだから。

 色界に上がり行く衆生と、無色界の天にとどまる衆生もいる、それらの衆生の、善く達成して得るもの。
 すべてそれらの迷闇は、私より除かれた」と。

 そこで、悪魔・悪しき者は、”ヴィジヤー尼は、私の心を知っているのだ”と気づいて、打ち萎れ、憂いに沈み、その場で消え失せた。





  蓮華色比丘尼

 舎衛城が縁の場所である。

 時に、ウッパラヴァンナー(蓮華色)比丘尼は、舎衛城に托鉢し、食後、鉢を片付け、とある美しく華が咲く沙羅樹の下にて日住に坐していた。

 その時、悪魔波旬は、ウッパラヴァンナー尼に、身の毛もよだつほどの恐怖を起こさせて、禅定より離れされようと欲して、ウッパラヴァンナー尼に近づいた。

近づいて、偈によりて語った、
「比丘尼よ、上下美しく華の咲く、沙羅樹の下に来て汝は一人立っている。
 汝の美しさに並ぶものはいない。愚かな女よ。汝は悪しき者を恐れないのか」と。

 その時、ウッパラヴァンナー尼は、このように思った、”この偈を語るのは、人か、非人か”と。

 そこで、ウッパラヴァンナー尼は、このように思った、”これは悪魔波旬が、身の毛もよだつほどの恐怖を起こさせて、禅定より離れされようと欲して、偈をへて語りているのだ”と。

そして、ウッパラヴァンナー尼は、”これは悪魔波旬の仕業である”と知りて、悪魔・悪しき者に偈を以て語りかけた、
「汝のように心悪しき者が、百千、ここに来ても、私は毛髪をも動かすことなく、恐れはしない。
 悪魔よ、私は、独りでいても、汝を恐れはしない」

(悪魔は言った、)、
「私は、ここに姿を消して、汝の腹の中に入ろう。また、汝の眉間に立てば、汝は、私を見ることもできないだろう」

(ウッパラヴァンナー尼は言った、)
「私は、心に自在を得ていて、善く如意足(神通)を修めている。
 私は、一切の結縛から解脱し、汝、悪魔を恐れはしない。

〔私はすでに、三垢恐怖の根本を吐き捨て、結縛より解脱し、汝、悪魔を恐れることはない。
 一切の愛喜において、一切の闇冥を離れ、すでに寂滅を證して、諸々の漏尽に安住している。
 汝は悪魔であると知る。まさに、自ら消滅して去りなさい〕」

 そこで、悪魔・悪しき者は、”ウッパラヴァンナー尼は、私の心を知っているのだ”と気づいて、打ち萎れ、憂いに沈み、その場で消え失せた。





【色界に上れる衆生も、無色界に住する衆生も、滅を知らないが故に、再び迷いの生存に来るのです】


  遮羅比丘尼

 舎衛城が縁の場所である。

 時に、チャーラー(遮羅)比丘尼は、舎衛城に托鉢し、食後、鉢を片付け、とある樹下にて日住に坐していた。

 その時、悪魔波旬は、チャーラー尼に近づいた。

近づいて、このように言った、
「比丘尼よ、汝は何を喜ばないのですか」と。

(チャーラー尼は言った、)
「友よ、私は生を喜ばないのです」

(悪魔は言った、)
「どうして生を喜ばないのですか」

(チャーラー尼は言った、)
「生まれたならば、愛欲を享受するからです」

(悪魔は言った、)
「誰が、汝にそのような事を教えたのか、『生を喜ぶな』と。」

(チャーラー尼は言った、)
「生まれた者には死がある。生まれたならば、苦悩を見る。
 捕縛、殺害、責苦の禍がある。この故に、生を楽しまない。
 仏陀は法(真理)を説き給いて、生を超えて、すべての苦の捨離に導き、私を真理に入れたもうた。

 色界に上れる衆生も、無色界に住する衆生も、滅を知らないが故に、再び迷いの生存に来るのです」

 そこで、悪魔・悪しき者は、”チャーラー尼は、私の心を知っているのだ”と気づいて、打ち萎れ、憂いに沈み、その場で消え失せた。





【三十三天や、夜摩天、あるいは、兜卒天、または、化楽天、または、他化自在天の諸々の天上は、有為行を離れず、その故に、魔の自在にしたがう】


  優波遮羅比丘尼

 ある時、世尊は、(サーヴァッティー市に)留まっておられた。

 時に、ウパチャーラー(優波遮羅)比丘尼は、舎衛城に托鉢し、食後、鉢を片付け、とある樹下にて日住に坐していた。

 その時、悪魔波旬は、〔化作して少年と作りて、〕ウパチャーラー尼に近づいた。

近づいて、このように言った、
「比丘尼よ、汝はどこに生まれようと欲するのですか」と。

(ウパチャーラー尼は言った、)
「友よ、私はどこにも生まれようと欲しません」

(悪魔は言った、)
「三十三天や、夜摩天、あるいは、兜卒天、または、化楽天、または、他化自在天、それらに心を向けて願いなさい。
(そうすれば、そこへ生まれて)快楽の享受を得るでしょう」

