更訂 H28.12.25


  聖者誹謗の、極めて大きな悪しき果報に関して



『賭博で財を失う人は、たとい自身を含めて一切を失うとも、その不運はわずかなものである。
 しかし立派な聖者に対して悪意を抱く人の受ける不運は、まことに重いのである』


 地獄に堕ちた者の出生と生存に関して (コーカーリヤ)





  コーカーリカ(コーカーリヤ)

 舎衛城が縁の場所である。

 その時、世尊は、日住に行いて独坐しておられた。
 時に、辟支梵天スブラフマーと、辟支梵天スッダヴァーサとが、世尊のもとに詣でた。詣りてそれぞれ門の脇に立った。

そこで、一人でいる梵天のスブラフマーは、コーカーリカ比丘について、世尊の御許においてこの偈を唱えた、

「量ることのできない処において、心をへて量ろうと欲する。

 量ることのできないものを量ろうと欲するのは、智慧無き凡夫であると思います」と。





  トゥドゥ梵天  〚コーカーリカ比丘の元の師であった、辟支梵天トゥドゥの警告〛

 舎衛城が縁の場所である。
 その時、コーカーリカ比丘は、病によりて苦しみ、その病は重かった。

 時に、(一人でいる)梵天トゥドゥは夜更けて、その勝れたる光にてジェータ林のすべてを輝かせ、コーカーリカ比丘に近づいた。

近づいて、空中に立ち、コーカーリカ比丘に、このように言った、
「コーカーリカよ、サーリプッタとモッガラーナとに浄らかな信仰を起こせ。サーリプッタとモッガラーナとは穏和である」と。

「友よ、そなたは誰なのだ」

「私は、辟支梵天トゥドゥである」

「友よ、そなたは、もはやこの迷いの世界に還ってこない者(不還果)であると、記別されたのではないのか。
 それなのに、どうしてここに還り来るのか。そなたの犯している過ちを見よ」

(トゥドゥ梵天は言った、)
「人が生まれる時、実に、その口の中に斧が生じる。愚人は悪を語りて、その斧にて、自分自身を斬りさくのである。

 そしるべきを讃え、また、讃えるべきをそしる者、彼は、口によりて、自らの悪運を重ね、その悪運によりて安楽を得ることができない。

 賭博に負けて、財と共に自身をも失うとも、その不運はわずかなものである。

 しかし、立派な聖者に対して、悪意をいだく人の受ける不運(罪業)は、まことに重いのである。

 悪口を言い、また、悪意を起こして、聖者をそしる者は、

 百千垓年、三十六垓年、五秭年地獄に堕して苦しむ」と。





  ダイバダッタ

 ある時、世尊は、ダイバダッタが去りて間もなく、王舎城の霊鷲山に住して居られた。
 時に、娑婆世界の主・梵天サハンパティは、夜更けてから、全霊鷲山を輝かせ、世尊の御許に詣でた。詣りて世尊を礼してかたわらに立った。

かたわらに立ちて、梵天サハンパティは、ダイバダッタに関して、世尊の御許にてこの偈を唱えた、

「芭蕉の樹、竹、及び、葦は、果実を生じてそこに倒れるように、また、ロバの仔馬を生んで死するように、

 悪人は、その名誉〔利得(利益)と、供養と、名声〕に殺される」と。
相応 梵天相応





  子を持たず

 時に、コーサラ国のパセーナディ王は、日中に世尊に詣でた。詣でて世尊を礼し傍らに坐った。

傍らに坐したコーサラ国のパセーナディ王に、世尊はこのように仰せられた、
「大王よ、王は日中に、いづこより来たのですか」

「世尊、舎衛城の長者の家主が亡くなりました。彼は子がいないので、私はその財産を、王宮に没収してきたのです。
 世尊、(彼は)金が千万金ありました。銀についても言うまでもありません。
 世尊、このような富を持つその長者家主は、食として、糖を混ぜた酸粥を受用していたのです。
 また、着用する衣として、三片を縫い合わせたる大麻の粗布を着ていたのです。
 また、車乗として、木の葉の天蓋のついた老朽した車を使用していたのです」

「大王よ、そのとおりである。大王よ、そのとおりである。

 大王よ、遠き昔、その長者家主は、タガラシキンという名の、辟支仏に托鉢の食を与えたのです。

 しかし、『沙門に食を与えよ』と命じて、座を立ちて去り、後に『この食を下人・下僕に与えた方が勝れていた』と悔いたのです。

 また、財のために、兄弟の一子の生命を奪ったのです。

 大王よ、その長者家主は、タガラシキン辟支仏の托鉢の施食をなした、その業の果報に依りて、七返、天界に生まれ、その業の残りにて、七返、この舎衛城において、七返、長者の位についた。

 大王よ、その長者家主は、施して後に”この食を下人・下僕に与えた方が勝れていた”と悔いた、その業の果報に依りて、その心は、善き食の受用に傾かず、善き衣の受用に傾かず、善き車乗の受用に傾かず、善き五欲の受用に傾かなかったのです。

 大王よ、その長者家主は、その兄弟の一子を、財産のために殺した、その業の果報に依り、多年、数百年、数百千年、地獄において苦しめられたのです。
 その業の残りに依り、ここに七返、子が無く、その財富は王の倉に入ったのです。

 大王よ、その長者家主の、古き功徳は尽きて、新しき功徳を積むことがなかった。(その故に、)大王よ、その長者は、今日、大叫喚地獄において煮られるのです」

「世尊、長者家主はそのようにして、大叫喚地獄に生じる」


「大王よ、長者家主はこのようにして、大叫喚地獄に生じた。

 穀物も、富も、金銀も、いかなる所有も、奴隷、下男、傭人、及び、その他の従属者も、すべて従えて行くことはできない。

 すべてを捨てて行くのである。

 身において行い、口、または、意に依りて行なうこと、これこそが彼自身のものにして、これに従いて行くのである。

 影がその形に従ふように、その業に従うのである。

 そのゆえに、善き事柄を成して、未来のために重ねて行ないなさい。

 功徳は、後の世の、人々の渡場なのである」と。


相応部 コーサラ相応





 餓鬼の境涯に関して



  戸外鬼事

 彼らは、住家の外に、または、街の四辻に立ち、あるいは、昔の各自の家に行きて戸口に立つ。

 過去の業によりて、多くの食物や飲物、堅き食物、軟らかき食物の供えられる時、(この世の)因縁あるものは、誰も彼らを記憶する者なし。

 慈悲ある人は、因縁ある者のために、清浄にして、優れた、時に適した食物や飲物を与える。
「これは、汝ら(逝きにし)因縁ある者のためとなれ、因縁ある者は、満足できるように」(と言いつつ)。

 彼らは、ここに集まり、集まった因縁ある餓鬼らは、多くの食物や飲物に非常に喜ぶ。

 (彼らは言う、)「これらの物を受けたその人々によりて、私たち、因縁ある者は長く生きる。私たちのために供養はなされる。この施主に果のなきことはなし」と。

 実に、この(死の)世界は、耕すこともなく、牧畜もなく、商売のようなこともなく、金によりて売買することもなし。

 この世から受けることによりて、死の世界の餓鬼は生きて行く。
 高き処の水が低きに流れるように、そのように、実にこの世からの施物は、諸々の餓鬼に利益あり。

 溢れる川の流れが、海を満たすように、そのように、実にこの世からの施物は、諸々の餓鬼に利益あり。

 私に施し、私に善業をなした。彼らは私の因縁ある者であり、友であり、仲間である。
 過去の業を憶い起して、餓鬼に施物を与えるだろう。

 泣く事も、悲しむ事も、その他、嘆く事も、この餓鬼らには何の益にもならない。
 このように、因縁ある者は、立ち(つくし)ている。

 しかし、この施物が、僧団に与えられ、使用さられたならば、長く死人の利益となり、よく彼を利する。

 ここに記されている、これは、因縁ある者に對する義務にして、諸々の餓鬼に、非常なる供養がなされ、僧に力を与える。
 また、汝も少なくない福を得られる、と。





  機女鬼事

「排泄物や、尿・膿・血を喰らう彼女、これは何の業の果なのか。常に膿血を喰らへるかの婦人は、そもそもどのような業を為したのか。

 美しく、また、柔らかで綺麗な毛によりて被われた新衣を、施与せられても、みな銅板のようになりて失う。これはそもそも、この婦人はどのような業を為したのですか」

「尊者よ、この者はわが妻であった。物惜しみして、嫉妬深く、貪りの多い者であった。
 私が沙門・婆羅門に布施する時、私を罵り、そして責めたてた。

(その悪業によりて)排泄物や、尿・膿・血、すべての不浄なる物を、汝は永久に喰らい、このように汝は、かの世においてあり、また、汝の衣服は銅板となり、このように不善業を為して、この世に来て、永く不浄を食するのである」と。





  象鬼事

「先頭に、白象に乗りて、一人が行き、また、中央に騾馬に牽かれた車に乗りて行く。
 更に後に、一人の処女、かごに乗りて、十方に輝きつつ行く。

 汝らは、(そのように)手に棍棒を持ち、面は泣き、身体は切れ破れている。

 汝ら、人に似た鬼よ、どのような悪業を為したのか。それによりて、お互いの血を吸うのか」

「先頭に、四足の白象に乗りて行くのは、私の最長の息子なのです。
 彼は布施を成して、この幸福を受けているのです。

 中央に、四足の騾馬をつけた早く行く車に乗っているのは、私の中の息子です。
 彼は無貪にして、布施の主なので、彼は輝くのです。

 最後の、かごに乗りて行く若き婦人は、賢明にして優しい目を持つ私の末の娘なのです。
 なかばの幸福を享受しつつあります。

 彼らは、前世に、沙門・婆羅門に、心から捧げて布施を行じたのです。
 しかし、私達(夫婦)は、物惜しみして、貪り、沙門・婆羅門を罵ったのです。

 彼らは、布施をして、喜ばせたのですが、私達は、刈り切られた葦のように衰えたのです」と。

「汝らの食物は何か、寝具は何か、悪行の汝らは、どのようにして生活して行くのか。
 眼なき多くの財宝の下にありて、幸福をだいなしにして、今日苦を受けるとは」と。

「私達は、相互に害し合い、膿や血を吸う。多く吸うも満足することなく、喜ぶこともなし。

 布施をしない人は、私達のように悩み、死して閻魔の許に行く。
 彼らは、食物に近づいても離れ去ってしまい、食することも叶わないのです。
 何の福業をも為さず、かの世における餓鬼なる彼らは、長く、飢えと渇きとに苦しめられて、焼き悩まされる。
 苦の果の熟する業を為して、苦の激しき果を受ける。