〔その時、ウッパラヴァンナー尼は、このように思った、”この者は、私を恐怖させようと欲している。この者は、人か、非人か”と。

 そして、ウッパラヴァンナー尼は、このように思った、”これは悪魔波旬が、悩乱させようと欲しているのである”と。

そして、ウパチャーラー尼は、偈を説いて言った、
〔「三十三天や、夜摩天、あるいは、兜卒天、または、化楽天、または、他化自在天の諸々の天上は、有為行を離れず、その故に、魔の自在にしたがう。

 一切の諸々の世は、ことごとく衆生の行の集まりである。

 一切の諸々の世は、ことごとくみな動揺の法である。

 一切の諸々の世は、ことごとく常に苦の火が燃えている。

 一切の諸々の世は、ことごとくみな煙灰が起こる。

 しかし、震えず、また、動揺せず、凡夫の人の到れないところ、悪魔の行かないところ。
 この処において、私は心楽しているのです。
 (私は、)一切の憂苦を離れ、一切の闇冥を捨てて、寂滅して、以て證を作して、諸々の漏尽に安住しているのです。

 すでに、汝は悪魔であると知る。すなわち、自ら磨滅して去りなさい〕」と。

 そこで、悪魔・悪しき者は、”ウパチャーラー尼は、私の心を知っているのだ”と気づいて、打ち萎れ、憂いに沈み、その場で消え失せた。〕





  尸須波遮羅比丘尼

 ある時、世尊は、(サーヴァッティー市に)留まっておられた。

 時に、シースパチャーラー(尸須波遮羅)比丘尼は、舎衛城に托鉢し、食後、鉢を片付け、とある樹下にて日住に坐していた。

 その時、悪魔波旬は、〔化作して少年と作りて、〕シースパチャーラー尼に近づいた。

近づいて、このように言った、
「比丘尼よ、汝はどのような世間の(出家外道の)教えを喜んで奉じておられるのですか」と。

(シースパチャーラー尼は言った、)
「私は、世間の(出家外道の)教えを喜びません」と。

(悪魔は言った、)
「汝は、誰に依りて頭を丸め、尼のようになっているのですか。
 世間の教えを喜ばずとは、愚かにも、どうしてそのような事を行なっているのですか」と。

〔その時、シースパチャーラー尼は、このように思った、”この者は、私を恐怖させようと欲している。この者は、人か、非人か”と。

 そして、シースパチャーラー尼は、このように思った、”これは悪魔波旬が、悩乱させようと欲しているのである”と。

そして、シースパチャーラー尼は、偈を説いて言った、

〔「この(仏陀の)法より外の道(外学)は、諸々の見解に結縛せられる。諸々の見解に縛せられおわりて、常に悪魔の自在にしたがう。

 もし、釈迦族の家に生じた、無比の大師に(教えを)享けたならば、
 よく諸々の悪魔を調伏し、魔に伏されることがない。

 清浄にして一切より解脱し、一切を見たまう眼を持ちて、一切の諸業の滅尽に達し、諸々の生存の素因を滅ぼして解脱しておられる。
 かの世尊こそが、私の師である。その教えを、私は喜ぶのです。
 私は、その法に入りて、遠離寂静を得て、一切の愛喜を離れ、一切の闇冥を捨てて、寂滅して、以て證を作して、諸々の漏尽に安住しているのです。

 すでに、汝は悪魔であると知る。すなわち、自ら磨滅して去れ〕」と。

 そこで、悪魔・悪しき者は、「シースパチャーラー尼は、私の心を知っているのだ」と気づいて、打ち萎れ、憂いに沈み、その場で消え失せた。〕
相応 比丘尼相応




【そのように、如法(真理・善法)に進まず、不法(邪道・悪法)にしたがうが故に、
 懈怠者(理法・真理・善法を、修習・実行をしない者)は、死魔の口に到り、車軸の壊れたかのように、思に沈む】


  ケーマ

傍らに立ちてケーマ天子は、世尊の御許においてこの偈を唱えた、
「愚かにして、智慧なき人は、自ら(で、自らの)敵のように振舞い、
 苦しき果の結ばれる悪業を為すのである。