 財宝・富みも無常である。この世の寿命も無常である。

 無常を、無常であると知りて、賢者は庇護所を作る。

 このように善く知れる人は、法を持する人であり、彼らは尊敬すべき人の言葉を聞いて、布施を軽視することがない」と。





  離輪廻鬼事

「裸体で醜い姿をして、痩せて血の筋が現われ、唇は突出して、痩せ、そこに立っている汝は、そもそも誰なのか」

「尊者よ、私は悪趣たる閻魔の世界に住む餓鬼女です。
 悪業を為してこの世より餓鬼の世界に行ったのです」

「どのような身・口・意の悪業をしたのか。
 どのような業の報いによりて、この世より、餓鬼の世界に行ったのか」

「尊者よ、私には『心から捧げて、沙門・婆羅門に布施を与へよ』と、私を励ましてくれる、父も母も、あるいは、知人も親切のある人もいなかったのです。
 それから、私は五百年、裸のこの姿で諸々の所を巡り、飢えと渇きに悩まされている。これが私の悪業の果です。

 尊者よ、私は御身を心より敬います。賢者よ、大なる神通を有するものよ、私に慈悲あれ。
 布施を為し、私のために何かをささげ、それによりて、尊者よ、私を悪趣より救いたまへ」

「よろしい」と彼は、彼女のために、承諾し、情深きサーリプッタ尊者は、比丘に少量の食物と手のひら大の布片と、
 一鉢盂の飲物とを与えて、彼女のために布施をささげた。無間に奉献の応果は現じた。

 食物・衣服・飲物、これらはこの布施の果である。
 それから後、彼女は、美しき清浄なる衣服をつけ、カーシー絹の上衣を着け、諸色の衣服を着けて、サーリプッタ尊者に近づいた。

「そなたは、非常に美しい姿をして見える、神のような者よ。暁の明星のように十方を照らして。

 何によりて、そなたはこのような姿なのか。
 何によりて、そなたはこのよう幸福を持つのか。
 また、(何によりて、)食物がそなたに生じ、心がいつも愉快にあるのか。

 私は、そなたにたずねる。女神よ、神通を有する者よ、人になりたる者よ。

 どのような福業を為したのか。
 それによりて、そなたはかくも色輝き麗しい、そなたは十方に光を照らす」と。

「蒼ざめて痩せ、飢え渇き、裸体で荒れた皮膚をして、悪趣の世界にあった私を、慈悲深き聖者は見たもうた、

 比丘に、少量の食物と、手のひら大の布片と、また、一鉢盂の飲物とを与えて、私のために布施をささげて下さった。
 少量の食物の果を御覧ください。一千年の間の食物を私は受け、悦び、種々なる味の食物を享けるのです。

 手のひら大の布片の果は、どのようなものであるのかを御覧ください。

 ナンダ王の王国におけるように多くの布、尊者よ、それよりも多くの衣服、着物、あるいは絹織の、毛織の、または、麻織の、木綿のを私は持ち、数多くの、また、高価なるそれらは空中に懸り、私は心の好むままにそれを着けるのです。

 一鉢盂の飲物と果のどのようなものであるのかを御覧ください。

 深く、四角にて、よく技巧の施されたる池、輝く水、美しき浜、冷ややかにして香好く、赤き蓮、青き蓮に覆われ、水ユリの花に満たされているのを。

 今や私は恐れるものは何もなく、悦び、享楽し、楽しむのです。

 尊者よ、慈悲深き聖者に、感謝のためにこの世に来たのです」と。





  財護鬼事

「裸体で醜い姿をして、痩せて血の筋が現われ、唇は突出して、痩せ、そこに立っている汝は、そもそも誰なのか」

「尊者よ、私は悪趣たる閻魔の世界に住む餓鬼です。悪業を為してこの世より餓鬼の世界に行ったのです」

「どのような身・口・意の悪業をしたのか。
 どのような業の報いによりて、この世より、餓鬼の世界に行ったのか」

「ダサンナの国に、エーラカッチャという有名な町があり、前世において、私はそこに住む富豪の商人で、人々は財護と呼び、よく知られていました。

 車にして八十台もの金が、私の物であり、巨額の金、多くの真珠や宝石を所有していました。
 そのように大なる財宝を持っていたが、私はそれを布施のために愛好することせず、乞食者が、私を見ないように、戸口を閉して享楽して居たのです。

 信仰なく、貪欲であり、ケチで物惜しみして、人を罵り、布施をなす多くの人々を妨害し、
”布施に、相応の果報はなく、布施を惜しむものに、その得あり”と、私は考えていました。

 そして、蓮池、井戸、または、木の植えられた庭園、あるいは、給水所、難所の架橋を破壊しました。

 私は善業を為さず、悪業を為して、その世を去り、餓鬼の世界に生を享けて、飢えと渇きに悩まされているのです。

 私がその世で死んで以来、五十五年、私は、未だに食物も、あるいは、飲物をも知らない。
 物惜しみする人は、すべて廃滅し、廃滅する者は、すべて物惜しみする人なのです。
 餓鬼等は、(このことを)実によく知る、物惜しみする人は、すべて廃滅する、と。

 私は前世に物惜しみであり、多くの財宝を持ちながら、布施することがなかった。
 施す物はあったが、自分の庇護所を作ることがなかった。

 それ故に、自分の業の果を受けて、私は後に至りて、後悔をしているのです。

 四カ月の後、私の期限は来る。
 私は非常に苦の激しく、恐ろしき地獄に生を受けなければならない。

 四角にて、四窓あり、部屋は相似に分けられ、鉄壁により囲まれて、鉄を以て天井は覆われ、その鉄の池は、火に焼かれ、すべての側に百由旬の火焔に満ちて、いつまでもこの状態なのです。

 そこに長い間、私は悪業の果として苦を受けなければならない。

 それ故に、私はこれを嘆いているのです。

 ここに多く集まっているそなたらに、汝らよ、私は幸をもたらす呪を説く、

『あきらかにも、隠密にでも、悪業を為してはならない。

 もし悪業をすでに為し、あるいは、為そうとするならば、汝は苦より脱れることはできない。
 
(たとえ空を)飛び去りて逃げたとしても、脱れることはできない。

 汝らは、父母を敬いなさい。家庭における年長者を敬いなさい。沙門・婆羅門を敬いなさい。
 このようにして汝らは、天国に行くだろう。

 虚空にも無く、海中にも無く、山々の洞窟に入りても、そこに止住して、悪業より免れ得る所は無し』」と。





  權商鬼事

「汝は、裸体にして痩せた禁欲者である。
 尊者(のような方)よ、汝は、夜はいづこに行くのですか。また、どのような理由があるのですか。
 私たちは、すべての者と共に、汝に財を献げ得ることができるのかを、私に語ってください」

「広く世に知られたバーラーナシーの町、そこにおいて、私は富有にしてケチで物惜しみな家主でありました。
 施すことなく、食物の欲を貪り、悪徳によりて閻魔の世界に堕ちたのです。
 その私は、飢えに疲れて、知人親戚に若干の食物を得ようとして行くのですが、彼らはケチで物惜しみにして、他の世界に布施の果はあるという事柄を信じないのです。

私の娘は、常にこのように言います、
『私は父に、または、祖父に布施をします』と。

(そして、)婆羅門が供儀を捧げるために(娘の家に)来るので、私は食うために〔娘の住む町に〕行くのです、と。

国王は、彼に言った、
「汝、もし布施を受けようとするならば、速やかに私は汝に敬意を表します。
 汝、もし(長く利益をもたらす善い布施の)根拠があるならば、私に語りなさい。
 もし(長く利益をもたらす善い布施の)根拠があると言うならば、その信ずべきを聞きましょう」と。

(彼は)「よろしい」と(承諾して)言った。
(そして彼は、)〔娘の住む町に〕行った。
 そこにて食物を食べるのだが、(彼は)その布施に値する者ではなかった。

餓鬼が、再び来るのを見て、王は言った、
「私は、何を与えたらよいだろうか。もし汝が与えてもらい長く喜ぶものがあるならば、告げよ」と。

「大王よ、仏陀に、僧伽に、食物や飲物や衣服を捧げてください。
 その布施は、私に利益をもたらし、そして私は長く喜ぶことを得るのです」

 このようにして、王は高殿より降り、じかに手づから、多くの布施を僧伽に施し、また、この出来事を、如来に語り、餓鬼のために布施を捧げた。

餓鬼は、供養されて、非常に美しく輝き、再び国王の前に現われて言った、
「私は薬叉です。最上の不思議力を得たのです。私の不思議力は、人の持つようなものでもないのです」と。

 多くの布施の僧団になされた後、そなたによりて示された、私のこの計ることのできない不可思議を御覧ください。
 永くつねに、多く(の布施)によりて満足し、私は幸福に行くのです。人の王よ」と。





  アンクラ鬼事

アンクラは言った、
「私たちは、財宝を得ようとして、その目的のためにカンボーヂャに向い行く。
 これは快楽を与える薬叉(の樹)です。私たちは、その薬叉を導き来させようとするのです。
 この薬叉を、合意によりて、あるいは、力を以て捕らえて、乗物に乗せて、速やかにドヴァーラカに向おうとするのです」

餓鬼は言った、
「樹蔭に、人が坐し、あるいは、臥するを得る。その樹の枝は折ってはならない。それは、友を欺くことであり、悪を為すことである。
 ───
 樹蔭に、人が坐し、あるいは、臥するを得る。その樹の葉をつかんでちぎってはならない。それは、友を欺くことであり、悪を為すことである。
 ───