 その業が、もし善く成されなければ、終りてから悩み、泣きむせびて、その果を受ける。

 その業が、もし善く成されたならば、成し終わりて、悩み無く、心喜び、嬉しくして、その果を受ける。

 自らのために知りて、智者・賢人は、準備を為しなさい。

 かの『車で荷を運ぶ者の、思』のように、ならないよう精進せよ。
(いわゆる、)あたかも、かの荷を運ぶ者が、平らかな大道を離れて、平らかではない道にかかり、車軸が壊れて、思に沈むように。

 そのように、如法(真理・善法)に進まず、不法にしたがうが故に、
 懈怠者は、死魔の口に到り、車軸が壊れたかのように、思に沈む」と。
相応 天子相応




【比丘たちよ、他行処・他境界〔五欲の境界〕に遊べば、魔は、機縁を得て、所縁を得る。

(しかし、)比丘たちよ、自らの行処・父母の境界〔四念処〕に遊べば、魔は、機縁を得ず、所縁を得ない。】


  鳥

 このようにわたくしは聞きました。
 ある時、世尊は、舎衛城のジェータ林なる、アナータピンディカ(孤独な人々に食を給する人)の園に住しておられた。

その時、世尊は、比丘たちにこのように仰せられた、
「比丘たちよ、過去世の時に、一羽の鶉(ウズラ)がいて、鷹に捕えられ、空中において鳴いて言った、
『我は、自覚せずして、たちまちにこの難に遭った。我は、目的なく歩き、父母の境界を離れて、他の処に遊んでいたが故に、この難に遭った。
 今日、我が、自らの行処の父母の境界で遊んでいたならば、自在を以て闘い、鷹は、我を得ることもなかった」と。

〔鷹は、鶉に言った、
「鶉よ、汝が自在を得るという、自らの境界はどこに有るのか」と。

鶉は、答えて言った、
「我は、田畑のうねの中に、自らの境界が有り、諸々の難を免れるに足りる。そこが我の家、父母の境界だ」と。

鷹は、鶉にたいして自力を確信し、憍慢を起こして言った、
「鶉よ、往け、かの処へ往っても、我より逃れることはできない」と。

 そうして、鶉は、鷹の爪より脱することを得て、還って田畑のうねの大きな塊の下に到りて、その処に安住した。

そして、その後、塊の上において、鷹と闘おうとして言った、
「鷹よ、いざ来たれ」と。

 鷹は、”鶉は小鳥であるのに、あえて我と闘う”と、大いに怒り、瞋恚極まりて、すみやかに飛びて、鶉を襲った。

 鶉は、「鷹が、我に来る」と知りて、塊の下に入り、鷹は、飛んでいる勢いで、堅い塊に身を衝いて死んだ。

 比丘たちよ、このように、かの鷹は愚かにして、自ら親しむ所の、父母の境界を捨てて、他処に遊んだがために、その災難に到った。
 比丘たちよ、他行処にして他境界に遊ぶ者とは、このようなのものなのである。このゆえに、他行処の他境界に遊んではならない。

 比丘たちよ、そのように、他行処の他境界に遊べば、魔は、機縁を得て、所縁を得る。


では、比丘たちよ、何を『他行処の他境界』というのであるか。

 いわゆる、五欲の境界〔五妙欲〕である。
 眼所識の色を見て、愛念し、欲心を持ちて、染著する。また、耳によりて声を識り、鼻によりて香を識り、舌によりて味を識り、身によりて触を識り、意によりて法を識り、愛念し、欲心を持ちて、染著する。

 比丘よ、これを他行処の他境界というのである。

 比丘たちよ、自らの行処にして父母の境界において遊ぶが善い。

 比丘たちよ、自行処の父母の境界に遊べば、魔は、機縁を得ず、所縁を得ない。


では、比丘たちよ、何を、『自行処の父母の境界』というのであるか。

 いわゆる、四念処である。何を四と為すのか。
 比丘たちよ、ここに比丘がありて、
 身において身を観じ、熱心・正知・正念にして、世間の貪憂を調伏して住する。
 受において受を観じ、熱心・正知・正念にして、世間の貪憂を調伏して住する。
 心において心を観じ、熱心・正知・正念にして、世間の貪憂を調伏して住する。
 法において法を観じ、熱心・正知・正念にして、世間の貪憂を調伏して住する。

 比丘たちよ、これを、比丘の自行処にして父母の境界というのである。

 このゆえに、比丘たちよ、自行処の父母の境界〔四念処〕において、自ら遊行し、他行処の他境界〔五欲の境界〕から遠離しようと、まさに学ぶが善い」と。

 世尊はこの教えを説きたまい、比丘たちは、世尊の説きたもうた教えを、喜び敬って受けた。〕





【(理法に無知の)愚かな比丘は、内根(眼・耳・鼻・舌・身)、外境(色・声・香・味・触)の、五に縛せられおわりて、魔の欲する所にしたがう。

 このゆえに、比丘たちよ、まさにこのように学ぶが善い、
 『自ら行ずる処の、父母の境界〔四念処〕に依止して住し、他の行処の、他境界〔五妙欲〕に随いて行じてはならない』と。】