 ある人が、一夜をその家に滞在し、そこにおいて食物や飲物を得る。その人に悪意を持ちてはならない。
 感謝は、善人によりて称讃されていることである。
 一夜をその家に滞在し、食物や飲物を供養せらるることもあれば、その人に悪意を持ちてはならない。
 手を以て害しない人を害うのは、友を欺くこと(と同様)である。

 以前に、善行を成し、後に悪業を以て人を害する人は、清浄なる手によりて、打たれ、幸福を見ることなし。

 もし邪念が少なく、正定にして汚れ無き人を害せば、その悪事はかえって、かの愚人に及ぶ。
 風に逆らいて投げられたる微かな塵のように。

 私は、神によりても、人によりても、また、主権者によりても、圧し服されない。
 私は、最高の不思議力を持つ薬叉であり、一瞬にして遠くまでも行き、美しき色と力とを持つ者である」

アンクラは言った、
「汝の手は、すべて金色にして、五指の先に望みの施物を持ち、蜜を流し、あらゆる美味を流出する。
 私は汝を、インドラ(のようである)と思う」

餓鬼は言った、
「私は神に非ず、ガンダルヴァに非ず、万能のインドラにも非ず。
 アンクラよ、ヴェールバの町よりここに来た餓鬼です」

アンクラは言った、
「そのような戒徳、汝は前世に、ヴェールバの町において、どのような行いを成したのか。
 汝の、どのような梵行によりて、手に福を造りだすのか」

餓鬼は言った、
「前世に、ヴェールバにおいて、私は機織女でありました。その時私は極めて貧乏にして、施すべき何物も無かったのです。
 私の仕事場は、アサイハ(の住家)の近くにあり、彼は信仰深く、布施の主にして、福業を成し、(悪業を)恥じていたのです。

 そこに乞食が来て、あらゆる家系の乞食、彼らはアサイハの住所を私に尋ねたのです、
 『どこにて布施は与えられるのか。幸ある汝よ、そこに私は行くのです』と、私は尋ねられて、アサイハの住所を示しました。
 右手を差し伸べて、『そこに汝は行きなさい。幸ある汝よ、そこにおいて布施は与えられる』と。

 それによりて願望を満たす手、それによりて蜜を流出する手、その梵行によりて、私の手における福が生じたのです」

アンクラは言った、
「実に、汝は自らの手によりて、どのような布施をも成さなかった。しかし、他人の布施を喜び、手を伸べて教えたのです」

餓鬼は言った、
「それによりて願望を満たす手、それによりて蜜を流出する手、その梵行によりて、私は手における福が生じたのです」

アンクラは言った、
「尊い者よ、布施を与える人、自らの手によりて為す敬虔なる人は、この世の身体を捨離して、そもそも何処に行くのですか」

餓鬼は言った、
「未だ為されていないことを為したアンギーラサの、現在、及び、未来の状態を私は知らない。
 しかし、ヴェッサバナの近くにて、私は、『アサイハが、帝釈の仲間の世界に趣いた』ということを聞いた」

アンクラは言った、
「実に、善業は成すべきである。力に応じて布施は成すべきである。願望の叶う手を見て、誰が福業をなさないだろうか。
 いざ、ここより去りて、ドヴァーラカに行きて、私は布施を施そう。それは、私に幸を持ち来たらすのです。
 私は、食物や飲物、あるいは、衣服、寝具、水、給水所、難路における橋を施与しよう。

 しかし、どうして汝の指は曲がり、汝の顔は歪み、また、眼は飛び出すのか。どのような悪業を汝は為したのか」

餓鬼は言った、
「信仰深い家主、アンギーラサの家に住して、私は布施行をなす布施の監督者であった。
 そこにおいて、乞食の食物を求めて来るのを見て、一隅に行きて、歪める顔を為したのです。
 それゆえに、私の指は曲がり、私の顔は歪める形となり、眼は飛び出しているのです。
 そのような悪業を、私は為したのです」

アンクラは言った、
「汝、さげすむべき人よ、顔の曲がり、眼の飛び出しているのは、もっともだろう。
 何故ならば、それは、汝が、他の布施にたいして顔を歪めたためである。
 食物、飲物、硬食、衣服、寝具を与える場合に、どのようにして布施を与えて、他に利益を為すことを得ようか。
 いざ、ここより去りて、ドヴァーラカに行きて、私は布施を施そう。それは、私に幸を持ち来たらす。
 私は、食物や飲物、あるいは、衣服、寝具、水、給水所、難路における橋を施与しよう」

 それより、彼(アンクラ)は帰り、ドヴァーラカに再び来て、布施を成した。
 それは、彼に幸福を持ち来たらすものである。
 彼は、食物、飲物、あるいは、衣服、寝具、水、給水所、を、清浄なる心を以て施した。
 飢えた人、渇いた人、著物を著たい人、疲れた人にたいしては、ここに馬車も準備され、日傘を望む人、香や華を、あるいは、草の履物を欲する人は(ここに来なさい)と、アンクラの住家にて、理髪師、料理人、香を売る者は、つねに朝夕に呼んだ。

アンクラは言った、
「アンクラは快く眠る、と人々は私を思う。シンダカよ、私は眠り難い、なぜならば、私はどのような乞食をも、見ないがゆえである。
 アンクラは快く眠る、と人々は私を思う。シンダカよ、私は眠り難い、なぜならば、乞食が少ないがゆえである」

シンダカは言った、
「もし三十三天の主帝釈が、汝に願いを叶えさせようとするならば、汝は、一切の世界中にて、何を願いの中の願いとして選ぶのか」

アンクラは言った、
「三十三天の主帝釈が、もし、私の願いを叶えてくれるならば、私は日の出に起きた時、立派な食物を出現させ、戒を持し徳のある乞食者に、私は布施をして、尽きることなく布施して、後にでも私が悔いることない程に与えて、心悦びたい。
 これが、帝釈に叶えてもらいたい願いの中の願いである。

 一切の財産を、他人に与えてはならない。布施を成して、また、(生活するための)財産も護りなさい。
 そのゆえに、(生活するための)財産は、施すことよりも、(生活することにおいては)大切である。
 あまりに布施の過ぎる時、家族は生活をすることができない。

 施しを為さないのと、あまりに施しが過ぎるのとを、賢人は称讃しない。
 それゆえに、(生活するための)財産は、施すことよりも、(生活することにおいては)大切な物である。
 (そうして、)法を述べる賢者は正しく進む。

 できる。なおも布施を成す。寂静であり敬虔である人は、私と交わるが善い。
 雪の降りて満たすように、一切の乞食を満足させよう。
 どのような乞食を見ても、その顔色を輝かせて、布施を成して自らの心は喜ぶ。これは、家に住む者の幸福である。
 どのような乞食を見ても、その顔色を輝かせて、布施を成して自らの心は喜ぶ。これは、福業の成就である。
 施す以前にも心楽しく、施したならば心は満足し、施して自らの心は悦ぶ。これは福業の成就である」

 六万台の車にて満たされた食物は、福業を望むアンクラの家において、常に人々に施された。
 三千の料理人は、宝石、真珠を身に著けて、アンクラの家に住み、布施を施すのに忙しい。
 六万の若者は、宝石、真珠を身に著けて、アンクラの大地に薪を割る。
 一万六千の婦人は、一切の荘厳を為して、アンクラの大なる施において、団子を作る。
 一万六千の婦人は、一切の荘厳を為して、アンクラの大なる施において、匙を持ちて(料理の)準備を整える。

 彼は、多くを多数の人に与え、長く与えた。王族(のアンクラ)は、自らの手を以て、注意深く、繰り返し繰り返し尊敬を成す。
 半月も、幾月も、あるいは、幾年も、アンクラは長期間、大施を続けた。このように長期間、アンクラは布施を成し、施を作し、この世の身体を捨離して、彼は三十三天に到った。


(一方、)インダカ(という人があり、彼)は、アヌルッダ尊者のために、皿一杯の食物を与えた。
 彼は肉体を捨離して、三十三天に到達した。

(皿一杯の食物を、アヌルッダ尊者に施与した)インダカは、十の点において、(大なる施を成した)アンクラよりも優れて輝いていた。

 色において、声、味、香り、触れられるもの、心の喜悦において、また、寿命において、名声、階級、幸福、力においても、インダカは、アンクラより優れて輝いていた。


仏陀は、このように仰せられた、
「アンクラよ、汝によりて長期間の大施は成された。汝よ、近くに坐し、私の面前に来るが善い」と。

 人中の最上者なる(ゴータマ)仏陀が三十三天にありて、パーリチャッタカ(昼度)樹の下なる、パンドゥッカンバラ(無垢白)石に坐したまへる時、
 十方の世界の神々が集まりて、正覚者を囲み、山々の頂に停まる。
 どのような神も、容色においては、正覚者よりも優れて輝くことなく、一切の神に勝れて正覚者のみは輝く。
(そのようにして、)アンクラは、ただ十由旬離れてそこに居た。
 けれども、インダカは、仏陀から離れずして居り、優れた輝きを放っていた。

仏陀は、このように仰せられた、
「アンクラよ、汝によりて長期間の大施は施された。汝は私より離れて坐す。私の近くに来るが善い」と。

よく調御したる人に、称讃されたアンクラは、このように言った、
「その(大なる)施によりて、私に何の益かあるでしょうか。布施に値するものは(、ここに得られてい)ないのです。
 薬叉であるこのインダカは、わずかの布施を成した(だけな)のですが、月の星群におけるように、私たちよりも勝れて輝いているのです」と。

仏陀は、このように仰せられた、
「不毛の地における種子は、たとえ多く植えたとしても、多くの果はなく、また、農夫を悦ばせることもないように、
 そのように、多くの布施を、悪しき戒めを持つ人に為しても、大なる果はなく、また、その施主を喜ばせることもない。

 肥えた地に、少量の種子を植えたならば、強き白雨(夕立)が注ぎ、農夫に果を悦ばせるように、
 そのように、戒を具える人、有徳の人、このような人に、たとえ少量の福業でも成すならば、大なる果がある。