  猨猴

 このようにわたくしは聞きました。
 ある時、世尊は、王舎城のカランダカ竹林に住しておられた。

その時、世尊は、比丘たちにこのように仰せられた、
「大雪山の中の、寒さの厳しい処は、猿すらも往かず、人も往かない。
 また、他の山では、猿は往くが、人は行かない。
 また、他の山では、猿が往き、人も往くことがある。

 比丘たちよ、ここに猟師が、猿の行路にある草の上に、モチを塗りて猿を捕らえようとしている。

 比丘たちよ、愚かでなく軽率でない猿は、そのモチを見て遠く避ける。
しかし、愚かで軽率な猿は、遠くに避けず、そのモチのところに来て、手にて触り、その手が捉えられる。そして、その手を脱しようと欲し、両手を以て解いて脱しようと欲して、両手で触れ、また、両手が捉らえられる。そして、両手を脱しようと欲して、足にて触れ、また、その足は捉らえられる。さらに、両手足を脱しようと欲して、口にて触れるに、また、その口は捉えられる。

 比丘たちよ、このように、猿は五処にて捉えられ、うめき声を出して臥し、困窮苦悩して、猟師の所欲にしたがう。比丘たちよ、猟師は、この猿を杖にて貫き、かついで去る。

〔比丘たちよ、まさに知りなさい。愚かな猿は、自らの行処なる父母の境界を離れて、他行処の他境界にて、その苦悩を受けるに到ったと。〕

では、比丘たちよ、何を『他行処の他境界』というのであるか。

 いわゆる、五欲の境界〔五妙欲〕である。
 眼所識の色を見て、愛念し、欲心を持ちて、染著する。また、耳によりて声を識り、鼻によりて香を識り、舌によりて味を識り、身によりて触を識り、意によりて法を識り、愛念し、欲心を持ちて、染著する。

 比丘たちよ、これを他行処の他境界というのである。

〔また、比丘たちよ、そのように、愚かな凡夫は、集落に依りて住し、早朝に衣を著け、鉢を持し、村に入りて乞食するに善く身を護らず、根門を守らず、眼に色を見おわれば染著を生じ、耳にて声に染著を生じ、鼻にて香に染著を生じ、舌にて味に染著を生じ、身にて触感されるものに染著を生じ、意にて法に染著を生ずる。〕

 比丘たちよ、他行処にして他境界に遊ぶ者とは、このようなのものなのである。このゆえに、他行処の他境界に遊んではならない。

 そのように、比丘たちよ、他行処の他境界に遊べば、魔は、機縁を得て、所縁を得る。

〔(理法に無知の)愚かな比丘は、内根、外境の五に縛せられおわりて、魔の欲する所にしたがう。〕


 比丘たちよ、自行処にして父母の境界において遊ぶが善い。
 比丘たちよ、自らの行処の父母の境界に遊べば、魔は、機縁を得ず、所縁を得ない。

では、比丘たちよ、何を、『自行処の父母の境界』というのであるか。

 いわゆる、四念処である。何を四と為すのか。
 比丘たちよ、ここに比丘がありて、
 身において身を観じ、熱心・正知・正念にして、世間の貪憂を調伏して住する。
 受において受を観じ、熱心・正知・正念にして、世間の貪憂を調伏して住する。
 心において心を観じ、熱心・正知・正念にして、世間の貪憂を調伏して住する。
 法において法を観じ、熱心・正知・正念にして、世間の貪憂を調伏して住する。

〔比丘たちよ、これを、比丘の自行処にして父母の境界、というのである。

このゆえに、比丘たちよ、まさにこのように学ぶが善い、
『自ら行ずる処の、父母の境界〔四念処〕に依止して住し、他の行処の、他境界〔五妙欲〕に随いて行じてはならない』と。

 世尊はこの教えを説きたまい、比丘たちは、世尊の説きたもうた教えを、喜び敬って受けた。〕
相応 念処相応




【七覚支・七覚意・七菩提分は、魔軍を摧伏する道である】


  魔

(仏陀は、このように仰せられた、)
「比丘たちよ、私は汝らに魔軍を摧伏する道を説く。諦らかに聞き、善く善思しなさい。

 比丘たちよ、何をか魔軍を摧伏する道と為すのか。

 いわく、七覚支である。

何をか七と為すのか。
 念覚支、択法覚支、精進覚支、喜覚支、軽安覚支(猗覚支)、定覚支、捨覚支(護覚支)、である。

 比丘たちよ、これが魔軍を摧伏する道である」と。
相応 覚支相応
































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