 布施は思慮を以て、施されるべきである。そこに所施は大なる果がある。
 思慮を以て、布施を成し、その施主は天国・善趣に行くのである。

 この世界において、布施に値する善逝(仏陀、聖者方)に称讃されている者にたいして、思慮を以て、布施を施せば、施された物は、この世に大果を生む。

 それは、良田に撒かれた種子のようなものである」と。





  ウッタラ母鬼事

 日中に、恒河の岸に停まりて休息する比丘に、醜く恐ろしい姿をした、一人の餓鬼女が近づいた。

彼女の髪は、極めて長く、地上にまでも垂れ懸かり、彼女は髪に覆われて、沙門にこのように言った、
「私は死んで以来、五十五年、何の食物も、飲物をも知らない。
 汝、尊者よ、飲み物を与えよ。私は飲物にたいして渇いている」

「これは、ヒマラヤより流れ出る冷ややかな恒河の水である、それより汲みて飲みなさい。
 どうして私に飲物を乞うのです」

「尊者よ、私が恒河より飲物を汲もうとすると、血に変ずるのです。
 それ故に、飲物を乞う次第なのです」

「そもそもどのような身・口・意の悪業を為したのか。
 どのような業の応果によりて、恒河の水は、汝に血となるのか」

「尊者よ、信心深き優婆塞であったウッタラは、わが子であった。
 しかし、私は、彼が私の意に反して、沙門に衣服、飲食、資具、臥具を施与したので、

 私は、それを責め、我欲に打ち勝たれてしまい、このように言ったのです、
『汝は私の意に反して沙門に施与する。衣服、飲食、資具、臥具を。それはいつか、かの世において血となる、ウッタラよ』と。

 その業の応果によりて、恒河は私に血となるのです」と。





  猟鹿鬼事

「この青年は、天子天女に尊敬され、昼間は欲の徳に耽り、美しき生活を為す。
 どのような善業を前世において為したのか」と。

「私は、前世において、王舎城の美しく楽しい山窟に、赤く血塗られた手を持ち、非情にして、鹿を狩る者であった。

 乱暴なる手にて、人々の中にても、悪心を持ち、非情に行ひ、常に他を害するを喜び、自制することがなかった。

 私の親切なる友に信仰深き優婆塞がありて、彼は私に同情して、再三再四、制してくれた、
『悪業を為してはならない。お前は悪趣に行くことになるのだよ。もし死して幸福を望むのならば、殺生を絶ち、不自制を離れよ』と。

 私は、幸福を願いて、友情を持ち、同情ある彼の言葉を聞いたのだが、すべての教えに従うことなく、長く悪を離れて、正しき智を持つには至らなかった。

 また、賢明なる彼は、私をして、戒めに入らしめた。昼間は生物を殺しても、夜は戒めを保て、と。

 私は、昼間は殺生を為しつつ、夜は節制して戒めを保った。(その故に、)夜は私は保護を受けるも、昼間は悪趣に来たりて、噛まれるのです。

 その善業のために夜は、天界に身を享け、昼間は猛犬に攻められるように、全く噛み悩まされるのです。

 汝、もし常に善逝(仏陀)の教えに依り信じ、常に帰信して念ずれば、汝は不死にして、完全なる無為の境地に至るだろう」と。




  詐欺鬼事

「花環をつけて装飾し、腕輪をつけ、そなたの身体は白壇の香りがただよい、清浄なる顔色は太陽の色のように輝く。
 多くの非人等、それらが汝に随従し、一万の乙女もまた、それらは汝に随従する。

 彼女らは、金色の指輪をつけ、金色の著物にて装う。
 汝は大神力を持ち、身毛よ立つ毛髪を持ち、自らの背の肉を切り取りて喰う。
 そもそもどのような身・口・意の悪業を為したのか。
 どのような業の応果にて、自らの背肉を取りて喰うのか」

「生前の世界において、私は自らの不利となる行を為した。
 両舌、妄語を以て、あるいは、欺きの言葉を以て、
 人中に赴き、真実をいうべき時に現われて、現前する法を無視し、非法に従った。
 今日、私が自らの背肉を喰うように、彼は自らの背肉を喰らうのです。

「ナーラダよ、これは汝に見られたものである。慈悲を施しなさい。誰しも善をいうべきである。
 実に汝は、背肉を喰うものであってはならない。中傷を語ってはならない、また、妄語を言ってはならない」と。





  不敬塔鬼事

「汝は、空中に停まりて、腐敗して悪臭を漂わす。屍虫は、悪臭ある汝の口を喰う。

 汝は、前世にどのような業をなしたのか。
 刀剣を持ちて、再三再四、胸を切り、アルカリ性の物を撒き、再三再四切り開く。

 そもそもどのような身・口・意の悪業を為したのか。
 どのような業の応果にて、そのような苦を享けるのか」

「私は、王舎城の美しく楽しい山窟にあり、支配者にして、多くの財を持つ者であった。

 かのこれは、私の前世の妻であり、娘であり、義理の娘であった。
 私は、美しく好き香りあるタマーラの樹や青蓮華を仏塔に捧げる者を、妨げるという悪業を私は為したのです。

 私達は、八万六千の各々の苦を受け、仏塔の尊敬を罵りて、地獄にて籾の料理を受ける。

 ある仏塔供養のために、大祭の行なわれる時、悪意を現わして私達は分裂した。

 (仏塔供養の大祭)を見て、空中より来たり、花環を持ちて荘厳した。
 この花環の応果を受けて、彼らは富み、すべての幸福を受けた。

 この不思議にて驚くべきことを見たので、賢しこき人に帰依し、大牟尼に帰命したのです。

 今日、私はここより行きて、人胎に身をうけ、再三再四、怠らず、仏塔供養を為そうとします」と。





  王児鬼事

 前の世に為した、色・声・香・味・触において、あるいは、心の悦においての業の果は、心を悩ます。

 彼は、多くの舞踊音楽、遊戯、及び、享楽に耽り、楽園にさ迷いて、山の隠れ家に入った。
そこにおいて、スネッタと名づく仙人を見た。彼は手に杖を持ち、寂静にして、恥を知り、托鉢にて布施を集め、足るを知り喜んでいた。

 大象の上より降り、『尊者よ、布施を得たか』と、呼びかけた。

 武士は鉢を取りて高く揚げ、硬き地上に鉢を砕きて、笑いつつ行き、去った。

「私は、キタヴァ王の子である。
 比丘よ、汝は私に何を作そうとする」

「かの手荒き業の果は厳しい。
 王子よ、汝はそれを受ける。地獄において受ける。

 六千年、八万四千年、または、九万年の大なる苦を、有罪の人は地獄にて受ける。

 仰向けになり、あるいは逆さまにされ、左右に歩き、足を上にして立ち、愚人は長く苦を受ける。

 数千年、あるいは、九万年の間、有罪の人は、地獄にて大なる苦を受ける。

 仙人を侮辱した、その悪業の故に、善人を害する者は、このように、激しい苦を受ける。

 彼はそこにて、数千年の間、多くの苦を受け、それより死して、クッピパーサハタという鬼となる」

 このように危険のある王位に生まれたのを見て、彼は王位を捨てて、寂静に住することにしよう、と。

「法を見て、讃嘆する人、仏陀に尊敬を持つ人は、賢人にして、体が分離しては、善趣に身を受ける」と。





  糞食鬼事

「糞壺より腹這い上がりて、汝はいま、どこに居るのか。
 疑の悪業を為して、そもそも汝は何を信じようとするのか」

「尊者よ、私は餓鬼にして、悪趣に堕ち、閻魔の世界に住するものです。
 悪業を為して、餓鬼の世界に趣いたのです」

「そもそもどのような身・口・意の悪業を為したのか。
 どのような業の応果にて、そのような苦を享けるのか」

「私の家にある比丘が居ました。
 嫉妬深く、家族に執著し、私の家に住み、利己的にして罵ったのです。

 私は彼の言葉を聞き、比丘らを罵ったのです。
 その業の応果にて、この世より餓鬼の世界に趣いたのです。

『仇敵はいつわりの友情によりて、汝の仲間である。
 身体が分離して、愚人は死後、何れの趣に行く』と。

 私は、その悪業のために頭に住み、頂上に住する。
 また、彼は他の世界に堕ちて、わが従者である。

 幸ある者よ、他人の排泄する物こそ、私の食物として、また、彼は、私の排泄する物を食して生きるのです」と。





  群集鬼事

「裸体にして、酷く痩せて、筋現われ、肋骨が見える。痩せた人々よ、君らはそもそも何なのか」

「幸多き方よ、私達は、餓鬼です。私達は、悪趣に堕ち、閻魔の世界に住むものなのです。
 悪業を為して餓鬼の世界に行ったのです」

「そもそもどのような身・口・意の悪業を為したのか。
 どのような業の応果にて、そのような苦を享けるのか」

「閉ざされない戸口に立ちて、人が半銭を乞いても、私達は、施物がありても、(布施をして)自らの庇護所を作らなかったのです。

 河に近づけば、水は渇き、空虚に変じ、日陰に近づけば、暑き熱地に変ずる。火の色のように燃える風は、私達に吹き来たる。私達はかかるものに値し、また、他の悪業に値する。

 また、飢えのために数由旬も歩いて食を求めたのです。
 しかし、私達、福のわずかな者は、それを得ずして、ついに断念したのです。

 尊者よ、飢えのために気絶し、仰向けに手足を伸ばし、顔を下にして、地上に打ち倒れました。

 その場に倒れ、地上に打ち臥し、私達、福のわずかな者は、胸と頭と相触るるに至ったのです」

「尊者よ、私達はかかる事に値する。さらに、他の悪業に値する。
 施物がありても、(布施をして)自らの庇護所を作らなかったのです。

 実に、この世を去りては、人間の胎を得、私たちは、親切にして、戒めを守り、多くの善業を為す」と。





  商子鬼事

「六万年の満つるまで、地獄にて苦を受けつつあり。
 何時になれば終わりがあるのか。

 終わりなし、どこより終わるのか。終わりは、見られず。
 君よ、そこには実に、私、及び、汝の為したる悪あり。

 悪しき生活を為して、彼らは清浄なる布施を為さなかった。
 施物はありても、自らの庇護所を作らなかった。

 今や、実に、ここより行きては、人の胎を得、親切にして、戒めを守り、私は多くの善業を為す」と。


小部 餓鬼事経






















inserted by FC2 system